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「なんとなく」で生きてみる

ネット情報で"隣町にNHKのど自慢がやってくる"と知ったのは半年以上前。

歌うことは子供の頃から大好きだったけど、緊張しぃなのでカラオケ大会なんかも出ようなんて一度も思ったことはありません。

でも。でもですよ。
それが、NHKのど自慢なら?

そこら辺のカラオケ大会でも、何だったら仲間うちでのカラオケでも3人以上いるとアガってしまうわたしが、のど自慢には出たくなってしまったのです。

死んだ時に「やったことリスト」がひとつでも多い人生って、何となく面白いじゃないですか。

よし!出よう!何を歌おうかな?

と意気揚々と詳細の発表を待っていた所、年が明け1月。

遂に詳細が発表になったものの、そこでわたしの心が揺らいでしまう結果になるのです。


  • 予選出場も抽選に当たらないとダメなこと

  • ゲストがそこまでテンションの上がらない人だったこと(趣味の問題)



という「なんじゃそりゃ」な理由で、あんなに張り切っていた"のど自慢出場!"の目標がぼやついたのです。

この時の感覚は「なんとなく」。根拠なんてもちろんありません。

(申込むのが)何となく、めんどくさい
(ゲストが)何となく、興味ない

なんとなくの割には全然意思はブレず、完全に白紙になってしまったわたしののど自慢。

その日は3月にやってくる、という事は記憶していたのですが、17日に「確か今日だったはず…」とリアタイの放送も忘れていたためNHKプラスで検索してみました。

ん??大分??

違う………来週かな?


「NHK のど自慢 枚方」で検索をかけると、何ととっくに終わっていました。

その日程は、3月3日。
先週どころの話でもないやん。

ここでふと、自分は3日に何をしていたんだろう?と思い返してみたところ、わたし、コロナで自宅療養中だったんですね。

ひょえー。
こうなると予測して止められてたんちゃうの?!

仮に申込んで→当選して→予選でも受かって(そこは受かる気)→本番、なんて流れになっていたらわたしは体調不良に見舞われた瞬間から、焦りとショックでフィジカルよりもメンタルがやられていた事でしょう。

まぁね、のど自慢に受かってたらコロナ案件の方が遠退くという道筋も考えられるわけですが、わたしに降り掛かってきた現実はコロナの方だったわけですし、もしかしたら今回も単なる興味本位なだけで、腹の底では人前で歌うってことにさして喜びを感じない人間なのかも知れません。

現に子どもの頃、トップシンガーのバックコーラスを演りたい!と夢を熱く語っていた時母親に「何で歌いたいのに、わざわざ後ろにいようとするんだ」と言われた事もあるぐらいです。

今回の件で「なんとなく」には人間の意識下では想像もできない未来予知の力があって、なんとなくだからとなんとなくスルーしてしまうのはかなり勿体ないな、と思ったわたしは今、日常的に「なんとなく」で生きています。

あなたもありません?
きっと、いや、絶対あると思うんですよ。
なんとなく、で受けた恩恵が。

直感って「これやぁーー!!!」と雷が落ちてきたみたいなものだけじゃなく、ぬる~くぼや~っと「かもなぁ~。違うっぽいけど、でも、なんかなぁ~」に潜んでいる事が多いのかも知れません。

「なんとなく」をキーワードにこれからを生きて、人生がどうなっていくのか自分でもかなり楽しみです。


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