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光の中を旅してた-The World Needs You-

この旅で出逢った、すべてのひとへ。
Thanks for all of you guys who I met during my journey.

 
そして、これから出逢うすべての人へ。
And to all the people I will meet in the future.

この世界には君が必要だよ。
The World Needs You

序章 日本編

South Japan
俺たちの夏からのソロプロジェクト
Okinawa-Hiroshima編
Japan 日本

Love & Natural

「ジーパンにひげつけてぇな」これがこの時の表向きの旅の目的としていたこと。

本当は「活動休止後のバンドマンの人生」ってどういう風になっていくのかに興味があった。

そこから先のことは決めてなかった。

仕事もやめていたし、バンドも活休していた。

なんにもない。

なんだって、どこにだって行けた。

一人旅もしたことがなければ、旅のやり方もわからなかった僕の目的地は、いつも出会った人との会話の中から産まれてきていたようにも思う。

真っ青な海を眺めて何を想えばいい、僕は左手に花を握っていた。

沖縄民謡を、宿で出会ったお姉さんと一緒に聞きながら、オリオンビールを飲んだ。

お姉さんは最近離婚したみたいで、「沖縄には休暇で来ているの」と、言っていた。

港から鹿児島まで行くフェリーが出ているらしい。

雑魚寝の二等室から

夜に奄美大島に着いた僕はどこに向かえばいいんだろう。

暗がりの中、波の音だけが聞こえてくる。

星を見ながら歩いた。

畳の部屋で一人でゆっくりとして、静かに夜は更けていった。

奄美大島の港を離れて見渡す真っ暗な夜。

闇に響く船が鳴らす不気味な音。

「俺はこれからどこまでいっちまうんだろう」

小さい頃の僕が、船の甲板駆け回って、こっち向いて笑って霞んで消えた。

僕は濡れた髪を乾かしに船の甲板へ、海原はどこまでも広がっていた。

船は一路、鹿児島を目指す。

敬天愛人

鹿児島のフェリーターミナルへ一歩足を踏み入れた。

僕は鹿児島中央駅前のゲストハウスで、オーストラリアのアデレードの農場で働いていたというとしさんに再会した。

「天を敬い人を愛する」まるで聖者、俺にもできるんだろうか。

帰り道、遠くの鹿児島中央駅の上の観覧車が夕暮れに染まっていた。

鹿児島の街の近くの城山展望台から、噴煙を上げている桜島を見た後、フェリーに乗って桜島へ。

そう言えば、やす君も屋久島に行ったって言っていた。

俺もいつか行ってみたい。

ユー・アー・ソー・ビューティフル

鹿児島中央駅で買った「青春18切符」全部で、5回使える。

緑は深く、小石が濡れる。

葉っぱから滴り落ちる雨露がまた葉っぱを揺らす。

大きな石と、小さな石が音を立てずに呼吸をする中、神社の出口で案内看板の下に固まっているニワトリ達を見た。

雨はもう上がったか、電車は揺れて、快音と共にトンネルを越える。

親切な人に助けられての今があるよ。

その夜、宿では小さなパーティーが開かれた。

嬉しいこと、楽しいこと、たくさん

大分には何があるのかわからずに僕は、としさんのいるゲストハウスを目指した。

この夜はとしさんと、新しく出会った年上の兄さんと一緒に、近くのスーパーで買ったおつまみとビールで語り明かした。

夜が明けたらさようなら。

新しい朝と共に全ては一新する。

それから、春の暖かな日差しのもと、竹瓦温泉って言うとっても粋な別府にある銭湯みたいな温泉の熱いお湯につかって「魂」を温めた。

その日、宿に戻って旅の計画を練っている時に仲良くなった子がいた。

I just want to be pure

今でもたまに夢に見ることがある、僕らの「青春時代」あぁ。

いつか君とまた話がしたかった。

笑ってますか。

あの日の僕は。

変わったのは、僕。

流れたのは、たくさんの時間。

初めて見る山頂、そして火口。

硫黄臭いにおいが立ち込める。

ふとした隙に、白い煙が黙々と立ち込め、警報が鳴る。

宿に帰ってリラックスしていると、女将さんから、「みんなで囲炉裏のところで話しているので、来ませんか?」と、お誘いがかかった。

朝が来て、阿蘇から熊本へ電車で移動した。

水前寺公園の透き通った水、綺麗に整備された庭園。

僕は一人で静かに思い出を巡っていた。

熊本城にもう一度のぼった。

もうみんなはいない。

