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いい加減、自分をよく見せようとするのやめよっと。


アメブロ「大学生、海外で働いてみた。」からお引越ししました。なんとなく、ペンネームも変えてみた。

引越してきた理由は、「大学生、海外で働いてみた。」を書き続けるのはもう限界で、自分が変わった今、新しく考えを言語化する場所を作り直したいから。

私の場合、ブログで想いを綴るのは誰のためでもなく、自分のため。

・自分が原点に戻れるように、記録しておく。

・モヤモヤした考えを冷静に整理するために言語化してみる。

そんな場所。

どうして、前のブログではできなくなってしまったのだろうか。それは、自分の考えが結構変わったからだ。もう前のブログに今の自分の気持ちを書く気にはならない。では、どう変わったのか?自分の思考の整理のために書く。まずは以前の自分の話から。


これまでの自分

これまでのわたしは、かなりガツガツしていた。起業に憧れる何事も一生懸命に頑張る意識高い大学生だった(この春から大学4年生)。

そして、自分を等身大以上に誇張して人に見せていたように思う。SNSでも、人との会話でも。

一応、理由があるとすれば、やる気をアピールすれば、何かチャンスがやってくるし、人に話すことで自分をだらけさせないように戒めるためだ。


「等身大の自分でいよう」と思うようになった今

でも、今はこの「高い志を持つこと」に違和感を覚えるようになった。また、わたしは、海外のベンチャー企業で長期インターンをしており、就活などで自信をもって、当時出した成果を語っていたが、今は過去のインターン経験を成功した部分だけを偉そうに語ることにも違和感を感じるようになったし、起業という言葉を口にするのもなんか違うと思うようになった。

疲れてしまったのとは違う。モチベーションを失ったというのも違う。今でも、好きな仕事に熱狂しながら、結果を出し、それで人に幸せを還元したいと思っている。向上心もあふれんばかりにある。ただ、どこかに違和感を覚えるようになった。それは何だろう?

それは、「高い志を持つこと」の裏にはタイトルに付した「自分をよく見せようとしていた」ことにある気がする。なぜなら、この言葉には「高い志を持っていることを”アピールすること”」が含まれていたからだ。これに気づいた今、「等身大の自分でいよう」という気持ちが大きくなった。ガツガツせずに、かっこよく見せたいという使命感というか、見栄にとらわれずに、目の前のことを自由に楽しみたいと思うようになったのだ。

それからは、自分のおもう「等身大」でいようと、人に自分が何に悩んでいるのかを素直に口に出したりしてみている。


では、なぜ、等身大の自分でいようと思ったのか?


人生で初めて気づいた「自分の弱み」

等身大でいようと思ったのは、自分の弱みに向き合うようになってからだ。ある日、といっても、1か月前くらいから、いきなり考え始めた。


「自分の弱みってなんだ?」

弱みについて考え始めたきっかけは、そのころ、ちょうど人の反応や評価をすごくすごく気にしていた時期だったことにある。これまでの人生だいたい人の目を気にして生きてきたが、このときはいつにもなく、気にしていた。

そうしたら、この「人の目を気にする」ことが大きな弱みの一つだと思った。なぜ、気にするようになったかといえば、

これまでの人生、受験や定期テスト、学校行事、部活、だいたい順風満帆、大学に入ってもバイトや海外インターンでそれなりに何でもできるようになり、典型的な「まじめな優等生」だったからだ。

だから、怒られた経験もあまりなく、人から怒られたり悪いことを言われ慣れてなくて、怒られるのが怖い。自分はいつも褒められてきたから、人からの期待を裏切るのがとてもとても怖い。

やっぱり、人から愛されたいし、人からよく言われたいという気持ちはある。これまでも人からよく言われることで、自分の中で満足感みたいなものを感じてきたと思う。そして、それをモチベーションにまた何かを頑張り、褒められるというサイクルの繰り返しだった。常に人からの視線を気にしている。基準は、「自分がいいと思う」ではなくて、「他人がいいと思うかどうか」だ。

もちろん、人から褒められるためだけに、自分は何事も頑張ってきたわけではない。一生懸命頑張ること自体も好きだし、できないことができるようになること、仲間と何かを成し遂げること、どれも大好きだ。でも、やはり、どこかで人の目を気にしている自分がいた。自分の中に他者にどう思われるかという考えが常に潜んでいる。

