【建築】インドの巨匠建築家 バルクリシュナ・ドーシを知っているか?
「知らん」
ほとんどの人はそう答えるだろう。私も「名前は聞いたことあるかな?」という程度だった。つい最近までは…。
2023年、インドを訪れた。その目的は友人に会うためとかタージ・マハルなどの観光地を巡るためとか色々あったが、メインはやはり建築探訪である。インドの建築といえばル・コルビュジエ。コルビュジエはスイス/フランスの建築家だが、インドにも多くの建築があり、チャンディーガルでは新しい都市計画づくりにも参画している。
バルクリシュナ・ドーシ(Balkrishna Vithaldas Doshi)はそのコルビュジエに学んだこともあるインドの建築家だ。後年にはインドのモダニズム建築の巨匠と呼ばれるまでになる。
1927年生まれのドーシはムンバイで建築を学んだ後、1950年にヨーロッパに渡った。フランスではコルビュジエの事務所で働き、1954年にインドに帰国した後はアーメダバードのコルビュジエ建築(その中には以前紹介した繊維業会館も含まれる)の現場監理もしている。
1955年には自身の建築スタジオ Vastu-Shilpaを設立し、ルイス・カーンがアーメダバードのインド経営大学の校舎を設計した際にはドーシも携わっている。
ということで、ドーシがコルビュジエやルイス・カーン、あるいは当時の建築家から多大な影響を受けていることは言うまでもない。
またインタビューではインドの伝統的な建築、例えばファテープル・シークリー(わずか14年間しか使われなかった16世紀の都)にも感銘を受けたと述べている。
結果としてドーシの建築は、インドの伝統的な建築と欧米の近代建築が融合したスタイルになっている。
彼の建築を訪れるとインドらしくもあり、コルビュジエやルイス・カーンのような近代建築らしさも感じることができる。見た目は決して派手ではないし、インスタ映えするデザインでもない。しかし中に入ると、とてもインドの(暑い)風土に根ざしていると感じるのだ。
例えば1980年完成のサンガト(Sangath)と名付けられた彼のアトリエ。
それはアーメダバード市内のインドらしい喧騒の大通り沿いにあった。
門を入ると、普通であれば正面にあるべきエントランスが見当たらない。
その代わり日本のお城の狭間のようなスリットがあった。後で分かったのだが、このスリットは矢を射るためではなく、室内から誰が来たのか分かるようにするためのものだった。
その横には思わず歩き出したくなる小径が続いている。
両側には手入れの行き届いた庭が広がり、青々と茂る木々が強烈な暑さを気分的に和らげてくれていた。そして塀で囲まれた敷地の中は驚くほど静かだった。
足元を見れば、そこには装飾が施されている。古代遺跡に描かれた原始的な絵画のような趣もある。
さらに進んでいくと…
おお!
およそオフィスらしさを感じさせない建物が並んでいる。高さも抑えられているので圧迫感や威圧感もない。なんといっても、かまぼこ屋根が印象的だ。
かまぼ屋根はルイース・カーンのキンベル美術館を思い起こさせるが、
実際にはこの造形はインドの寺院からインスパイアされているとのこと。
屋根の表面はメーカーの廃材を細かく砕いたタイルで覆われている。
このタイルは建物の熱を下げるだけでなく、白いタイルが反射することによって、室内に程よい光が入るという効果もある。
この手法、近代建築でも見たなあと思ったがグエル公園がそうだった。(エコとかSDGsが要求される現在では、廃材を利用することは珍しくないだろう)
屋根やその周辺には水路が張り巡らされている。この時期は乾季なので雨はあまり降らないが、モンスーンや水が豊富な季節であれば、水はこの水路を通ってプールに集められる。
水は建物を冷やし、視覚的にも遊び心を高めてくれる。個人的には水がある風景が好きなので、その様子もぜひ見たかった。
この水路はさながらルイス・カーンの傑作、ソーク研究所の中庭だろうか?
コンクリートの壁にも注目。よく見れば表面には波形のスクラッチ模様が刻まれている。何を表現しているのだろう?
