運送屋のムラさん 第一話

「ナオ。もう21歳だよ。あなたは他の同い年の子に比べて遅れてるの。少しは焦りなさい。」
母はいつもものすごく疲れた顔をして怒っていた。僕は大学生2年生だったが、先月大学を辞めた。昔から勉強が苦手で、課題を提出するのがもっと苦手だった。大学に入ったのも、自分の中では嫌で仕方がなかったが、なんとか耐えて入った。だが、上手く行かなかった。僕が通っていた大学は厳しかった。2年間、一定の単位を取り続ける事ができなければ、自動的に除籍になる。母からは、大学に再入学しろとかそれが出来なければ就職しろとか言われていた。でも、やりたくないことはしたくない。せめて、興味のある仕事をしたい。それが言い訳なのはわかっていたが、どうしても譲りたくなかった。遊んでいたいとか真面目になりたくないとかそういうことではない。昔から興味のないことには身が入らないし、何よりマイペースでいたいのだ。僕が焦ったり、急いだりして良い結果が生まれたことがない。
「言うこと聞きたくないなら、実家を出なさい!」
「わかったよ。じゃあ、出てくよ!」
夜中、その家には怒号が鳴り響いていた。僕はキレ口調で言ったが、本当にキレていた訳ではない。キレられたら、キレ返さなければ僕の本音が伝わらないと思っていたからだ。
 そして、今月、実家を出た。母は逃げだと言った。その通りだ。でも、僕はもう母からのプレッシャーや自己否定のストレスに耐えられなかった。後悔はしていない。いずれは自立しなければいけない。それが早まっただけのことだと開き直った。
 1ヶ月後、自分で物件を見つけ、一人暮らしを始めた。昔から母の躾で家事は一人で出来た。急に一人暮らしが始まっても何の問題もなかった。寂しさもない。むしろ一人になったことによる解放感があった。これからは毎日たくさん働いてお金を稼がないと生きていけない。そこで僕は派遣に登録した。見つけたのは運送業の仕事だ。仕事内容を見ると、"家具家電の配送助手"と書いてある。
「ドライバーと一緒に家具家電を運び、駐禁対策としてトラックで待機をしたり、簡単な仕事です!」
 本当かよ。この手の書き方で、文字通りだったことがない。まあ、派遣の仕事なんてそんなものだと割り切るしかない。とにかく、明日から仕事だ。早く寝ることにした。
 朝6時半に家を出た。派遣の仕事が7:30からだ。朝早いのは構わないのだが、電車で1時間もかかる。電車に乗り遅れる訳にはいかないし、少しでも予定が狂えば集合時間に間に合わない。僕は時間を合わせるのが苦手なのだ。集合の駅に向かうためにモノレールに乗った。モノレールでの移動って同じ東京都内とは思えなかった。とにかく集合時間には余裕を持って着いた。もう一つ遅い電車に乗っても良かったんじゃないか。とりあえず、間に合って良かった。ページに書いてある電話番号に電話する。
「おはようございます。集合場所に着きました。」
「おはようございます。荷物の積み込みがあるので、ちょっと待ってて下さい〜。」声が若々しかった。しかも、コミュニケーション能力が高そうだ。ああ、良かった。悪い人じゃなさそう。この仕事で1番気を遣うのはドライバーの人柄なんだよな。何故なら気難しい人やいきなりキレだす人が多いからだ。仕事のキツさよりもドライバーの良し悪しで一日の疲労が変わる。
 少し緊張しながら待っていると、それらしいトラックが僕の目の前で停車した。チラッと車体を見てみると、会社名が書いてある。これだ。ドアを開け、少し身長の高い車体に乗り込んだ。
「はじめまして。鈴木と申します。よろしくお願い致します。」
「あ、村田って言います。お願いしまーす。」
村田さんは、年齢は30代中半から40代前半、パーマのおしゃれヘア。今まで出会ったドライバーは、小太りで髪も髭もボーボーな人が多かった。それに比べ村田さんには清潔感があった。清潔感がある人はコミュニケーション能力が高い傾向にある。やっぱり僕の勘は当たっている気がする。そして、車に乗り込むと村田さんに聞かれた。
「どっかでこの仕事やってたことありますか?」
「まあ、何回か。派遣で経験があります。」
この手の仕事はだいたいこの会話から始まる。ドライバーからすれば、経験者かそうでないかで自分の負担が大きく変わるからだ。
「ドライバーも色々な人いるでしょう?」
村田さんが気を遣って言ってくれた。
「そうですね。気が短い人が多いです…。」
僕がそう言うと、確かにと頷き笑っていた。
「時間に間に合わないと焦るドライバーが多いんだよね。お前が焦ってもしょうがないんだって。少し焦ったくらいじゃ時間は早まらないから。」判断も冷静だし、他のドライバーを俯瞰で見ている。村田さんは今までで1番マトモなドライバーしれない。そんなことを思っていると、一軒目の配送先に着いた。トラックから降り、荷物を降ろす。
