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「寛にして栗…」で始まる九徳は3つでも上々!? 〜『書経』より

古典的名著を読む読書会「人間塾」に参加するようになり、もうすぐ10年が経ちます。

東洋哲学から西洋心理学、中国古典から存命経営者著書など幅広く名著を読んできたわけですが、ときに別の本を読んでいるのに同じフレーズに出逢うことがあります。

先月の課題図書は、儒学における四書五経の1つ『書経』でした。そして、本書内のフレーズに、人生三度目の出逢いがあったのです。

中国古典『書経』

「書経」とは中国最古の歴史書であり、古代の君主や臣下の言行が記録されているものです。

伝説の名君主・帝王とされるぎょうしゅんから、秦の穆公ぼくこうまでが登場します。

読書会課題図書は、角川ソフィア文庫のビギナーズ・クラシックス 中国の古典『書経』(山口謠司 著)。原文・書き下し文・現代語訳のほか、時代背景や王朝家系図、関連資料やコラムなども掲載されており、読みやすい本でした。

究極目標としての「九つの徳目」

書経の「皋陶謨こうようぼ」篇には、舜から帝位を禅譲された帝に対し、臣下である皋陶こうようが説いた言葉が書かれています。

この皋陶謨に、九徳といわれる印象深いフレーズが登場します。

皋陶曰く、かんにしてりつじゅうにしてりゅうげんにしてきょうらんにしてけいじょうにしてちょくにしておんかんにしてれんごうにしてさいきょうにして。 厥の常あるかを彰かにするは、吉なる哉。

「〇〇にして□□」という形で繰り返されるこの部分、課題図書での現代語訳はこうなっていました。

寛容であるが威厳のあること。穏やかであるが仕事の能力があること。謹厳ではあるが礼儀を欠かないこと。能力はあるが誇らないこと。柔順ではあるが果断であること。性質がまっすぐであるが温和であること。大きな視点を持っているが細かいところまで気が付くこと。さっぱりしているが篤実であること。強い意志を持つが正しさから外れないこと。

素晴らしいですね。対極とも言えるこれら9つの徳目を兼ね備えた人物なんて本当にいるのかなぁ、と疑問に思ってしまいます。

実は、過去にこのフレーズが引用されている本を読んだときは、「ずいぶん高い目標だなぁ」「けど、そこを目指すのは良きことだろうな」と単純に感じていました。

ところが、今回 書経で「九徳」の説明を読むと、聖人君主が目指すべき徳目という意味だけではないようです。

人材登用の判断材料!?

先ほどの九つの徳目の説明前後では、皋陶と兎とのあいだでこんなやりとりがされています。

皋陶は言いました。
「ああ、人を判断する基準には、九つの徳目というものがあります。ある人を官に推薦するには、その人に徳があり、こうしたことをしましたと具体的に言わせるようにしなければなりません」
 (略:九つの徳目の説明)
「これら九つの徳をいつも変わることなく持っている人を任用すれば、君主の政治は正しく行われるでしょう。」

君主がもつべき基準でもあるのでしょうが、臣下を登用するための基準としても九徳が言及されているのですね。さらには次のような記述が続きます。

 またこの九つの徳のうち三つの徳を日々、誤りなく実行し、いっそう徳を修め明らかにしようとするために、夜が明けるのを待ちかねて実行に移すものがあれば、卿大夫の位として、領地を与えればいいのです。
 また、日々厳しくみずから徳を治め、慎んで九つの徳のうちの六つの徳までを実行し、政治を正しく行うことができる人があれば、その人には諸侯として一国を治めさせればいいのです。

この記述には驚きました。人材登用の基準として挙げられているんですね。しかも、3つでも大臣クラス、6つ持っていたら一国を任せよと説いていました。

※参考:卿・大夫・士とは - コトバンク

さらに、皋陶の言葉はこんな形で締めくくられます。

 君主は、これら三徳・六徳ある卿大夫、諸侯をまとめて受け入れ、広く彼らを登用し、九つの徳ある人々をひとり残らず取り上げ、それぞれに相応しい仕事に当たらせれば、徳に優れ、また統治に能力のある人は皆、官位につくことになるでしょう。
 そして、官位にある人たちは、互いを師として教え合い、徳に励めば、すべての官位にある人々は皆、公正な職務を行う役人になるでしょう。
 また、公正な職務を行う役人たちが、五行の変化によって起こる四季の移り変わりに順応した政治を行えば、あらゆる事業が成し遂げられましょう。

九徳は、君主自身の実践だけではなく、臣下の登用や適材適所のための判断材料であり、さらには政治全体にまつわる要諦だったわけです。

3度目の正直で、原典に触れる

今回、九徳について読みながら思い出したことがあります。僕は、このフレーズを紹介した本に、過去2回出逢っています。

▼1回目:『名言の智恵 人生の智恵』内での出逢い(2005年)

谷沢永一さんの編著書である名言集に、「トップが目指す九徳」として書経のフレーズそのものと、その逆のケースの十八不徳(=寛でなく栗でもない ×9)が紹介されていました。(訳は山本七平氏)

(Kindle 版が出ていました↑)

▼2回目:『人望の研究』内での出逢い(2014年)

1回目に出逢ってから9年後に、山本七平氏の『人間集団における人望の研究』のなかで再会しました。ここでは、朱子学の入門書として読まれた『近思録』に「九徳最もこのまし」が登場する、とあります。

(いま改めて本を開くと3章タイトルが「不可欠の条件──九徳とは何か」となっており、約40ページに渡る解説でした)

書経についても触れられてはいるものの、このときは九徳に任用基準の意味があることは知らぬまま。そもそも9年前に谷沢さんの本で読んだことすら忘れていました。

そして、さらに7年経った今回。3回目の出逢いにして、九徳の言葉が生まれた背景やその使われ方についてより多くのことを知ることができました。やはり原典にあたるのは大切ですし、こうして書き残しておくことにも意味があるのだろうなと感じています。

古典に学ぶ読書会

冒頭にも書いたように、今回『書経』を読んだのは、読書会の課題図書になっていたからです。

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Posted by 一般社団法人人間塾 on Saturday, October 30, 2021

一度は読んでおきたい古典的名著をみなで読む、という機会は、読書という行為を後押ししてくれます。この読書会のおかげで100冊ほどの名著を読み、さらに関連書にも手を伸ばすきっかけをもらってきました。

読書会の醍醐味は、それぞれの視点で読み取ったことを語り合うことにあります。実をいうと、今回の読書会当日は同じグループになった4人全員が、印象に残った記述としてこの九徳の箇所を挙げるというミラクルも発生しました。(なかなかここまで一致することはない。笑)

そんな意味でも、僕にとって、あらためて忘れられないフレーズになりました。

(人間塾読書会 二代目塾長 大竹さんによる総評動画)

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