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Twitterをやめて半年か

以前こんな記事を書きました。

ついTwitterっていってしまうけど、今はXだよね。いまだにTwitterと呼ぶ人のほうが多い気がするので、今回もこの呼び方で進めます。

なぜTwitterをやめたのかはこの記事にまとめてあるのですが、半年間まったくログインしなかったわけでもない。仲の良い友人が知り合ったタイに出かけた時はチェックしていたものの、自分から発信することも誰かのつぶやきをのぞきにいくこともしなかった。やはりスマホから公式アプリを削除した効果は大きい。見る習慣がなくなったし、2,3回見たのも自宅のPCからだった。完全に習慣から脱出できたと言っていいと思う。

SNSというものは使い方によって便利なものだと思うし、特に芸能人やインフルエンサーなどの”推し”がいるのであれば、気になるのは当然。自分にとってもInstagramをやっているので推しの現状はそこでチェックしている。が、今まで自分がTwitterで活動していたタイや海外でのアカウントについてはもう興味を失っている。おそらくそこで仲良くなった人で連絡先を交換した若干の人たちをのぞいて連絡を取り合ったりオフ会などに参加することはもうないと思う。


この半年間たまにSNSとの付き合い方を考えていたら、前回記事にしたフワちゃんのやす子さんに対する誹謗中傷の話が出てきた。言いたいことをそのまま口にしてしまったのだ。私はSNSで他人の生活や考え方を基本尊重するというより、そこまで他人に興味がない。というスタンス。いろんな人がいる中で常にケンカ腰だったり批判的だったり悪口ばかりの人もいる。私がいた界隈もそんな人が多かった。特に誹謗中傷はただの嫉妬じゃん!としか感じられない低レベルなものも見られた。

SNSだから自分が思ったことをそのままつぶやく。このスタンスは間違っていない。ただ私が守っているのは「墓場まで持っていく話をしてしまっていないか」ということだ。墓場まで持っていく話とは、もう誰にも話してはいけないレベルの内容だ。たとえば不倫しましたとか犯罪スレスレな出来事、誰かが傷つくようなことや誰かが知ったら問題に発展しそうな話題のことだ。フワちゃんの件も口に出さずに思っているだけなら好みの問題だ。それをSNSで出してしまうとなると、知らなくてもいい人にまで耳に届いてしまう。便利である反面凶器でもあるのだ。

他人が私の悪口を言っていても、私の知らない場所で言っているのなら私もわざわざ調べたりのぞきに行くことはしないので勝手にしてくれ!である。悪口なんて暇な人たちの個人の感想である。私の家族や友人が失望することもないし仕事をクビになったり給料がもらえなくなることもない。それをSNS上で言うということはあえて目に触れさせる行為。罪は重い。だからSNSには言いたいことを100%上げてはいけないのだ。SNSがなかった頃に比べるとトラブルに発展する可能性は格段に増えているんだろうな。

現在このnoteにて記事を書くのだって時間と労力を要するのだ。さらに言葉を選びながら書いているのでものすごく疲れるし前回記事から一か月近く経っているのもそういう葛藤もあるからだ。本来言いたいことをネット上にアップするのはそれくらいのことだと感じている。SNSではもっと気楽に言いたいことをあげてもいい。という人は他人のことではなく自分のことだけならいくらでも好きなことを書けばいいと基本思う。

私のこの少し考えすぎなくらいの言いたいことを一回整理してから上げる性格なら、SNSは向いていないのかもしれない。以前の私はSNS、特にTwitterに振り回されていた。他人の書き込みが気になって仕方なかった。他人の意見が気にならなくなるのに半年かかっている。Instagramはもう写真をあげるアルバムだ。もうそれでいい。言葉を大切にしたい私はしばらくこのnoteを居場所にするつもりだ。

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