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大人になるってどういう事?

ふと考えた、
大人になるってどういうこと?

先日、実家に帰った時のこと。久しぶりに母と些細な事で揉めてしまった。ほんとに些細な事なんだけど、母の言動に対して引っかかることがあって、ついつい口出しをしてしまった。

そのとき母の口から出た言葉。

「ごめんなさい。」

ただひたらすらに

「ごめんなさい。」

私は何も言い返せなかった。どう反応したら良いのかも分からなかった。そして母がちいさく見えた。

私の中での母の印象といえば、とにかく強くて、何事もにも一本気で、責任感も強く、頼もしくって自分の考えに揺るぎない自信があるひと。

「勇ましい」この表現がしっくりくるひと。

同時に、極度の心配症で、どちらかといえば過干渉。厳しい母だし、愛情表現も不器用だったけど、記憶に残っているのは、海のように深くて果てしなくつづく愛情を感じさせる、母との触れ合いばかり。

とはいえ母と揉めた時は、ほぼほぼ娘の私が言い負かされる事がほとんどで、その後味といったら…まあ気持ち良いものではないよね。

社会人2年目に実家を出て、そこからはお互い心地よい距離感が出来て、たまの帰省で親子水いらずの時間を、私は照れながら過ごしていた。

正直、これまで親の変化なんて気にならなかったけれど、この前の母との一件で、私の中での何かが変わった。

「勇ましくて、頼りがいのある存在」から
「ちいさくて、守ってあげたい存在」へ。

母だって1人の人間で、ずっとカッコイイモードでいつづける必要なんてなくて、親という仮面が外れる事があっても当然だなと。

そんな風に感じるようになった。

私たちが親子であることには、生涯変わりはない。けれども従来の「親」への絶対的な期待や「親だから、こうしてくれるだろう」っていう想いが、私の中で消えたことは確か。親への諦めなんかじゃなくて、卒業?この表現がしっくりくるかな。

そこからというもの、母のことが愛おしいとも思えるようになった。母に完璧じゃない姿があって当然だし、なんならこれまでは子供たちのために、ずっと気を張っていたのかもしれないな、とも。

こうやって、母の事を俯瞰して考えているとき、私は「子供」を卒業しているのかもしれないと、感じた。

親に幸せにしてもらおう、なんて気持ちはさらさら無くなり、自分で自分を幸せにすることに夢中になっていて、親の幸せも願えるようになったとき、

その時はじめて
「大人になった」って、自信を持って言えるのかもしれない。

母は今年で63歳。
娘の私は32歳。

ちょっと遅すぎるかな?でもこれからやっと、本当の意味での「親孝行」ができる気がする。

Hiroko

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