中庭には階段状の広場もあった。少々暑いが、木陰でテーブル出してランチ食べたら最高かもしれない。あるいはコミュニティ・スペースとしても最適だろう。
こちらはアルヴァ・アールトのアールト大学本館の階段広場。やはりコミュニティ・スペースとして使われている。
コミュニティ・スペースという目的のためか、パーティー用?の造り付けのテーブルもあった。ただしあまり使われている様子はなかった。
さて、入口はというとコチラ!
残念ながら以降の写真は無い。室内も見学させてもらったが、撮影はNGだった。
建物はほぼ地下に埋まっているので天然の断熱性に優れ、夏でも温度が抑えられる。まあ流石に今はエアコンも使っている。あと強い陽射しがかまぼこ屋根に反射することによって程よく抑えられ、その光が室内を満たしていることも良かった。
近隣にドーシによる同じくかまぼこ屋根の建築がある。雰囲気はやや異なるが、このようなイメージだ。
環境的にはタリアセン・ウエストにも似ている。これはアリゾナの砂漠にあるフランク・ロイド・ライトのアトリエで、時に熱く、時に暖かく、時に冷たい地面の温度を感じることができる建築だった。また直射日光を取り入れず、スクリーンにより光を抑制していたことも同様だった。
ところで「サンガト」とはあまり聞きなれない言葉だが、サンスクリット語で「共に参加して進む」という意味らしい。
ドーシは設計事務所だけでなく、建築に関する調査・研究・発信をする財団も立ち上げている。つまりココは単なるオフィスではなく、"様々な人たち"が共に参加して、人間の居住環境を考えながら実践する場でもあるのだ。
さらには"人と自然"が共に参加して、二つの間につながりを生み出すという意味も含まれている。この建築も全体的なフォルムはインドの風土、例えば起伏のある地形、例えば洞窟のような空間、例えば山村の段々畑、例えば大地を流れる河川、そうした自然の姿もイメージしている。
自然を大切にし、元からある木を出来るだけ避けて建物をつくり、
自然と生き物が共に生きる、そんな姿を目指しているのだと感じた。
やや強引に近代建築を絡めつつ紹介してきたが(photo by hiroshi kawajiri)、ドーシが実際にそれらを参考にしたのかは分からない。しかしサンガトはドーシの最も円熟味を感じさせる頃の建物で、インドの風土と近代建築が見事に融合した建築であったことは確かだ。
ちなみにサンガトは誰でも見学可能だが、室内の見学料は外国人は1,000ルピー(2023年5月)、当時のレートで1,700円。日本の感覚からすればともかく、インドでは有名観光地並みのメチャ強気な設定だった。
ドーシはインドの低所得者層のための住宅も多数手掛けている。彼は1950年代、ムンバイの街で多くの人が路上で生活している姿を目にしてきた。それを見て、ドーシは建築人生の半分はクライアントのために、もう半分は社会のあらゆるレベルの人々にとってより良い世界を創造する、つまり最下層の人々のために建築家の役割を果たそう(=住居を提供する)と考えたそうである。
実はそうした住宅も見に行ったのだが、周辺には生活困窮者も多く、そんな中で写真を撮るのは憚られた。
残念ながらインドには今でも貧困層は多い。この写真などオンボロの崩れたスラムのようにも見えるが、家があるだけまだマシな方である。特に都市部ではあちこちに路上生活者がいる。家族が道端で生活している様子を見かけると、その度に心を痛めてしまった。インドが抱える大きな課題の一つでもある。
いずれにしてもこうした建築設計や社会に対する活動が評価され、バルクリシュナ・ドーシは2018年、建築界のノーベル賞と呼ばれるプリツカー賞をインド人として初めて受賞した。なんと90歳の時である。
ドーシはこの受賞が「インドやインドの建築関係者、建築学校がもっと希望に満ちたものになるのではないか」と思い、大変喜んでいたそうである。
2023年1月、バルクリシュナ・ドーシは95歳で亡くなった。しかし彼が設立した設計事務所や財団は現在も活動を続けている。
最後はサンガトの庭に掲げられていたドーシの言葉を紹介したい。
ドーシが現場監理をしたコルビュジエ建築