火の国熊本を経て、駆け足で長崎まで向かう。

俺たちの

旅人からは「希望」をもらっている。

勝手だけど。

心地のいい川風が春のせせらぎに乗って届いた。

それから爆心地にいったんだ。

平和の銅像の前の献花は絶えることはない。

この悲しみはなくなることもない。

歴史は変わらない。

大切な命、今を生きる。

空を仰いで長崎の街を歩く。

足元に咲く花はいつも綺麗だ。

長崎の街には坂が多い。

あの坂本龍馬もこの坂を歩いたのかなぁ。

グラバー園のカフェで食べたカステラ。

コーヒーを啜った後、下ったオランダ坂。

どれもこれも僕だけの思い出じゃない。

僕が欲しかったのは生きた言葉だ。

スマイル

目を閉じるとあの子の笑顔が浮かんでくる。

長崎からは、バスで福岡の天神まで移動した。

桜が綺麗に咲いていてさ、大きい池の前に腰かけて、アヒルみたいな鳥眺めながら、コンビニで買った缶ビールを飲んでさ、のどかな時間。

幸せな瞬間って感じの人生の春。

それでも「今が一番良い」って思えている人でいたいね。

全然、男はつらくない。

Bell of Peace

真夜中に着いた誰もいない広島の街。

縮景園、広島城。

そして原爆ドーム。

どこも市内にあるので、歩いて行けた。

忘れちゃいけない。

悲惨な歴史を体で感じてさ、やるせない気持ちに包まれたまま、この旅はこの土地、広島で幕を閉じる。

広島の街の献花台の火も消えることはないよ。

沖縄で行ったひめゆりの塔、平和祈念公園から長崎、広島と駆け上がってきたこの旅ももうすぐ終わる。

僕の旅は、新たな夢と共に、終わって、始まる。

West Japan
教えておくれプロジェクト
Izumo-Ise編

I talk with you

旅に出て本当に良かった。

鹿もいたなぁ。

桜も咲いていた。

見事にいい時期に桜前線と共に上昇してたんだなぁ。

一生分の桜は見たって思う。

それか、もう日本を学んだ後、しばらく離れるってことをすでに感じていたのかもなぁ。

だんだんと日が暮れて、車内には誰も居なくなる。

「車掌さん。あなたを信用していますよ」って何度唱えたことか。

今晩の宿は決まってない。

漂流、どうにでもなる。

どうにかすればいい。

そんなこんなで、出雲に着いたのは夜遅くだった。

Thank you 神様

出雲駅までバスに乗り、それからローカル線で30分くらい田園風景の中を走る。

行くんだよ。

行きたいところに行ってみる。

待っていたって何にも始まらない。

静かな敷地内をゆっくり歩く。

この旅は伊勢まで続くけど、出雲大社も伊勢神宮も、半端じゃない力を感じた。

この旅はそういう旅だったのかもなって、今振り返ってみると思う。

「古きを訪ねて、新しきを知る。温故知新の物語」、どうもありがとう出雲大社。

青春18切符LAST GATANNGOTONN

鹿児島で買った青春18切符も今日で最後。

鳥取駅で電車を降りた僕は、鳥取砂丘への行き方を案内所の人に聞いた。

砂丘のてっぺんから見た日本海も輝いていたよな。

足跡にはすぐに砂が流れ込む。

風でなぞられた砂漠の表面には砂で出来た波が描かれる。

砂の向こうの日本海へ夕日が沈んでいく。

そしてまた夜が来て山道を電車は走る。

――がたんごとん。

真っ暗闇の山の中、夜は一層深く辺りを包み込む。

たまに僕の目の中で反射する月明り。

今夜は何処に泊まるのかわからないまんま僕の体は岡山の倉敷に入って行く。

Good morning the wonderful world

春の快晴の空の下、咲き誇っているピンク色をした桜の花。

岡山駅前がまた熱くてさ、桃太郎さんや、「青春感謝」の銅像が建っていて背中押されたよ。

「胸に無限の覇気あらば 守れ不屈の意気の香を」って言ってくれてありがたかったなぁ。

お腹が減っていた僕は、城下町で腹ごしらえ。

「初恋定食」を食べて古ぼけた商店街を歩く。

岡山城の隣には川が大きく蛇行して流れていて、橋を渡るとそこには「日本三名園」の一つ後楽園がある。

そこの桜も見頃を迎えていた。

俺は「旅に向いている人間」なんだって思うようにしてる。

しこくのはる

瀬戸内海を横目に俺は香川へ向かっていた。

夕方、雨上がりの香川のフェリーターミナル前でデイリーヤマザキの開けた駐車場越しにレインボーがダブルで架かって出迎えてくれた。

俺は夜飯を食べに高松駅から回って、高松中央商店街の方まで足を延ばした。

通りに面して繁盛している小さな居酒屋に入ってさ、女将さんに「明日ヒッチハイクで、愛媛まで行こうとしているんですよ」なんて、密かにやりたかったこと相談したっけ。

