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社会に裁かれた人

あの日はたしか夜の11時ごろだったと思う。飲み会からの帰り道、私は地下鉄に乗った。

空いている席を見つけて腰掛ける。すると、向かい側の座席に見覚えのある男性が座っていた。「知り合い」というわけではない。つまり、メディアを通して見たことがある人物だったのだ。

彼はかつてとある報道によって強烈な社会的制裁に晒された人だった。警察から逮捕されたわけではない。けれど、スキャンダルの重みに耐えかねた彼は、社会の表舞台からすぐに姿を消してしまった。その彼が、偶然にも私のすぐ目の前の座席に座っていたのだ。

電車に乗っているあいだ、彼とは一度も目が合うことがなかった。というのも、彼はサングラスをかけるでもなく、マスクをつけるでもなく、口を真一文字に結んだまま、ななめ上の方角を頑なに見つめ続けていたからだ。

彼は網棚の上に貼ってあるだろう横長の広告のほうをずっと見つめていた。そこでなら誰の視線と出会うこともない、そんな空間を彼の視線が自然と見出したのではないかと思った。

私は自分が彼の顔を記憶してしまっていることがとても悲しかった。自分が彼を知っている、彼の顔を覚えている、それによって体が、目が、反応してしまうからだ。見たことがあるから、一度は見てしまうのだ。

「よく電車に乗れるな」
「視線がきつくないのかな」
「サングラスをかけなくてもいいのかな」

そんな思いが自然と頭の中をめぐってしまう。誰もが利用してよい電車に乗っているだけなのに、そんな風に考えてしまう。

彼はきっと気づいていた。自分を含めた複数の目線の存在に。そして、彼はおなかのすぐ前で、両の手をぎゅっと握りしめていた。

裁いた側は忘れていても、ひとたびその対象が目の前に現れるだけで身体が否応なしに思い出してしまう。

そういう無名の群衆たちの目線を、彼はいつまで意識し続けていくのだろう。一体どれくらいの時間が経てば、私は彼の顔を忘れることができるのだろうか。

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