多様性社会と無関心主義
「多様性が大事だ、ダイバーシティを推進しよう」
最近よくいうけれども、多様性を大事にすることは、どのような結果をもたらすのだろうか。
たしかに個々を大事にする方向に向かっているのか、お互いの違いを認め合い、「こうあるべきだ」という考えは受け入れられなくなるような印象がある。
多様性というのはフラットに考えれば、「自分」以外の人、モノは、どんな考えを持っていても良いという考えだと思う。
そこに対して意見や考えが出てくるかもしれないけれど、「それは違う」「こうあるべきだ」とは言えない。
僕の中で間違っていると思っていても「相手はそう考えるんだなぁ」と思う程度にしかなれない。
情報の取捨選択もあってか、同時に自分以外の人や集団にたいして無関心になった気もする。
インターネットで繋がる多くの友人や知人が、怒ってくれたり、悲しんでくれたり、笑ってくれたりする。
たしかにその瞬間は幸せに感じるけれど、それらの言葉は他の人にとってはどうかわからない。
どんどん他人に対して関心が持てなくなっていく。
他人がどんなことを言っていても、それは多様性だから。
最近は「個」が注目される時代。
誰もがスターになれる時代だ。
だけど「個」の多様性を推し進めた先には、だんだん他人のことが信じられなくなる、そんな世の中の矛盾がみえてくる。
他人への無関心が現在のモラルやマナー崩壊の原因や、律法主義的な社会の風潮を作った根底にあるのかもしれない。
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