朝早く起きて、花見客で賑わう高松で有名な栗林公園に行った。

道はいくらでもあるけど、引き返すっていうのは自分の意志に申し訳ない、やりきるのみだ。

僕はノートを掲げて、満面の笑みと共に道に立つ。

「良かった君乗っけて、二人でいるより楽しかったよ!」って言ってくれたのがお世辞でも嬉しかった。

光陰矢の如し

日が昇って、日が暮れて。

柔らかな日差しのもと、車窓からは海や山が見える。

松山駅前で降ろしてもらった時にはもう次の目的地は決まっていた。

あの、漱石の『坊っちゃん』で有名な道後温泉だ。

少し疲れた頃、僕は広場に躍り出る。

肌色の地面、茶色い木、そして満開に咲き誇った桜の白やピンクのコントラストは僕に、未だに松山城の美しさを忘れさせない。

お花見をしている人々はとても優雅だ。

湯船につかってのんびりと天井眺めてさ、そんな時間が幸せなんだよなぁ。

旅の中で感じる喪失感と焦燥感

高知駅前には坂本龍馬の銅像があった。

四国を巡る旅はまだ続く。

歩みを止めることはない、桂浜を見に行こう。

土佐犬センターに土佐犬が描かれた大きな壁があった。

桂浜にはでっかい龍馬の銅像が天に向かってドンと建っていた。

浜の端っこの方に小さな神社があったので、海の神様にお祈りをしてきた。

この旅のことより、「家族の健康」を祈っていた。

僕のことはあとまわし。

僕は僕を守れる、俺は大丈夫だから、そうじゃないと旅なんて出来ない。

人それぞれの旅がある。

チャンス・オブ・ザ・ライフ

徳島には眉山という山があって、もちろん僕はその山も駆け登った。

山のてっぺんから見える景色は素晴らしく綺麗で、遠くに流れる川が海へ注いでいた。

鳴門海峡を見たかった。

僕は小舟に乗ることを選んだ。

「渦」の発生するのが大きい日と、小さい日っていうのがあるらしい。

徳島ではすごく地味な家みたいなゲストハウスに泊まった。

旅はまだまだ始まったばかりだ。

言葉の命は愛である

この頃の何が僕を突き動かしていたのか、ただ単に「心の声」に従って行動していただけだ。

新しい朝、青い空。

公園のベンチの上で「日記」を書く。

姫路に着いたら見たかったものが姫路城だ。

書写山山頂まで登頂する迄に、色鮮やかな緑、黄緑、深緑の山道と共に、たくさんの「石像」や「詩」を見た。

それから、安宿に戻ってリラックスしていると、「言葉の命は愛である」という言葉が頭を過った。

僕が見てきた景色の中に、確かにそれはあった。

『気分はグルービー』っていう漫画で読んでいた通りの坂道の多さと人の賑わいだ。

路上パフォーマーの人とはこの頃相当な距離があったけど、まさか自分も「バスキング」を齧ることになるとはこの頃、全く思ってないんだ。

ここの夜景は大阪一帯まで見渡せるらしくてさ、夜景もすごく綺麗で、手で星が掬える様、という事で、掬星台という名前が付いたらしいぜ。

濃い旅しているよ。

どこにも行けなかった事だってあるのに。

マンションのベランダから見えた夜景も掬星台からみた街の明かりの一つなんだ。

バンドマン×旅人

そのまんま、自分のまんま日本でも働ける。

でも僕の興味が外に向いている今、この気持ちを応援してやりたい。

そんなこと、大阪にいた僕は感じていたのだろうか。

英語も話せないバンド上がりで電気屋に就職して退職した、ただの男なのに。

大阪にはいろんなおっさんががやがやしてんなぁ。

再会ってのが嬉しいよな。

なんだかんだで、また会えない奴らの方が多い世の中で。

まんよう

「詩」、これには思い当たる節がある。

バンドをやり始めた高校生の頃、僕も「詩」を書いていた。

熱いやつ。

書きすぎて、消して。

気が付いたら、明け方になっていて、新聞屋のカブの音が聞こえて、寝るんだけど、朝起きられなくて、雨が降っているからって理由で、学校遅刻とかしていたなぁ。

あの頃。

熱かったけど、今だって、僕だって。

出来んじゃねぇかって、お前も、俺も、いつでも「夢」をみ続けていたいよなぁ。

的な事が書かれた石像だってあったはずさ。

万葉の小道を経て、僕は和歌山市駅の前に着いた、そろそろ大阪に帰る。

大仏先輩

奈良駅を降りると、セント君の置物があった。

僕はこの頃ちょうど、東北にボランティアに行こうとしていた、それでそのことを宿でヘルパーとして働いているお姉さんに聞いたんだ。

「地球一周とはまた別で、ボランティア募集してるわよ」ってので、その場でインターネットで確認して、地元の役所でボランティアをするのに必要な書類を手に入れる必要があることを知った。

