見出し画像

「場数を踏む事」そして「覇気」、沖縄拳法中村道場中村丈人先生のお話

本日は、私が高校生の頃(今から30年以上も前)のお話しです。

私は学んでいる空手は、沖縄拳法(開祖:中村茂1891〜1969)という流派です。
私の地元名護市で発祥したという事もあり、沖縄拳法中村道場(中村丈人1934〜)への入門を決めました。

中村丈人先生は、基礎練習や型や試合などの練習は勿論の事、
多くの場数をこなすよう」常々言っておりました。
特に演武などは、地元のお祭りから大きな大会まで出来る限り出ておりました。

当たり前ですが、人前での演武は緊張します。
しっかりやったつもりでも、
後から自分の演武をビデオで見てみると、
スピードが速くなっていたり、形が崩れていたり・・・。

如何に人前で100%を出すことが難しいかを実感しました。

さて、1990年8月「第一回世界のウチナーンチュ大会・空手道古武道世界交流祭」が開催さる事となりました。
県内の各流派を始め、全世界の空手家が沖縄へやってくる盛大なイベントです。

その大会で、私にとって大きなチャンスが訪れます。

大会の最終演目は、各流派の先生達の演武ですが、
沖縄拳法からは、中村丈人先生と中村靖先生(現沖縄空手会館館長)の「鎌対棒」という演武(以下組み棒)を行う事となりました。

しかし、靖先生が仕事の都合で出場できなくなってしまい、
急遽、その代役として私が選ばれたのです。

高校生の私にとっては、大抜擢です。

先生は「棒」
私は「鎌」での演武です。

実際に組み棒の演武に取り掛かってみると、
(棒の打下ろしを鎌で受けるのですが)
その威力・衝撃が強すぎて完全には防げません。
また、受ける位置を間違えると指に当たってしまいます。

先生から「指先での武器の持ち方や受け方」など教えて頂き、練習を重ねました。何より、先生の棒を受けたり、直接教えて頂ける事は大変貴重でした。

本番当日、
世界各国から多くの空手家を迎えたコンベンションセンターでは、
各流派の演武が続き、大きく盛り上がっておりました。

プログラムは順調に進み、最終演目の順番がやってきました。

剛柔流・上地流・小林流等々各流派の高名な先生達が行う演武、
会場は、先ほどまでと打って変わり静まり返っております。

演目の中で、(2人で行う)組み棒の演武は、沖縄拳法のみ。
緊張の中で2名の息を合わせなくてはなりません。

そして、明らかに高校生の私だけがレベルが異なります。
私がミスをすると、
丈人先生を始め各流派の先生方や大会側にもご迷惑をかけます。

そのプレッシャーの中、私達の番がやってきました。
大きな会場の中央へ移動します。

中央に立ち、ふたり向かい合います。

先生が構えました。

初撃・・・(棒の打ち下ろしを鎌で受け)

これまでで受けた中で一番強い衝撃でした。

2手目が飛んできます。

すぐに体制を立て直して、受けます。

緊張や不安どころの話ではなく、
その振りの速さと威力に
何がなんでも対処しなければならないという必死の状況でした。

演武は、無事終了しました。

控室に戻り、先輩達からの声で緊張が解けました。
それと共に痛みが戻りました。

実は、この数日前・・・、
私自身の油断から、怪我をしてしまい、
まともに歩ける状態ではありませんでした。
しかし、先生に出場させて下さいとお願いし、本番を迎えました。

不安の中での演武でしたが、
結果は、いつも以上に動くことができました。

なぜ、動けたのか?
はっきり感じたのは、(言葉でどう表現したらいいか困ったのですが)
向かい合った時の先生の「覇気」です。

明らかに演武会場中央に立つまでは、痛みがありました。
先生が構えた瞬間、緊張と痛みが消えました。
つまり、先生の覇気に引っ張られたのです。

この日の出来事は、
先生が常々言っていた言葉と共に大きな経験となりました。

場数を踏みなさい、道場のように恵まれた環境はないよ、道場でできたからと思って慢心するなよ

先生の言葉には、たくさんの意味が含まれております。

昔は今のように詳細を教える事は、少なかった気がします。
技にしても先生の動きを真似する事から始まり、
少ない言葉をヒントに稽古を重ねておりました。
何度も寄り道しましたが、その過程で得られることも多く、
思いがけず他の技で役だったり、
教える立場になった時に役立つ事もありました。

これからも先生から頂いた言葉を胸に、日々コツコツ練習を続けていきます。

画像1

左:中村靖先生 右:中村丈人先生
演目:鎌対棒 
1989年頃

この記事が参加している募集

忘れられない先生

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?