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逆算して生きる2(こんなおばあさんになる)


後悔しにくい生き方をしたい

不登校・ひきこもりの解決2の
記事に書いたのですが、

私は子供の頃、宗教第一主義の母親から、本来の私の内面には興味を持たれず母親の人形のように育てられて、その反動なのか、

死んでからを楽しみに生きろ、と、まるで老年期を意識させられる視点を要求されていたせいなのか、

30代の頃には、年老いたときの自分がどうでありたいのか、どんな人になりたいのかを考えることは、特別なことでもなくある程度普通のことでした。

いつだったか新聞記事で、
人生を振り返って後悔している人たちはみんな、

あの時こうすれば良かった、何だって出来たのに何故自分は何もしなかったんだろう、
もしも30年前に戻れたなら、あれもしたい、これもしたい

そんな風に口を揃えて言う。
とあり、

ええ‥。それでは遅いよね‥ 
私はそんな生き方はしたくないなあ‥
後悔しにくい生き方をしたいな。

未来から今に遡って生きる??

それなら、もはや未来から30年前にタイムスリップして人生をやり直している人みたいに生きればいい。と単純に思いつきました。笑

ちなみに日本人は、将来どんな人になりたいですか?という問いかけには、職業を答えるんだそうですね。もちろん、若い世代への質問ですけどね。
どんな人になりたいかは、職業なんですね。

私の場合は、将来=年老いた時の自分 なので、職業というわけでもなく、

日々どんな楽しみを持って暮らしているか、それによって幸せややり甲斐を感じているか。
誰かのために役立ったり手助けしたり出来ていればいいな。
それこそが、どんな人になりたいか、の答えなのかなと思います。

目指したいところへ向かうために、今何をすればいいか。
そのことに想いを巡らせることになりました。

こんなおばあさんになりたい

本や雑誌、テレビやネットで見つけた私の憧れる女性たちは(もちろんおばあさんに限りませんが)

人生を楽しんで生きている、芯のある素敵なオーラが漂う方たち。

どう生きたらそんな風になれるの??
ただボンヤリと毎日を繰り返し過ごしているだけでは、なれそうにないな。
後ろ向きな気持ちでもきっとなれない。
将来は、今に繋がっている!と、リアルに感じました。

華やかな世界に身を置いて来た方もいるでしょうし、立派な経歴の方もいるでしょう。

私がなりたい人は、そんな大それた特別な感じではなくて、もっと等身大の日常を楽しむ女性。
ハードル低めでなりやすい笑)

普通の幸せが得られなかった私だからこその願いなのかなと思います。

モノを作ることが好きだから、将来も何かを作る日々。
まずは、パンを焼くおばあさんになりたい。(等身大)

自分で育てた野菜を載せたピザを焼き、友人や家族と一緒に楽しみたい。

そんな自覚を持ってスイッチオンしてからは、
独学したりパン教室に通ったり、のちにパン屋に就職しました。

仕事なら扱う量が違うし、圧倒的に身につくから。職人さんの仕事をそばで見て吸収したい。

結果的には、のべ5年くらい
パン製造の仕事をしました。

何もしないよりは、後悔しない人生になりました。

若い頃に、フランス菓子というものを習っていたので、お菓子を作ることも好きで何となく細々とやってきたのですが、

近所にあるケーキ屋さんの中でも一番お気に入りのお店のパティシエさんが、時々講習会をしていると知って、

情報を得たときには、嬉々として教わりに行っています。

果てしなく学ぶことだらけ、
一生続ける趣味にしようと思っています。

足りないものを集める人生

食べ物の話に偏っています。笑

ついでに10年くらい前のある時、私の人生に「燻製」が足りない!!と、思い立ちました。笑

今は燻製料理を気軽に楽しめるお店もあるし、ホームセンターへ行けば道具も揃いますね。

当時はまだ燻製ブームも来ていなかったので、
どこかで習いたい!とネットで調べて、

六甲山にあるホテルの裏庭で、一日講習会として開かれた燻製教室を見つけて参加しました。
生活に取り入れる一歩を踏み出しました。

奇をてらった話ではないけど、
これは私の、足りないものを一つずつ集める人生。です。
脳がおめでたいので、そんな些細なことでも満足しています。

母親が、洋裁店から引き受けてするオーダーメイドのお仕立ての仕事を長くしていたため、モノづくりの環境で育ったのですが、

実は、パン屋の前に、
建築模型制作のお手伝いの仕事をしていました。

マンションや街の模型などでしたが、様々な材料や色に囲まれるアトリエの環境に憧れていた私には、願ってもないような仕事でした。感動がいつもありました。

娘がまだ幼児の頃に、家にいる時間が長すぎるので、おもちゃを作り(発泡スチロールやカラー段ボールで)遊ばせていたことがキッカケとなって、誘われた仕事でした。

これは自分から見つけた仕事ではなかったけど、幸せな時間でした。
忙しいときだけ呼ばれて、8年くらい会社へは出入りしていました。

若い頃は事務系のOLだったので、畑違いの世界へと飛び込み続けましたが、
底辺が広がると、収入を得るための次の仕事の選択肢も広がったので、良かったかなと思います。

模型製作もパン屋も、経営が行き詰まって倒産や閉鎖になると、次の仕事場を考えなくてはならなかったんですが、
人生的には満足しました。

ちなみに現在はまた事務の仕事に戻っています。
仕事場で大きな新しい花壇を任せていただいて、ガーデニングを楽しんでいます。

人生の主人公は自分

発達障害、不登校〜統合失調症、鬱病の家族3人(娘曰く、ストレス三銃士 笑)と向き合う中でも、

悩みがなさそう、苦労をしてきた人とは思えない、と周囲に思われてきたのは、もしかすると、
この逆算して生きる気持ちがあったから、私は私、とどこかで意識を切り離していられたのかもしれません。
記事を並行して書いているうちに、そう思えてきました。

誰かに幸せを作ってもらう人生でなく、
自分が主体で生きることはオススメです。
人生の主人公は自分です。

還暦まであと1年と少しですが、
ココまでは、これで良かったと思います。
70歳には、皆既日食を見に行きます
つづく

次回は、不登校・ひきこもりの解決3(子供から離れて!子供は息が詰まっている〜)を書きます。

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