それから、五重塔、奈良市役所、春日大社、鹿。

若草山、奈良公園にはアニマルとかいて和やかな雰囲気たっぷりだった。

そして、お待ちかねの大仏を見に東大寺に行った。

先輩は、表情一つ変えない。

大仏、なんて言う不思議な力を持った先輩なんだ。

初夏の風に吹かれて

京都駅に降り立ち、外に出ると真ん前にドカンと大きく京都タワーが見えた。

それから清水寺かな。

伏見稲荷だっけな。

金閣寺だっけか、銀閣寺だっけか、龍安寺だっけか、はたまた四条、下鴨神社。

とにかく、鴨川のほとりを歩いていたんだ。

さんざん歩いて観光した後、この日のバッパー目指して帰る時に見覚えのある光景を目にした。

それは、俺達がまだバンドをバリバリやっている頃、京都のライブの終わりに四人で飲んだ居酒屋。

季節は流れて行ってしまっていた。

吾れ唯足ることを知る

嵐山の小さな神社の中に入って天井に描かれた龍を見た。

過去は、過去の思い出は、過去、僕の体を通して得た経験は、今の僕にアイデアをくれる。

あの頃の僕から、今の僕へ。

僕は京都の社寺を歩く。

僕はまた、ここでの思い出からパワーをもらっている。

昔の人は、きっと神秘的なものを信じていたに違いない、今よりももっと。

こんなの僕だけの力じゃない。

ゴールデンウィーク

人は忘れてしまう生き物だから。

僕の場合はこの時、思っていたのよりも少し重かったんだ、でもね僕の夢は叶えられてなくない、相当叶えられている。

いろんなもんを失っていると思うけど。

出雲からここ迄、初夏の太陽のような強烈なパワーに引き寄せられていたみたいだ。

Everything Under The Sun

僕は「僕以外の何か見えない力」に確実に引き寄せられていた。

いつも自分の声ばっかり聴いていたから、たまには人の声にも耳を澄ませて、身を任せてみるのもいいのかもしれない。

過去、現在、未来が混ざり合う。

外宮を巡っている時は空では雷が鳴っていた。

宿に戻ると、けんさんが僕に美味しい飯屋の情報を教えてくれたので、後で一緒に食べに行くことにした。

そこは近鉄宇治山田駅近くにある、まんぷく食堂という所だ。

からあげ丼を胃袋にかっこんだ後、雨も上がっていたのでバスに乗り内宮を目指した。

雨露が濡らした後の緑の葉っぱや、コケ。

木の根っこなんかはもう嬉しそうで、輝いて見えた。

太陽も、内宮を流れる川も全てに新たな力が宿っていた。

ここでこの旅を締め括るって言うのは一番いい話だ。

俺に今でも素晴らしい景色を見させてくれている。

それから、伊勢の街に降りて、うどんを食べてビールも飲んだ。

East Japan
One for all all for oneプロジェクト
Nagoya-Kamakura編

青春ごっこを今も続けながら旅の途中

伊勢神宮での参拝をおえた僕は、遥かに清くなった。

宇治山田駅から津って駅を越えて、名古屋に向かう。

そうそう名古屋の栄にはでかい公園があって、その先にまたでかいテレビ塔がある。

あぁ。

なんだか、思い出しちゃったなぁ。

バンドが活休して就職していた時、出張で名古屋まで電気工事をしに来ていたりした。

こてんぱんに怒鳴られて働いていた。

名古屋って独特の濃さを放ってる。

Likes

この時は本当に手探りで世界を探していた。

その時は小さな滝を見た。

それから、小さく形作られた仏像。

誰にも気づかれないようなものでも素晴らしいものはいくらでも存在する。

本当のこというと、全部うまく行くと思っている。

今だってそうだ、そうじゃなきゃ旅になんて出れねぇんだよ。

面白い世界をもっとみたくなっている。

もう、びびちゃって恐くてたまらないんだ、人と違うことをするってのは。

人の目が、もうそれは恐ろしい時もあるよなぁ。

がんばっぺ!

