「45%」にどうか馴染んでしまわないで。(2020/7/6)

起きている間はずっとはしゃぎ倒しては賑やか過ぎる、うちの6歳と4歳のオス二匹が、投票所の体育館に入った瞬間、しゅっと黙って、しゃきっとした顔になった。そして、大人たちがひとりひとり書いては箱に入れていく姿をじっと見つめていた。

僕が投票する候補者は大抵当選しない。そりゃそうで、少数の弱い立場にある人に味方する候補者を選んでいれば、多数決の世界では負けちゃうから。
でも、だからこそ少数派の票には意味がある。選挙の瞬間にだけ「定量化」される弱い立場の声があるから。真剣な声、中には必死の叫び。

鉛筆の音が響く体育館のぴりっとした空気を吸って、子供たちが感じるものがあったらいいと思う。当選する人は限られているけれど、ひとりひとりにいろんな意見があり、そして真剣だということ。選挙は勝ち負けでも「人と人とは勝ち負けではない」こと。

選挙が、子供たちのためでもあるならば、大人たちが投票する背中を見てもらうだけでも、十分に意味がある。無理に政治を語らずとも、候補者を選ぶためにポスター眺めたり、ネット検索したり、テレビに文句言ったりしている姿を見てもらうだけでいい。

45%が棄権した都知事選。45%が大人になりたがらなかった東京都。投票した候補者が落選したことよりも悲しいのは、45%の無力感に子供たちが馴染んでいってしまう未来を感じてしまったことだった。