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いいわけ

父ちゃんとの温泉旅行は、まだ続く。
心だけ定山渓に取り残されて、
繰り返された先の、先の見えない日常の中にいる。

寝る前に、父親が「ラジオを聞きたい」と言い出した。
いつも同じラジオを聞きながら、眠りについているらしい。9時就寝、3時起床。パン屋さん?早起きして朝ごはんを食べて新聞を読んで、1時間歩いて出勤しているらしい。

スマホでダウンロードしてみたら聞けそうだったので、サイドテーブルにスマホを置いて、電気を消して流してみた。いつものラジオを聞くことが出来た父親は、数分でイビキをかきはじめた。僕は携帯をそっと消した。

夜。煙草を吸いに外へ。澄んだ空気といつかの記憶。こっちの勝手だけど、言葉を交わさずとも、お互い何かを取り戻そうとしている気がした。

温泉を昼前に出発して、姉ちゃんの家に遊びに行って、遂にお別れ。

「な!ひろき。がんばれよ。どうにかなるからな。」
いつも通りのやり取り。小さい声で「お前がな」と言って見送る。背中が本当に小さくなった。

おもしろいくらい当たり前に、一緒にいて楽しかった人とはもっと一緒にいたくなって、いなくなってほしくないと思う。大切な人が全員近くにいたらいいのに、なんて考えてしまって。あぁ。また会えなくなってしまうもんね。なんで自分から苦しみに向かっているんだろう。

どうにか一緒にいたいって思ってしまった。

東京。
なんでここにいるんだっけ?

まぼろしだったんじゃないかというくらい、毎日が思い出を消し去ろうとしてくる。抗うように全てを思い出そうとした。人生、この3倍くらいは思い出が積み重なっていくなんて、とてもじゃないけど考えられない。どんな気持ちになるのかな?

眠れなくなってしまった。
寂しさを紛らわすために携帯を開いた。ラジオアプリのことを思い出した。思い立ったように、同居人を起こさない音量で、耳元でかけてみる。

「嫌な天気が続いていますが、気持ちは晴れやかにいきましょうね。」


父ちゃんも横になって、この声を聞いているだろうか。ラジオをかけて、すぐ寝てしまっているだろうか。
少し笑って、すぐ眠れた。

眠れない夜が来たら、いつものラジオを聞こうと思う。
そうやって一緒にいようと思う。
そうやって言い訳して生きていこうと思う。


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