たまに僕の気持ちは、ちぎれそうになってないだろうか。

誰にも届かない気持ちを抱いているのは僕だけじゃないのに。

自分一人だけの世界に行ってしまわないように。

そばを見れば必ず誰かいる、誰かは汗かいて生きている。

そのまま宮城県の石巻を目指した。

「俺達に一体何が出来るんだ」俺達には何が出来たんだろう。

力を合わせることの大切さ、声を出すこと、助けが必要だと言うこと。

手に負えないことばかり、一人で抱え込まないで欲しい。

「One for All All for One! 一人の百歩より、百人の一歩」だとリーダーが言っていた。今日もがんばろう。

そうやって、支えあって、今日って日があんだべ。

強がって生きるこたぁねぇよ。

あそこでも俺はたくさんの人達に会い話し合ったなぁ。

この先どうなるかなんて、誰もわからなかったのにさ。

東京

ボランティア生活を経て、東京の高田馬場に戻って来た。

海辺でホヤの養殖の手伝いをしたり、地震と津波で半壊した建物の瓦礫を撤去したり、元々は、全部瓦礫なんかじゃなかった。

全部思い出の詰まった大切なモノ。

俺達が今持っているものと一緒。

ここでも不思議な出会いがあった。

「電気工事」の仕事をしていた時、よく千葉の八千代から、東京の田端まで仕事しに行っていてさ、建設途中のスカイツリーを眺めては、いつ出来上がるのか楽しみにしていたんだ。

いつの間にか完成して、いつの間にか真下からそれを眺めていたんだ。

あの世とか、宇宙とか

東京からバスに乗ってまずは松本城まで、城下町を歩いてさ、その夜は長野の善光寺の町に宿をとっていた。

夜のお寺はすごく異様な空気を放っていて良い経験だった。

あたりは暗くて人もいない。

善光寺の地下に降りて行くお戒壇巡りに参加した。

一寸先も見えない、あの世へ。

真っ暗な道の中を歩いていくんだ、そして仏像の真下に配置してあるドアノブを触ることが出来れば幸せになれるっていい伝えがあってさ、本当に真っ暗だったけど、俺達見つけること出来たんだぜ。

東京までの帰りのチケット、インターネットで取ったんだけどさ、そのバスの最後の座席だったみたいで、500円だった。

「なんてラッキーな人なの」って、その夜少し宿がざわついた。

導かれし者達

それが、あんまりにも早く着いたもんで時間持て余していて。

「牛久の方行くか」ってなったら牛久の大仏突っ立っててさ、120メートルだっけ。

奈良の大仏よりでかい。

今でも座っている大仏ではって説明入るもんな奈良の大仏には。

そこに生きている生物の生命力が半端じゃなかった。

香取神宮は工事中で、山を下りて、綺麗な水が湧き出る所に行った。

Japan

「目を閉じて、心の声を聴く!」まさにその通りだと思うぜ。

お地蔵さんって可愛いよな。

鎌倉の大仏はそんなこと百も承知なんだろうけど。

もういいかな。

ゆるくいくよ。

我ながらよくここまで体を動かしていたと思う。

これは誰かに導かれているんだって途中から思うようになったけど、「じゃあ誰がそうさせてんだ」と、尋ねてみると、それはやっぱり自分の中からだった。

みんながいるから生きてゆける、そんな僕は幸せなんだ。

North Japan
待ってろ世界プロジェクト
Mt Fuji-Kanazawa編

3776

富士山を登っていた時の僕の体には熱があった。

自分でもよくあの体で登頂できたなと思うよ。

そして、頂上に着いて落ち着いたところで高山病にかかっちゃったんだ。

一人じゃ登れても、降りられなかった。

親父も年なのに頑張っていたなぁ。

病気もあんのになぁ。

とにかく無事で良かった。

俺だけ高山病になってよかったよ。

辛かったけど、こんな経験誰にもして欲しくない。

助けられちゃったんだよ、まぁいつものことだけど。

富士山のてっぺんから見た朝日、眩しかったなぁ。

お天道様ぁ生命力の塊だよ。

このまま目を閉じても目は覚めるけど、いつか覚めなくなる日が来る。

それでもその体はあの「光」を受けたことを忘れないでいてね。

Glitter of the youth

夏が過ぎた頃、ばあちゃんの見舞いに行く為に、北海道へ向かっていた。

いつからだったろう、行くって決めていたのは。

今回も僕は「青春18切符」を使ってローカル線で本州を北上していた。

会津城は今度朝ドラのロケ地になるとかで、力を入れてPRしていた。

そこからまた市バスに乗って駅まで行き、この日泊まるYHAホステルまで向かった。

そこは酒蔵で、普段は酒屋を営業している。

この日は、同じ部屋に僕と同じように、バックパッカーの人達が何人か泊まっていた。

僕等は夜、お酒を飲みながらみんなでトランプをして遊んだ。

次の日、僕は朝一番の電車に乗る為に宿を早く出たから、みんなとは会えなかったんだけど、「一期一会」を大事にしてるよ。

To the future

俺は知らなかった、旅をするとこんなに毎日人間に出会うってことを。

俺はこれを求めていたんだ。

宿で出会った若者はみんなで「地球一周」の船に乗り込むとのことだった。

伊達政宗の銅像がかっこよく建つ仙台城跡にも行って、高台から午後の仙台の街を見渡した。

仙台から、「日本三景」で有名な松島へ。

それから岩手へ北上する。

思えば遠くへ来たもんだ!

