「こんなこと書いて、意味あるのかなぁ」と思ったら。
「noteやブログで発信して、意味があるんですか?」
「こういう文章を書いて、意味があるんでしょうか」
って聞かれることがよくある。
意味は、ある・ない ではなくて、
自分で作るもの。
意味が「ある・ない」よりも、「意味あるもの」にすればいい。
これを書けば意味がある、なんて初めから決まっているものなんてない。
そもそも、自分にとって「意味」とは何か?をまず考える。
意味のある投稿とは何か? たとえば、noteを発信しているとして、
● noteの読者から申し込みが増える
● noteを収益化する
● noteを読みましたと感想が来る
● 書籍化したい
なにを「意味」とするのか? それを決めずに「意味があるか・ないか」は決められない。
自分にとって、ブログを書く「意味」、noteを投稿する「意味」、SNSで発信する「意味」とは何か? まずはそこを定義しよう。
自分にとっての「意味」が何かが決まったら、それを達成させるために何をすればいいかがわかる。
意味は、元々あるのではなく、自分で「作る」「つける」のだ。
発信を「意味あるもの」にするために、できること。
たとえば、noteを書く意味を「私を知ってもらう」「私の活動を知っている人を増やす」と決めたとする。
知ってくれる人を増やす=自分のnoteを読む人を増やすってこと。
記事を読む人を増やすには、考えられる方法は?
1.SNSからつなぐ
2.検索される
3.他の人に紹介される
4.noteの「コンテスト」や「お題」に出してみる
5.自分から気になる人のnoteをフォローしたりコメントしたりする
パッと思いつくだけでも、これだけある。
タイトルや記事内容ももちろん大事だが、人目に触れる機会を増やしていく工夫も必要になる。(もちろん、一度読んでくれた人に、次の記事、次の記事と楽しみにしてもらうためにできることは、また別にある)。
どんな出来事も、そのこと自体に「意味」は「ない」。
どんな出来事もそのこと自体に意味はない。
意味をつけるのは、いつだって自分だ。
過去のあんなこと・こんなことも、その時には「なんの意味があるんだろう」と思っていたことも、あとから「自分で」「意味をつける」ことができる。
意味はいつだって、自分でつけられる。
世界的な名著『夜と霧』の著者、ヴィクトル・エミール・フランクルの有名な言葉がある。
「人生に意味などない。人生が、貴方に生きる意味を求めているのである。」
私が、フランクルの創出した「ロゴセラピー」を学んだ先生は、こうおっしゃっていました。
「出来事にも意味はない。出来事は、貴方がその出来事からどのような意味を見出すのか、問いを与えているのです。」
私は、この言葉、この考え方がとても好きです。好きと言うか、しっくり来る。
発信だって、人間関係だって、仕事だって、「それ自体に意味はない」。意味は、いつだって、自分で作れる。
目の前のことに、どんな意味づけをするか?
こんなことを書いて意味があるのかな?
こんな発信、なんか意味があるのか?
と思った時は、考えてみたい。
「この発信から、私は、どんな意味を見出すのか?」
「そのために、今日から、何ができるのか?」
何のためにやるのか? どうなれば自分は嬉しいのか?
発信のゴールをしっかりと見据えながら、
具体的にできることを、1つずつやっていきたい。
(こちらもご参考にどうぞ)
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