考えれば考えるほど答えは遠のく

全能の神に

誰も持ち上げることのできない物を作らせたとする

すると全能の神はそれを作るのだろうけど

自分自身もそれを持ち上げる事ができないのだから

全能ではなくなってしまうというパラドックスを抱えることとなる


亀を追いかけるとする

文字通り亀が元いた場所にたどり着いても

亀は先に進んでいる

次に亀がいるところについても亀は先に進んでいると考えると

捕まえる事は不可能ということになる?

言葉の矛盾が作り出す言葉の追いかけっこは面白い、全ては想像の世界の話ではある

僕はこれが芸術にも適用されると思う

芸術家は完璧なものを作る事ができない

作ってしまってはそこで終わってしまうから

逆に完璧なものなど元から存在しない

では何を目指しているのだろうか?

売れれば良い?

売れなくても良い?

素晴らしい芸術が必ずしも売れるわけじゃ無い

しかし売れなければゴミのように捨てられてしまう事だってある

芸術家は一体何がしたいのだろうか?

この絵は酷いねと言われる

しかし次来た人には素晴らしいと言われる

これでわかるのは人によって世界の解釈が違うという事である

自分が素晴らしいと思ったものが人からすればまさにゴミのような事でもある

それでは今、関わった全ての人がそれを素晴らしいと言えばそれは素晴らしいという事の裏付けとなるのだろうか?

実はこれはあくまでもみんなが共通認識で作り出している世界の範囲での話になる

しかし!笑

かといって自分を貫いて押し出していくと、自己満だといわれてしまう

みんなのことを考えて色んな世界に認められるようなものを、作るとそれは果たして自分の作品なのだろうか?ということになる

ならば、みんなの意見も聞きながら

自分の自己満も見せながら

半々で作り上げればそれは最高傑作と言えるか?

あくまでも言葉に忠実に作り上げるとこういう矛盾にぶつかることになる

芸術はそんなものじゃ無いといえばそうなのだけれど

逆に芸術はこういうものだ!!と言い切れるものも見当たらない

くだらないことをぐちぐちと考えやがってと思う人もいるだろうけれど

こういう矛盾にぶつかることもまた一興と思える、芸術は常に何かの瀬戸際に立たされているわけだ


芸術で例えるとこうなるが

人間として考えるとどうだろう?

最高な人間とはどういう人間のことだろう?

良い人間とはどういうことだろう?

悪い人間とはどういうことだろう?

最低な人間とはどういう人間のことだろう?


最高な人間は居ない

なら

最低な人間も居ないということになる

となるとこの間に挟まれている

良い人間と、悪い人間というのも決まったものは無いということになる

良い人間の面と悪い人間の面

これが占める割合の問題であって

生きている以上流動的に変化していくはず

しかし、それを第三者が見ると

この人は良い人間

この人は悪い人間

という線引きがついてしまう

それではこの第三者はどういう人間なのだろうか?

この第三者もまた流動的であるはず

つまりそんな人間は存在しないのでは無いか?


芸術に戻すと

何を描いても良い

何を描いても駄目

どちらも言える

つまり


勝手にしやがれだよ馬鹿野郎🤣

知らねーよそんな事

自分が何かすらわからない

誰にもわからない

自分が自分を判断するにしても他人と比べても仕方ない

かといって自分で自分を正しく捉えることも難しい、というか不可能だ

勝手にしやがれだよ馬鹿野郎🤣

全ては流動的

過去も現在も未来も、全てはあってないようなものだ

自分という人間が生きたという証は残れど、どういう人間だったのか?というのはあくまでもあってない想像の中でしか無い話なのである

今自分が生きているとか、死んでいるとか

人生がうまくいっている

いっていない

これら全て何もかもが

全く逆かもしれない

逆ならまだ良い

全く違う事かもしれない

正解はない、が、みんな正解を探している

オロオロと歩き、何かを探し彷徨っている

これがある意味で正解なのかもしれない

たどり着かない事がまさに正解

僕は芸術家としてこの命が消えるまで、何かを描き、そして確実に道半ばで死ぬ、それ以上でも以下でもない

人生に起承転結は無い

人生は時に小説よりも奇なり

ってね💁‍♂️

#パラドックス #矛盾 #芸術 #人生 #芸術家 #画家 #飯田大輝


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