昔からこういう考えを持っていたが、ベトナムのインターンを経て更にその思考回路が太くなった。良くも悪くも。

ベトナムで営業をしていたが、営業で契約が決まらないと毎日のように上司から

「値段が高いとか、今は忙しいとかいって契約を断られたというけど、それはただただ、あなたの話に魅力を感じてくれていないだけだ。本当に魅力を感じていたら、いろんな理由なんて置いてでも契約してくれるはずだから」

と言われ続けた。

それはその通りだと思った。インターンとはいえ、仕事をしている以上、また目標もあったので、しっかり成果を出したかった。だから、この言葉を肝に銘じ、「今の自分なんてだめだ、もっと頑張らなくては」と自分に言い聞かせてなんとか結果を出し、目標を達成してまた無事「成功」した。

でも、ここで更に人からどう思われるかをすごくすごく気にすることになり、インターンを終えて1年半たった今も、たとえ友だちとプライベートでご飯に行くときでさえ、話が盛り上がらなかったりしたら、「自分の話が面白くなかったからかな」「あの自分の一言で相手にどう思われたかな」などとずっと人からどう見られているかを、気にするようになった。自己肯定感がすごく低い。

だから、さらに、自分で自分の首を絞めてしまった。そして、人に満足してもらえないと、評価してもらえないと、すごくすごく自信をなくす。何日も落ち込む。たまに数年前の自分の言動をも思い出し、後悔し始める。したってしょうがないのに。自分のメンタルもこれで大幅に崩れる。だから、これが自分の「弱いところ」だ。


弱みとはじめて向き合い、等身大の自分でいようと思えるように

でも、こんな風に、つらいけども、しっかりと自分の弱みに向き合えたのもはじめてだ。ただし、この弱みを克服するのは、正直一生かかっても完全にはできないだろうと思っている。これも自分の一部だし。

無駄に前向きになることも難しい。

それでも、少しだけ考えを改めた部分がある。この2つの言葉に救われたから。

「何でも完璧を狙うことをやめる。野球選手でも3割打てば十分。毎回成功なんてする必要はない」
「できないことは人に頼る」

この言葉が胸に響いてからは、「人に良く見せたい、愛されたい」というプライドのようなものを少しでも肩からおろして、それよりも「等身大の自分でいる」「いつも頑張っているところを無理に人に見せない」「自分を良く見せようとしない」ことを大事にしようと思うようになった。

これまですべての人に愛されたくて、逆に愛されなかったら嫌だなぁいうプライドがあったけど、そんなことをする必要はないんだろうなあ、と。3割バッターを目指せばいい。それでも野球選手は十分「一流」なんだから(人生と野球はまた違うけど)。

私が大好きなおばあちゃんも、「自然体でいることが一番。無理せず自分らしくいれば、人からの目は気にならない」と言っていた。しかも、そのおばあちゃんは結果的に多くの人から愛されている。

他の人にとっては当たり前のことかもしれないし、私自身も昔から上記の2つの言葉のようなアドバイスをされてきたが、そもそも自分の弱みに本当に気づいていなかったので、本当の意味でアドバイスを理解してはいなかった。しかし、今になってやっとその意味がわかり、少しだけ気が楽になった。

今すぐに、すべての人に良く思われたいという完璧主義っぽい想いが全部消えるわけではないけど、ゆっくり楽になっていけばいいと思っている。

ここまで至るのにも、友人が毎度相談に乗ってくれたおかげであり、また、とある本にも助けられたからであり、人に頼ったからこそである。感謝しかない。恵まれているなあと思う。

それから、今の自分を受け入れてくれるというか、良く見せようとしなくてもいい、自然体でいて、「これでいい」っていってくれるような彼氏がほしい(笑)(お互いそうあれたらいいなあ)

そして、一番最初の話に戻るけれど、前のブログはガツガツに頑張っていた自分の日記。それがあっての今で、これからも大事に残しておくけれど、あれと同じところにもう文章を書く気にはならない。自分を良く見せようと頑張っていたあのブログとはおさらばして、「ありのまま」をここに書きます。自分のために。

最後に、今後について。私は起業の夢を完全に捨てたわけではない。ただし、前は「起業」という言葉に固執していた。今は、本当に実現したいビジョンができれば、やりたいという気持ち。でも、いまは、内定が決まっている会社のことがとても大好きで、その会社の一員として働けるのが楽しみで仕方ない。

P.S.こんなふうに、等身大の自分でいよう、と書いたわけだが、だからといって、何事においても努力をやめるわけでは決してない。やると決めたことは、人に良く見られたいからではなくとも、しっかりやる。これは自分へのけじめ。

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