「歴史」や「文化」に触れてると、誰かの「声」が聞こえる。

耳をすませばいろいろ聞こえる。

たまに自分の声がうるさくて困る。

この日は盛岡から、さくっと弘前まで行っている。

夜は近くの小さな居酒屋に入って地酒を飲んだんだ。

青森のさきっちょからそのまま青函トンネルをくぐって北海道へ入った。

When You Wish upon a Star

北海道の本州寄りの小さな町、木古内から函館に電車で移動していた。

函館に着いてからは五稜郭にも行っている。

宿屋はチャリダーの人達が泊る所だったから、自転車を借りられた。

二階の畳の部屋で寝てさ、夜中新しい旅の人が来たから、話したっけな。

茨城の大洗からフェリーに乗ってきたんだとさ。

北海道中これからバイクで走るらしい。

函館って、すごくいい所だよ。

なんてったって函館山からの夜景が素晴らしい。

函館港と倉庫群も見て回ってさ、気分は旅人。

八幡坂の上から港まで続く大きな通りが、なんかの映画のロケ地になるくらい良い場所。

この後、俺は小樽へと向かう。

ロマンチック

それにしても北海道はいいところだ。

長万部から北上してニセコを通って、途中で「羊蹄山」を眺めながら小樽を目指した。

羊蹄山のことも少し触れておこう。

じいちゃんの骨がまかれた山なんだ、自然にかえったんだ。

そこは天国か、はたまた北海道の羊蹄山の麓か。

ここでじいちゃんの句を一句、「雪一片ひらりと消える光かな」ここからインスピレーションを感じて、『光の中を旅してた』って言うタイトルになってる。

ふと、涼しい風が吹き抜けた。

運河から歩いて石原裕次郎記念館に行こうとしたんだけど、ちょっと距離があったからやめた。

俺のおばちゃん達はそういうの好きみたいだけどね。

姉ちゃんって呼んでいるけど。

青年、行け!

