私の芸術運動196無難な人生

引っ越ししてひとまず一息ついた。

引っ越す前からぼんやりと思ってた事がふと頭の真ん中に来た。やっちゃえやっちゃえという自分と、いや、順序立ててやった方が良いよという自分がいる、結局私はそうやっていくつものチャンスを踏みしだいてここまで来てしまった気もする、逆にそれによって私は知らぬうちに救われてきたような気もする、多分私は無難な人間なんだろうなと。

いつかは!いずれは!そのうち!そう言っている間にどのくらいの時間が過ぎたんだろうか?全てが無駄な時間とは言わないけれど、行動一つでは全く違った今があった事だろう、しかしここで一つ言っておきたい、言い訳に聞こえるようだが、私の頭の中に浮かぶアイデアというのは本当に夢物語であり、非現実的だ、だからこそ夢なのだがそれを実現させるために動く事が大切というけれど、自分の頭の中の夢を一つ一つ全力でやっていてはキリが無い様に思う。

できない理由を言いたいのでは無くて、私は本当は何がしたいのか?を知りたいわけです。

自分にとっての正解だけをやる事は正直難しいけれど、私の様な人間は思いつきでふわっと動いたと思ったらさらっと忘れてしまう、つまり三日坊主だ、ロバに乗った人間が釣り糸で人参をロバの前にぶら下げるとそれを追いかけてどこまでも走っていくという風刺があるが、そんなふうに目の前に漂うものに惑わされ続けたくは無いと私は考える、そういう経験も生きていれば自ずとすることになるけども。

何にでも挑戦する事はいい事だが、本当の挑戦か?どうか?も考えた方が良い気がしている、案外そんな人間の一挙手一投足で簡単な未来ならいとも容易く変容する気がする、そういう関係性の中で未来は常に変化していくのだからそれもあながち過言では無い。昔の話だけど、将来私は画家になりたいなとまだ思っているだけの頃、「自分は歌でやっていきたい!!」と目を輝かせていた人がいた、私もそれに鼓舞される様に、しかし私なりにいつもの癖で本当の挑戦か?どうか?を問いながらも私は絵を描き始めた、その人とは知り合い程度の関わりでしかなくしばらく会うことも無かった。そして一年後に私はお粗末な個展を開いたけれど私はとてもいい経験だったと思っている、その個展に歌を志す友人を呼んだのだが結局現れなかった。後日改めて会う機会ができた、その人は個展には行きたかったが、仕事が忙しくて行けなかったわ、と言う、それは仕方のない事で私は特に気にも留めなかった。「歌の方はどうなった?」と聞いたけれど。どうやら歌はやっていない様だった、むしろ始めてもいなかった、それどころか私に向かって「まだ夢見てんの?やっぱお前って面白いやつだね」と言って笑っていたが、なんだか気まずそうな顔をしていたし、実際気不味かった。珈琲を飲んだ帰り道で不意に「夢諦めんなよ、応援してるからな」と言われたけれど、私の中には何とも言えない気持ちが渦巻いた、夢を語り合ったあいつはあの頃から既に堅実に生きていた、結婚を前提に付き合っている恋人も居て、会社に勤めて、車も買っていた、私は自分のこれからの事を思うとやっぱり不安だった、何も切り拓く事ができていない自分、ただ絵を描くだけの日々、そこには喜びがあるけれど、社会は私の様な奴には一切興味が無い様に思えて仕方なかった。

私は今も絵を描いている、夢を語りあった頃から考えてあれからもう10年以上は経たった。結果的に私は自分の挑戦が本気だったという事を知ったしありがたいと思うと同時に、何故かとても寂しい気分になったのを思い出している、正直今も私は相変わらず不安だ、不安を打破する道筋すら見えない、ただグルグル回る想像も及ばないほどの大きな銀河を目の当たりにした様な、そんな気分。

しかし、そんな事はよくある普通の事、当たり前の事で、誰もが生きていれば不安や焦りを感じたり、もちろん喜びなんかを見出して生きている、今の私だって当たり前の結果で、なる様になったというだけの事だが、それはあまりにも冷めた考え方の様にも思う。結局のところそんな中で自分がどうしたくてどうするのか?が全てである、それをやる、やらないは自分で決める事、、か。

私の頭の中には今もいくつかの夢がふよふよ浮いている、たいてい泳がせておけばどこかに行ってしまって忘れてしまうけれど、今頭の中で泳いでいる3匹は威勢よく泳ぎ続けてる、居なくなったかと思うとまたふよふよと戻ってきたりする、じゃーやればいいじゃん?と言われるかもしれないが、これには私のタイミングというものがある、言うなれば金魚すくいの要領だが、その金魚すくいの屋台を見つけたり、他の屋台を眺めたり、歩き疲れて休憩したりして、ようやく帰り際にまた目についた金魚すくいをならばやってみようかな?と挑戦する、そんな遠回りも含めて全てはタイミング、私はこういう事の積み重ねがある時夢で見た情景と重なる瞬間がある時に突然訪れる様な気がする、そんな矛盾した楽観主義者でもあるわけだ、もしかしたら頭の中からどこかへ泳ぎ去った夢たちも知らない内にもう叶っていたのかも知れないじゃ無いかとすら思う。

決して私の様な人間にはなっちゃダメだと思うけれど、私はそんな自分はこれでいいと思ってる、だからダメな人間なのかも知れないし、そうじゃ無いかも知れない、可もなく不可もない無難な人間なのかも!何より自分に甘い。

石橋を叩いて渡る、という言葉があるけど、私は結構叩く、だけどよく考えてみたら、橋を渡って向こう岸迄の最短距離でゴールに行くよりかは、もう少しこの近辺を散策していろんなものを見たいなーと今のこの状況をもったいなく感じたりする、その内にフラフラと歩き始め、気づいた時にはなんやかんやで橋の反対側に辿り着いていたりする。様な事があるかもしれないなーと思ったりする。

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