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法被と神輿

昨日から肩が痛い。五十肩ではなく、鎖骨の外側の端辺りが少し赤くなっていて、シャツが触れるとチリチリと痛む。そして誰に対するでもなく、こっそりと誇らしげでもあるのだが(笑)、そんな密やかな高揚も痛みとともに少しずつ落ち着いてきた。

実は一昨日の日曜日、神輿を担がせていただく機会があったのだ。結婚してこの街に引っ越してきて以来色々とお世話になり、娘が生まれてからはこの街のじぃじとして可愛がってくださる方が「良かったら担ぎに来いよ」と声をかけてくれたのだ。


実に40年振りの

この手の鯔背いなせなイベントとは縁遠いタイプだと思っていたけど、参加するとなればワクワクしてしまうものだ。とはいえ神輿を担ぐなんて子ども神輿以来だから、かれこれ40年振りである。「久しぶり」というより「初めて」という方が現実に近い。

前述のじぃじは若い頃はヤンチャで鳴らしたタイプで、武勇伝めいた話もいくつか聞かせてもらったことがある。その中には祭りや神輿のエピソードもあり、いわゆる「担ぎ方指南」のようなくだりもあったのを思い出しながら法被はっぴに袖を通すことになった。

娘は近所の子どもたちに混ざって、神輿の前を行く山車を引く。昨年に続いて2度目の法被姿はなかなか決まって見える。今年は妻も揃いの法被を羽織らせてもらって、娘とともに山車に帯同する。

昨年の話

話は遡って、昨年の同じ週末のこと。窓の外から聴こえるお囃子に誘われて近所の神社に向けて家族で散歩していたところ、神輿や山車の準備をしていたじぃじとばったり遭遇した。やあやあと立ち話をしているうちに「法被着てくか?」という話になり、娘は祭りデビューを飾ることになった。

当時4歳の娘は「わっしょい」のかけ声とともに山車を引いているうちに何かしら使命感のようなものに目覚めたようで、汗だくになりながら真剣な眼差しでラウドスピーカーを片手に声を張り上げたりして、素晴らしい体験をさせてもらったのだった。

いざ、神輿を担ぐ

そんな昨年のミラクルばったりもあり、今年は僕にも担ぎ手としての誘いがかかった、というわけである。

はたして、上手く担げたのだろうか? 頭の中で予習した(真面目だなあオレ)じぃじの担ぎ方指南はこんな感じである。

1. 肩と首の間、やや後ろ(僧帽筋の辺り)で担ぐ
2. 高さを神輿に合わせながら、自分の肩を押し付けるようにして担ぐ
3. 担ぎ棒と肩を密着させる。腕を使って錠をかけるくらいで良い

じぃじ

うろ覚えだったり素人なりの解釈があったりするので細かいところの正誤は容赦されたい。

これを頭に入れていたおかげで怪我もなく無事に担ぐことができたのだが、翌朝になって鎖骨の両端が痛み始めたのは、やはりヘタクソだったということなのだろう。

肩を怪我しないことばかり気にしていたが、当日の夜は肩よりも脚が辛かった。担ぎ棒に高さを合わせるため、常に踵を浮かせたり腰をぐっと落とした状態で担いでいたせいで、太ももとふくらはぎがパンパンだったのだ。こういうところには日頃の運動不足が如実に現れる。

不慣れながらも頑張って担ぎ、声を張り、全身びっしょりと汗をかいて、途中数ヶ所で振る舞われる麦茶やビールの旨いこと。今年は娘の勇姿をあまり見られなかったけど、親子ともども楽しい一日となったのだった。

*写真の左側に写っている白髪交じりのオッサンが僕です(笑


子ども神輿の思い出

話は変わって、少年時代。僕の実家は東京・池袋で小さな酒屋を営んでいた。祖父が地元町会の役員のようなことをしていたこともあり、祭りの季節になると神輿や山車のホームとなる集会所に大量のビールやら酒やらジュースやらがウチから運び込まれていた。

僕と弟が揃いの法被を着込んで捻り鉢巻を締めた姿の写真がアルバムに残っているが、これは6、7歳くらいまでのことで、その後はもうちょっとカジュアルに参加していたように記憶している。

子ども神輿そのものがどれだけ楽しかったかは今思い返してみても甚だ疑問だが、普段とは何か少し違う浮き立った雰囲気というか、日常の中のちょっとした非日常性のようなものがなんとなく楽しくて嬉しいのは、40年経った今でもそう変わらない。

ふくろ祭りと長崎神社

地元池袋で祭りといえば、最初に頭に浮かぶのはやはり「ふくろ祭り」だろう。周辺の各町会からいくつもの神輿が出張り、池袋駅西口周辺は大変な賑わいになる。

これらの神輿はなかなか本格的なもので、その担ぎ手や帯同する大人たちはそれなりにワイルドな雰囲気の人を中心に構成されている。中学生くらいになるとクラスでもちょっとワルいタイプの友人連中は、背伸びして装いもバッチリ決めて参戦していたりする。喧騒の中で普段とは違う同級生の大人びた姿を垣間見ると、当時真面目っ子だった僕はなんだか少しドキドキしていたものだ。

ふくろ祭りは地元の町会や商店会だけでなく、自治体やJR、大手百貨店などが主催・共催に名を連ねている。そのせいかどうかは分からないけど、いわゆるテキ屋の露店が並ばない。10代も後半になるとこの辺りが少しつまらなく感じてしまって、少しずつ足が遠のいた。

露店で賑わうような雰囲気の祭りを楽しもうとなると、地元界隈では長崎神社の例大祭ということになる。この日は長崎神社の麓から境内まですごい数の露店が立ち並び、この縁日の夜だけは歩くのもままならないほどの人出でごった返すのだ。少年の頃は境内の片隅で型抜きを嗜み(どうやっても成功しない)、中高生の頃にはチョコバナナやあんず飴を片手に友人と連れ立っているだけで特別な楽しさがあった。

余談ながらこの長崎神社の境内は、高校時代の夏休みに好きな子に告白してあえなくフラれたという甘酸っぱい思い出の舞台でもある。


そんな少年ももうすぐ50歳。ひとりの立派な親バカとして、同級生ではなく愛娘にドキドキしっぱなしの毎日を送っている。しかしながら、祭りの雰囲気に対する高揚感は少年時代も今も変わらないものだ。

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