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天壇と胡同、そして雑技の夜 【世界旅行記008】

2012年7月22日(日) 中国 北京

今日は一転、快晴。まさに高温多湿で、うだるような暑さになった。なぜ、このいちばん暑い時期にわたしは中国にいるのだろうか。ちっとも過ごしやすくない。

天気のよさも相まって、世界遺産の天壇はすばらしかった。円形というのがよい。どこでもそうだが、宗教施設は奥深さがあってよい。いにしえの人々は、そこでなにをどのように祈ったのだろうか。想像がふくらむ。

世界遺産の天壇(てんだん)。 明清代の皇帝が天に向けて祭祀を行った宗教施設。

北京駅へ行き、上海行き新幹線のチケットを購入。中国内陸部へ行くのはまたの機会にし、早めに台湾もしくは香港をめざすことにした。理由は2つ。1つは、中国人のいろいろな部分に滅入ってきたこと。もう1つは、ノービザで入国しているため、15日以内に中国を出なければならないこと。ただし、延長申請をすれば30日まで滞在可能。だが、それをしようと思わなかったのは、1つめの理由に依るところが大きい。

鉄道のチケットは窓口で購入するしかない。50ほどある窓口のうち、英語対応の窓口はたった1つ。奇跡的に「English language services in the 16 window」という電光掲示板の表示(常時表示ではない)を見つけなければ、このまま路頭に迷っていたかもしれない。駅の構内で窓口を探し、行列に並び、チケットを買うまでにかかった時間、40分。

明清代の皇帝が天に向けて祭祀を行った英語対応の窓口は1つのみ。
意外と日本も同じような状況ではないかという気もする。

夜は、朝陽劇場で北京雑技を観劇。となりに座った、いかにも人懐こそうな女の子が話しかけてきた。その外見から小学生くらいかと思っていたら、20歳の看護師だというので驚いた。湖南省の安化というところから、病院のお医者さんたちと慰安旅行に来ているという。その場で地図を広げて見たら、東京・北京間と同じくらい遠いところだった。わたしがiPhoneの翻訳アプリを使って話していると、仲間のお医者さんに、彼の持っているiPhoneに日本語翻訳のアプリを入れてくれとねだっていた。いかにも片田舎にある病院の仲の良いスタッフたちといった趣で、中国人の図々しさに疲れていたわたしは、少しの会話で心がぐっと安らいだ。

2024年7月22日(月)のつぶやき
12年前もいまも連日暑がりながら、あちこちに出かけていくわたしがいる。雑技観劇でとなりに座った女性のことは、いまも覚えている。会話が通じあう喜び、それがコミュニケーションの基本だ。どんなに対立した国家だろうと、どんなに主義主張が異なる宗教だろうと、一対一のコミュニケーションをすれば、みんな同じ人間なんだということはすぐわかる。その積み重ねのうえに集団があり、そして社会がある。「中国人だから」とか「韓国人だから」ではなく、ひとりの人として接する瞬間に心が通じあい、たったそれだけのことで、「いま自分がここにいること」が肯定される。しょせんお互いわかりあえない存在だが、それでもわかりあおうとする。他者とともに生きる喜びは、そんなはかなさのなかにあると思う。さまざまなふれあいを通して「生きること」の原点を呼び覚ましてくれるから、旅はやめられない。

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Travelife Log 2012-2013
世界一周の旅に出てから12年。十二支ひとまわりの節目を迎えた今年、当時の冒険や感動をみなさんに共有したいという思いから、過去のブログを再発信することにしました。12年前の今日、わたしはどんな場所にいて、何を感じていたのか? リアルタイムで今日のつぶやきを記しながら、タイムレスな旅の一コマをお届けします。


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