出会い

昨日は茨城の霞ヶ浦に早朝から出かけた、友達に誘われて釣りに行ったのだ

しかし、前日の仕事が0時を回り、睡眠時間を取るには少し無理があるスケジュールになりそのまま寝ずに釣りの準備をして始発に乗り込んだ、そのまま日が暮れるまで炎天下の下ポイントを変えながら霞ヶ浦を周回した、そんな中、やはり睡魔を吹っ飛ばすのは魚がかかった時である、思わず大声で「キタキター!!」と友達にアピール、みんなも寝ずにきたのだがおおーー!!とか叫びながら走ってきた、なかなか大きく網で友達が引き上げてくれた

まぁーブラックバスではなく鯉だったのですが70センチはありました、嬉しいが、バス釣りしにきたのにこの日はバスは1匹も釣れることはなかった、水面にたまにバスは姿を現していたがあざ笑うかのように水面に投げ入れたルアーやらワームをすいっとかわして底に消えていってしまった。

その時の霞ヶ浦の夕日は美しく、釣れはしなかったが何の後悔も無かった、日々東京の街を眺め、仕事をして、部屋で絵を描き、珈琲を飲みに喫茶店に行き、本を読み、読み終われば神保町に足を伸ばして本を漁る、映画を見たり、友達と飲みに行ったり

そんな東京での日々からすれば、霞ヶ浦でひらけた景色を眺めているだけでも充分良い気分になったのは確かである、霞ヶ浦に着いた時、友達とこんな会話をしていた

「釣りする人には霞ヶ浦は最高だけど釣り以外は何も出来ないね」

今思えばだからこそいいのではないか?とも思う、そんな事を言いながらも夜電車で東京に戻ってきた時もなんだかんだで帰ってきたなーという気分になった、実際茨城はすぐそこでそんな遥か彼方の地方でも無いが、やっぱり東京に帰ってきたというなんとも言えない安心感があったのは確かである。

その日は家に着くなり寝落ちして、起きた時には昼過ぎになっていた、しかし明日からまた仕事もあるし寝て終わるのも癪だからとシャワーを浴びて着替えて財布と小説とタバコをポケットに滑り込ませる(いつもの僕の持ち物である、僕はバックとか持つのがあまり好きでない)。

薄々感じていたが腕と顔と首が真っ赤でヒリヒリと痛い、久しぶりにこんなに焼けたような気がした、子供の頃の夏休みを思い出しながら少し嬉しくなってヒリヒリを感じながらまた日差しの下へと出て行った。

食欲はあまりなく行くあてもない、携帯を見ると友達からの着信と、昨日釣りに行ったメンバーからの次への意気込みと、画家の友達からの芸術に関する今の心境について、が入っていた

それらに返信をして炎天下の中をフラフラと歩いていく、先ほども言ったが、東京で僕がやる事はだいたい決まっている、実際コロナが来てからより狭まってしまったのは事実である、少し前までは画家として資料集めと称していろんなところへ一人で旅行に出ていた、とてつもない貧乏旅行だったがとてもとても楽しかった。

旅行の話はこのブログでもちょいちょい書かせてもらっているから割愛👍

今日言いたかったことは、東京の街には何でもあり、とても便利、だが、実際自分が生きるのに本当に必要としているものは東京の中でもほんの一部に過ぎないという事である、その一部を抱えた人々が物凄い数集まっていることによって、誰かにとって必要な物が場所が人が、ここ東京に密集して街として成り立っているわけだ、言い換えれば同じ東京に住んでいたとしてもすぐ隣は全く知らない世界なのである、これだけ密集していれば出会いもさぞ多かろうと思うのだが、よく言われるのは東京はたくさんの人がいるのにどこか寂しいというものである、もしかしたら寂しい人達が集まってきたから寂しいのかもしれない。

僕の体験談で言えば、一週間ほどで組んだ一人画家旅行でも旅先ではなぜか一緒に飲んだり、車に乗せてくれたり、お弁当をくれたり、電車でも長話をしながらそれぞれの目的地で降りていく人々と出会うのだ

東京ではそれはそれはたくさんの人たちとすれ違うのに、東京と画家旅行で向かった旅先とで出会いの数を比較しても遜色ないように思う

これは多分僕という人間の出会いの容量によるのかもしれない

どんなに過疎化した小さな海辺の町でも出会うし、どんなに人口過多な高層ビルの海の街でも同じ間隔で人は繋がっている

人は出会う時に必ず出会う

場所こそ偶然なのである。

これは少し自分でも改めて考えてみる価値はあるなと思った。

#画家 #芸術 #出会い #東京 #飯田大輝 #釣り

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