「じゃあ、この布団持ってて。」客宅で使う養生材を運送業では布団という。荷物を置いたり、それを使って、荷物を引っ張ったりするもので、敷布団のような布地だからだ。村田さんは、そう言うと小柄な身体で荷物を荷台から降ろし始めた。村田さんは、身長156,7cmで僕と10cm以上も違う。ただし、身体はムキムキだった。服の上からでも身体の厚みがわかる。小柄に見えるが、腕がとにかく太い。血管がミリミリと走っている。そして、村田さんは2mの高さで重量が100kg以上もある冷蔵庫を降ろそうしていた。
「あ、どこを持てばいいですか?」
「あー、触らないで良いっすよ。一人で降ろすんで。」
マジか。こんなでかいもの一人で降ろせるんだ。僕より小柄なのに。村田さんは、その太い腕で冷蔵庫にかかったプラスチックのバンドを握り、冷蔵庫を挟むようにして、床に降ろした。
「お、おぉ…。すご…。」思わず声が出た。
「まあ、10年以上やってるからね。上手な方っす。」
謙遜しているように言ってるが、自慢していた。
「でもね、これ力で降ろしたんじゃないんだよ。物理や力学なんだ。物の角度や動かし方、身体の使い方次第で重い物を持つことができる。」
得意気に解説してくれた。だが、そこまでは聞いてないと心の中で苦笑いしてしまった。
 客宅に入ると、部屋の廊下が狭く、少しのスペースしかなかった。そこへ来て、部屋がクランクしている。どうやって入れるんだこれ。
「じゃあ、玄関の前に布団引いて、冷蔵庫をその上に乗せて廊下では引っ張って運んでいくから。」なるほど。冷蔵庫を立てれば1番コンパクトに廊下を通せる。さらに布団に置いた状態で引っ張れば、冷蔵庫を安定した状態で運べるため、壁などにぶつけるリスクが最も低い。とは言え、僕は経験が少ないため、やり方に慣れていなかった。
「じゃあ、俺引っ張るから荷物を押して。」
「あ、こうですかね…?」
僕は冷蔵庫の上部分を押した。そうすると冷蔵庫が反対側に傾いてしまう。
「いや、そうじゃない。その高さで荷物を押すと、荷物が倒れる。もっと下。」
僕は冷蔵庫の下の部分を両手で押した。だが、スムーズに荷物が動かなかった。
「身体が離れてる。それだと荷物は動かない。重心は下にあるから、下を押さないと。」
「す、すみません…。」
冷や汗をかいていた。慣れていないから、作業に時間がかかる。運ぶ途中、荷物をぶつけるような危ない場面も何度かあったか、村田さんが慣れていたからこそ、ぶつけることはなかった。無事に作業を終え、トラックに戻る途中、村田さんが言ってくれた。
「焦らなくていいんだよ。言う通りにやってくくれば、それで大丈夫だから。」
「ありがとうございます…。」
僕は少し自信を失くしていた。
「鈴木くん、頭の回転が早いタイプだよね。伝えたことの飲み込みが早いし、先を見て行動が出来る。」
率直な意見だ。嬉しかった。
「君、頭良いでしょ?」
「あいや、まあ…、そんなこともないです。」
自分で言うのもなんだが、悪くはない。だからと言ってすごく頭が良い訳ではない。トラックに着いたので廃材を荷台に積み、助手席に乗り込んだ。移動中、なんとなく僕の過去の話になった。
「地元こっち?大学は?」
「東京です。大学はアメリカの大学の日本校に行ってました。高校は大阪野インターナショナルスクールですけど。」
「え?君優秀じゃん。こんな運送業なんかで働いてる場合じゃないよ。」村田さんは驚いて、自虐しながら笑っていた。
「でも、大学は先月辞めました。早く就職しないといけないですよね…。他の同い年より遅れてるんで…。」
「だぁいじょうぶだよ。何とかなるから。」
首を縦に振りながら村田さんは言った。そして続けてこう言った。
「焦らなくていいんだよ。焦ったって結果は変わらない。落ち着いてやればいいんだよ。仕事と一緒。」
母と同い年くらいのこの人の意見は何故か説得力があった。少し肩の力が抜けた。この人と仕事出来たじゃないく、話すことが出来て良かった。
 その後も客宅から客宅、オフィスなどトラックで移動して一軒一軒配達する。ベテランの村田さんは、テキパキと仕事をこなしていった。さすが10年以上やっているから、上手な方だ。仕事は予想通りスムーズに終わった。
「じゃあ、終わりっす。次も来る?前にいた助手が辞めちゃって、今人足りないんだよね。」
「あ、わかりました。また来ます。」特に決まった仕事をしていた訳でもない。給料も良いし、また来ることに決めた。
「じゃあ、良かったらLINE交換しておきましょう。今後の連絡はそれで。」
「わかりました。」
LINEの名前が"ムラ"だった。昔からのあだ名のようだ。
「あぁ、そのアカウントで合ってる。ムラね。これからムラって呼んでいいよ。」
「わかりました。」
LINEを交換して、車から降りた。頭を下げて、帰ろうとすると、車の窓がゆっくり開いた。
「あ、後ね。焦るなよ。人生はまだ長いんだから。じゃあお疲れ〜。」
そう言うと、サイドブレーキを下げて、車を走らせた。今日から、運送屋のムラさんとの仕事の毎日が始まった。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?