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ひきこもりの解決8(現在と、振り返り2)

前回同様、現在の娘のこと、そして、過去の日々の続きを書きます〜

現在 27歳

今のA型作業所にお世話になり始めたのは、約1年前。
それまでも他の仕事に就いて、
ここに辿り着きました。
B型作業所で調理の仕事をしたり、少しですが公共の仕事でアニメを描いたり、LINEスタンプを作る仕事をさせてもらったり。
この経緯はまた別の機会に書いてみます。

現在の古着のオークションサイトの仕事は、洋服の好きな娘にとって、とても楽しいらしいです。
安定して働けていて、職場の方々ともとても親しくなって、地に足が着いたなという実感があります。
賃金をいただいて、好きなものを買ったり、私の家のそばですが、ひとり暮らしも実現。

イラストや写真を仕事場のインスタに上げるなど、作業の内容などを時々聞かせてくれます。

仕事の後や休日に、職場の人たちと遊びに出かけて行きますが、数年前まで友達は一人もいませんでした。

LINEも嫌い、面倒臭い、人と関わりたくない、
モヤモヤしたフラストレーションいっぱいだった娘が、今では頻繁に楽しそうにLINEをしていて、
いろいろな楽しみを見つけたようです。
私の家でのホームパーティー?!
信じられないほどです。
出会いに、感謝いっぱいです。

それでは過去の辛い時代の振り返りを、続けて書きます〜

2012年 16歳

当時家から一歩も出られない日々を送っていた、対人恐怖症でもあった娘。
長時間✕2日間の高卒認定試験に耐え、合格して高校を退学しました。
完全に停滞している日常に、久しぶりの動きでした。
本人としては、ひとまず負い目はなくなったというところだったようです。

親からの指示や、時期を誤った提案は良くないことが多いと理解していたので、出来るだけしたくなかったのですが、
これだけは受けておいたほうが良いとアドバイスした結果の受験でした。
とりあえずその後も、この件に関しては後悔することがなかったので、正しい選択だったかな、とは思っています。
これを受けて、そのあとの専門学校(アニメ学科)への進学には繋がりました。

私はその頃最初のパン屋にパートで就職。
鬱で休職中の元夫と、ひきこもりの娘がいつも家にいて、気持ちは重苦しかったですが、
願っていたパン製造の仕事に就いたことで、身体はヘトヘトでも、学ぶことがたくさんあって、自分に弾みをつけて過ごす日々でした。
バセドウ病の持病があり、仕事が精神的にもキツくなったときに急激な悪化があったものの、治療を施しながらやり過ごしていました。

ただ、バランスよくいけるときばかりでなく、家庭内が歪み過ぎて心が疲れてしまった時、
今度はウィークリーマンションではなく、安い賃貸ワンルームマンションを借りることにしました。

もちろんこれまでのように、ある程度の出費では済まないわけで、先立つものがない限り不可能なのですが、
不思議なことにその頃、子供のいない私の叔父が、急に甥や姪に少しずつ現金を分けてくれることになり、
それがなければ実現しなかったので、助けが来た〜〜!と思って使わせてもらうことにしました。

夫、ようやく父親になる

元夫は、それまでは、一人娘(顔も似ている)なのに、赤ちゃんの頃から抱っこしたのはたった数回?? 
娘をそばに呼び寄せたことも、
抱き寄せたことも皆無、興味もほぼ持たない‥ 自分からアクションを起こさない人‥‥
何も聞いてやらない‥ 目の前にいるのに‥。 

たとえ我が子でも対人、最小限のコミュニケーションのみ取る。
ただ、そこにいないのと違って、そばいるのに知らん顔されるのはキツイものです。

この家庭で育って、思春期に成長した娘は、寂しい思いを抱えた安定しない子でした。

不登校で担任の先生の訪問があったときにも、夫は自分の部屋で隠れていたくらいだったので、
父親の自覚のレベルは不明という感じ‥‥

働かず寝たり起きたり、鬱の父親を持つ子供は統合失調症を発症しやすいと聞いたのは随分後からですが、
社会の中で役目を果たす父親の姿は、恐らく子供の立ち位置の安定や基本的な安心に繋がるのではないかと、思います‥‥
家庭とは違った、社会との繫がり方を学ぶのでは‥‥

さて、世間からは隠れるように1日を過ごす、という意味合いでは理解し合えるような二人。
知らん顔とは言っても、嫌いなわけではないので最低限のコミュニケーションは取る夫。

そんな二人で協力して過ごしてもらい、
私は仕事と自宅と借りた部屋を行ったり来たり。実家へも掃除や両親の様子を見に通う日々。

スーパーへは買い物に行く夫だったので、家では主に、今日の食事をどうするのか、洗濯して、娘はウサギの世話をして‥
娘と直に対応しなければならないことで、夫についに、父親としての自覚が目に見えて生まれてきました。

!!! 
希薄だった感情がやっと動き出したみたい。
自分の問題、になったのかな。

日常は淡々と、二人には社会的な役目もないし、娘に今後どうするのかと迫ることもない時間がただ過ぎていきました。
ちなみに我が家は夫の傷病手当金でひとまず生活できていました。

娘からの訴え

こんな寝たきりのような生活を何とかしたい! もう辛い!!
お母さん、どこかで相談して聞いてきて欲しい!!!

ついに娘が私に強く訴えてきました。

わかった。相談してくるね。

私のタイミングでなく娘のタイミングで、差し迫った思いをぶつけられ、
私は精神保健センターを訪ねることにしました。
動き出すタイミングが、ついに訪れました。

16歳の夏、本来なら10代で一番楽しい頃です。ずっと辛くて悲しい時間が過ぎていました。
そして、事態は動きました。✨

つづく

今日も読んで下さってありがとうございました☺️

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