いつかの札幌駅は工事中だった。

そこから慣れたもんで、メトロに乗って中島駅近くの今日の宿へ。

クラーク博士で有名な羊ケ丘では、バイクでツーリングをしに来ている人達もいっぱいいた。

あぁそうだ、ばあちゃんの見舞いにいったんだ。

それが一番の目的の旅だ。

いつもそうだけど、とても元気そうだった。

ばあちゃんのいる病院で働いている人達はみんな親切だった。

富良野を目指して、札幌から向かうことにした。

北の国から

滝川まで高速バス、それからボランティアの時に出会ったのんちゃんが迎えに来てくれて、富良野とか、美瑛まで連れてってくれた。

この頃ヒッチハイクも出来なかったし、すごく助かった。

『北の国から』のロケ地とか、富良野の広大な大地をみた。

美瑛にも行って、青の池にも来た。

途中、美瑛神社にも立ち寄ってみたり、一緒に黒い色のスープのこってりしたラーメンを食べたり、なんだかんだで旭川の宿まで送ってもらってしまった。

愛を放つ動物のみんな

旭川の駅前とか街並みとか、どかんと広くて最高だった。

なんかいつも観光の時期ずれながらの旅をしているから、工事中な現場よくみるんだ。

その時よく思い出す、電気工事をしていた時のこと。

なんで俺あんなに向いてないところで無理くり頑張って見せてたんだろ。

やっていたいことやらなけりゃ人生ちっとも面白みなくないか。

味気なくないか。

「味わおうぜ、もっとさ」って自分に言ってみる。

動物達をご覧よ。

裸で生きてんだもん。

世界遺産

旅行学校の時に、自分達でツアーを作るっていう企画を勉強していて、世界遺産ツアーを計画して旅に出た。

白川郷、そして富山を通って石川県の金沢までの旅。

これにはうちの両親もついて来た。

合掌造りの屋根は、冬、雪の重りで屋根が壊れないように設計されたんだって。

あの頃生活するのに何も困ることはなかったけど、退屈とやるせなさを感じていた。

新しい何かを求めていた。

天然のいけす

朝一番で高岡の大仏へ。

背中に輪っか付けていてかっこいい。

高岡古城公園を親父と散歩した。

瑞龍寺を拝んでから氷見に行った。

海沿いをドライブしてフィッシュマーケットで新鮮な海鮮食べた後、能登半島を目指してドライブ。

目的地は金沢の兼六園。

光の中を歩いてた

そんなに若くない。

でも、確かに失うものは未だに何もないかもしれない。

僕は、足る事を知りたい。

眩しかった。

透き通る水、紅葉そして、青い空。

金沢の兼六園でのんびりと散歩して抹茶を飲んだ。

心地のいいものを言葉で伝えようとする時、自分の中に流れている「時間」が止まる。

息を止めているみたいな感覚で、これは誰にでもあるものなのか否か。

兼六園はとても綺麗な庭園だった。

なんて言うかつるつるの心、俺はまだ失くしてないよね。

第一章 オーストラリア編 シーズン1

Australia Season1
Brisbane-Cairns編

Australia オーストラリア

春はあけぼの

この時は、なんとか生き延びようと必死だった。

日本を旅して学んだことを海外でも実践してみたかった。

「願いは叶う」っていうことを信じてみたい。

初めての一人での海外。

僕はオーストラリアにいた。

俺にとっちゃここが始まりの街

ゴールドコースト空港に着いてからブリスベンまでの道のりも、飛行機の中で会った子が空港の人に聞いてくれて俺はわけなく辿り着けた。

そして日曜、「ホームステイ」先のトムの家に行ったんだ。

全部英語で行われる授業には、全然ついて行けなかった。

たまの学校終わりにシティキャットに乗ってブリスベン川を渡って街に出てみんなで遊んだりしていた。

短か過ぎた留学かって呟く

周りで何がおこなわれているのか一向に理解できないまま、一瞬で短い「留学生活」は終わっていった。

夕暮れに沈むサウスバンクの観覧車を思い出している。

いつも新しくて素晴らしい出会いがあるんだけど、この時の未来なんてのは全くもう本当に煙の中でさ、なんにも決まってないまんま学校生活が終了して「ホームステイ」の期日も迫っていたんだ。

ゴールドコーストの海辺でのんびりすれば何かが変わるかもしれない。

全くのノープランだったけど、きっと新しい風が吹くはず。

もう今だってこの頃だって無鉄砲でどうにでもなれ状態だったんだ。

アンドレアからの返信

トムに別れを告げて、俺はゴールドコーストに旅立った。

あいつはスケボーが好きないい奴だった。

再会することになるのはまだまだ先の話だ。

透き通るようなきらきらした海水。

踏むとやわらかく足跡が残る綺麗な砂浜。

サーファーズパラダイスって言われるだけあるぜ。

宿に戻ってきてしばらくゆっくりした後、この後どこに行こうかななんて考えていた時、一通のメールが来てることに気が付いたんだ。

それには英語でこう書いてあった。

“ファームで働きたいのならバンダバーグに来て、条件は、時給18AUSドルで、だいたいこのくらい働くわ。宿はシェアハウスを用意するわ、ファームで働く人はみんなそこに住むのよ、レントは週160AUSドルよ。”

働いて、働いて、稼ぎまくって、オーストラリアをラウンドするんだ!

なんとしてもファームで頑張ってセカンドのビザを取る。

やりたいことと、やれることがはっきりしてた。

みんなで働いた方が楽しいし、分け合った方が気持ちいいに決まっているんだ。

今ってやつに一生懸命でいてね

農場の街は暗くて妙に静かだった。

少ししたら、幸いにもアンドレアが現れて俺をシェアハウスまで送ってくれた。

初めて訪れる土地、それに加えて夜の中、僕はとても不安でアンドレアに話しかけるも何言ってんだかわからない状況。

それでも前に進むんだ。

恐いけど。

行かねばならない。

この時期この「ファーム」で起こった全ての事、共に過ごした仲間達。

日本を旅していた時に会った人たちが楽しそうに話していたことを経験できた。

今だにあれは夢だったんじゃないかって思える程、充実していた毎日だったんだ。

最初の週の日曜日、ヒデがゴールドコーストからやってきた。

ヒデもファームの仕事探していたから俺が呼び寄せた。

毎週土曜日、僕らはシェアハウスの庭でみんなでBBQをしながらお酒を飲んでカードゲームをやった。

日曜日は唯一の一日休みだったから、のんびりと気ままにヒデと街に出たりしながら過ごした。

サツマイモを掘りまくれ

ファームの仕事は毎日がしんどかった。

その分給料はよくて、オーナーもマネージャーもみんなオージーだったから羽振りはよかった。

毎朝日の出よりも前に起きて飯を食べる。

体操をしながら迎えの車を待つ。

そして、「サツマイモ」を掘りまくり、草の芽を刈りまくり、土を耕しまくった。

虫に刺され、体中痒くなり、クリームを塗って痛みを和らげ、たまに寂しくなって友達に連絡したり、たまに夜になるとヒデとかとワインを飲んでいろいろ話したり、英語の勉強をしていたり、そんな感じの生活だ。

