無名画家の憂鬱

物憂げな薄い雲が何層にも重なり合っていよいよ威圧的になってきた頃、それを頭上に感じながら私はどうしたものかとぼんやりと考え始めた。

遠くの景色は既に圧に押し負け始めているように見える、その姿は皮肉にもやけに美しく見えて私は筆を取ることを決意した、この決意が一筋の光を雲間から勝ち取ることに成功した唯一の戦利品である

しかし未だ戦況は明るくなく、9割は憂鬱な戦局を示している、しかしその一筋の光は9割の憂鬱に勝る価値があるように私は感じた、威圧的な薄い雲の重なりの上には間違いなく燦燦と光が降り注いでいることは間違い無いと確信できたからだ、と言うよりか、その一念にすがっていると言えるかも知れない

要は物事は捉え方なのだろう

9割の憂鬱に苛まれ、全てが駄目だと思うのか?1割の一筋の光を正に希望の光だと捉えて力に変えるか?なのだろう

しかし、芸術はそんなものには収まらないことをご存知だろうか?

創造という人間に許された最大の武器がたとえ全てが憂鬱に苛まれていたとしてもそこに希望を創造することができると私は思う

例え自由を奪われたとしても心まで囚われる必要はない、と、牢獄の中で誰かが言っていた

私は芸術家としての気質を幾らか持っている、いや全ての人々は多少なりとも持ち合わせているし、それの多い少ないで生まれながらにその人の人間が決まる事はないと私は考える、ましてや才能の有無など以ての外だろう

私には才能が無い。なんて事を自称才能が無い自分で判断できるなんて不可能である

才能があるとするならば、その才能の有無を見つけ出せるのは才能を持った人である

自分が人に何を与えるか?自分自身に何を与えるか?これが全てなのである、その中に才能も含まれている

人に才能があると言われても、それを信じれない人は才能が無いも同じである、自分で自分に与えなくてはいけない

あってないようなものなのだ

冒頭で述べた9割の憂鬱もそう

そこに希望を見るか?絶望を見るか?なのである、私は自分に幾らかの芸術家としての資質があると踏んでいる、なぜなら私は希望を創造できるからである

生きる上での希望はもちろんだが、描き続けようとする情熱も生きる希望となる。

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