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オープニング

 昭和60年代まではハッカで有名で、今はカーリングで有名な北見市生まれの北見市育ち(23歳まで)です。昭和53年(1978)までは、北見市の中心街に住んで、それ以後は一面玉ねぎ畑の郊外に住みました。

博物館が好きになった原点
1.旭川市青少年科学館
 昭和46年(1971)に、私の学区(小学校通学区域)によるバス旅行があり、旅行先が旭川市であった。目的は、旭山動物園と青少年科学館で、当時のオホーツク圏内ではこの両方の施設がひとつもありませんでした。
 初めての科学館の体験で、プラネタリウムを見て、一面の星の世界に圧倒され、こんな施設のある旭川が羨ましいと、それ以後、ことあるごとに科学館に行きたいな~ って思う小学校生活でした。

2.北見市中心街から郊外へ
 プラネタリウムを見たいという思いは続くが、昭和53年(1978)に中心街から郊外へ引っ越しをした時に、街路灯もない場所だったの光害なく、生まれて初めて天の川を見ました。
 昭和56年(1981)7月31日 部分日食があり、北海道は最大8割もかけるという太陽がかなり隠れるものでした。
 その日は、快晴で暑い日でした。11時頃から徐々にかけ初め、暑かった空気もひんやりとしてきた。そして、13時に最大にかけた時に、ものすごい風が吹き、森の木が音をたてながら揺らめいた。何とも言えない自然の驚異を見たのです。
 そして、徐々にもどり、木の揺らめぎもなくなり、ひんやりと空気も元の暑さへと戻りました。
 それから、天文へのさらなる興味は出たが、何せ、勉強ができなかったので、天文学者への道は考えはしなかったが、いつか高い望遠鏡を持って、星空を眺めたいとは思っていました。

3.北網圏北見文化センター
 大学へ入学した昭和59年(1984)についにオホーツク圏内にプラネタリウムがやってきた。北網圏北見文化センターが開館した。
 名前が公民館のような感じなので、とても博物館、科学館とは思えなかった。
 どちらかと言えば、科学館がメインの施設で、郷土博物館もあって、美術展示もできるような仕組みとなっていた。
 たぶん、毎週、プラネタリウムを見に行っていたと思うくらい行っていた。 科学館にも何度も見に行くと、私と同じように入り浸っていた小学生の男の子とも仲良くなって、当時、NEC PC-8801だったと思うが、パソコンが置いてあったが、BASIC言語を使用していたので、その子に教えてあげたら関心をしていたのを思い出す。

4.就職にて科学館巡りをする。
 北海道からは出たくはなかったので、昭和63年(1988)に札幌で就職をしたが、結局東京への飛ばされてしまった。
 それで、仕事以外やることがないので、東京近郊の科学館巡りを始める。
 当時は、渋谷に五島プラネタリムがあり、池袋のサンシャインプラネタリウムとともによく行っていた。
 他の科学館も行くようになったりするうちに、郷土・歴史博物館も一緒に備わっている総合博物館に巡り合った時に、一緒にそちらの博物館も見るようになってからは、科学館だけではなく積極的に博物館も見るようになった。

5.東京国立博物館の衝撃!
 科学館と言えば、国立科学博物館と思い、東京へ来てから数ヶ月後に行ったが、今の国立科学博物館とは違い、すごく見るものは多かったが、なんとなく埃っぱいし、なんか展示が汚かった思いがあるが、なんとも言えない空間は好きだった。
 ただ、科学館なのにプラネタリウムがなかったことにはショックであった。 
 科学館 → 博物館巡りをし始めた頃に、博物館と言われる最高峰の東京国立博物館へ行くことになった。
 後になって、国立博物館(当時は、東京・京都・奈良)は、歴史博物館とは違い美術館に重きを置いたものと知る。
 初来館は、昭和63年(1988)であった。当時は、本館、東洋館、表慶館、法隆寺宝物館の施設があり、法隆寺宝物館は平日の木曜日?しか開いていなかったので、土日は見れなかった。
 ここ数年は見に行っていないので何とも言えないが、何せ本館以外はざっくばらんな展示で、埃りぽかった。
 何せ、国宝の刀剣とか重要文化財がざっくざっくあり、そのいずれの展示もありすぎて、古い展示棚に置いてあるだけで、何の権威も感じられなかった。
 特にビックリしたのが、表慶館は考古学の展示でしたが、展示棚が古く、そこにざっくばらんに展示してあった。田舎の郷土資料館と同じような展示の仕方とがっかりしながら見ていたが、その時に、どこかで見たような展示物があった。
 それが、「埴輪 挂甲武人」であった。他の展示とともにざっくばらんに並んでいたのと、墨の字で「国宝」と書いてあるキャプションがあった。
 北海道では考えられない展示であった。国宝をこんな雑な扱いをする東京は恐るべしと思った出来事であった。

6.博物館 = 異空間
 何故、博物館が好きなのかの最大の理由は、博物館という空間が好きなんです。
 あの古臭い匂いが嫌いだという方もいますが、通常の生活では得られない異空間が好きなんです。
 特に、博物館関係者には申し訳ないのですが、人がいない空間が特に異空間へ行ったように感じ好きで、歴史・民俗・民族などが後から好きになったようなものです。
 昨年の11月下旬に「安田侃彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄」に行った時には、私たちだけで関係者が1,2名いたくらいで本当に異空間に行ったようでした。

 今後も、博物館関係に携われる人生でいたいものです。
 


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