急な雨に打たれた後にでた虹。

農場は遮るものがないから虹の根っこから根っこ迄くっきりと見えたよ。

移動中トラックの荷台から見た道の真ん中を飛び跳ねてたカンガルー、何度も目が合ったような気がした。

かぼちゃの種を植えた新しい畑。

いつも泥だらけになるもんだから、帰った後、服着たまんまシャワー浴びていた。

それはそれで充実した毎日を送っていた。

農場で働く生活

最初の一週間がマジできついのはよくわかる。

それからもまた何人か新しく入って来て、メンバーは変われど、毎日同じような仕事の連続だった。

それでも、農場の様子は毎日少しずつ変化していく。

いつだか植えていた種に芽が出てきていたり。

少しずつだけど朝晩冷えてきたり。

この頃オーストラリアでは秋だったんだ。

何か、目標がなければ到底続けられないと思う経験してたんだなぁ。

セカンドワーキングホリデービザを手に入れろ

ファームにはそこで飼われている犬もいてさ、みんなそれぞれ障害があって可愛かったんだ。

一匹は目がいつも真っ赤、もう一匹は足が一本なくて、もう一匹は子犬なんだけど、すぐなんにでも噛みついちゃうからって首に、どこも噛めないようにシャンプーハットの長い版のわっかみたいのつけててさ、みんな個性があったなぁ。

あいつらも俺の友達。

もぎりたての野菜をズボンで擦って綺麗にしてから「ぎゅっ」て齧ると、もうめっちゃ美味しくてさ。

それからだよ、マジで野菜好きになった。

俺達のシェアハウスにはいつも農場から届く新鮮な野菜があったから、それでいっつも野菜料理を食べてた。

日記帳をつけながら、一日一日印付けていてさ、働きだしてから88日目(セカンドビザ申請クリア)がくるのを首を長くして待っていたんだ。

まれに一週間で1000AUSドルくらい稼げる時もあって嬉しかった。

毎週末のBBQの時のビールは本当にうまかったなぁ。

Don’t Trust Over Thirty

あれよあれよと時間ばかりが過ぎていき、僕はついにファームを出ていくことになった。

最終日はみんなが仕事に行っている中、俺とフェリックスは出発の準備。

なんか特別な時間を過ごしていたみたいだ。

終わらせるんだ自分の手で。

自分で決めるんだ、全部は自分次第。

心が嬉しくないようなことはしたくないなぁ。

そしてまた新しく始める。

と、思いつつも、なかなかそれが出来ない自分ってのも嫌でも見つけてしまってさ。

そういった時間ひとつひとつが成長っていうのかもしれないんだけどさ。

本当にオーストラリアに来て必死こいて「ファーム」で頑張れたのは俺の人生の中でも貴重な経験だったって言える。

人の人生は本当にそれぞれ違う味がするもので、どれがいいってわけでもなく、自分次第で未来は変わるんだよね。

変われなかったから。

恐くてもうだめで、何もできないから。

そんなんだったら、またそこから新しく始めたらいいんだよね。

僕たちは、グレイハウンドのバスに乗って、また新しい旅に出たんだ。

楽園

ここから、ケアンズまで俺とフェリックスの短くて濃い旅が始まる。

バンダバーグのバスターミナルでアンドレアともお別れ。

みんなとお別れさ。

アーリービーチに着いたのは次の日の朝、天気が良くて爽やかな朝。

海も空も澄んだ青をしている。

こんなに綺麗な海を見たのはサーファーズパラダイス以来久しぶりだった。

「グレートバリアリーフ」の中、小さな魚、サンゴ礁とか、澄み切った青い海を見た。

「音」が無いっていうか、自分の「呼吸」の「音」がやたらと聞こえて、すごく静かなんだ。

グレートバリアリーフの海に夕日が沈んでいくぜ。

日が落ちて夜になると僕等は船内でビールやサイダー、ワインを飲みながらトランプをして遊んだ。

真夜中の海上は本当に真っ暗でさ。

人口の光が届かない海の上から見る「グレートバリアリーフの夜空」には無数の「星」が現れていて、初めてかもしれないなあんなに綺麗で輝く星達を見たのは。

朝が来て僕等は簡単な朝飯を食べ、船は一路この旅の目玉、ウィットサンデイアイランドを目指す。

ホワイトヘブンビーチ近くのナショナルパークの高台から見るウィットサンデイの美しさったら、なんて言ったらいいの。

なんだかんだで、日が暮れて、船上では宴が始まる。

だんだんと辺りは闇に包まれる。

朝が来て僕等は次の目的地、マグネティックアイランドまでのフェリーが出るタウンズビルへ、グレイハウンドのバスで向かった。

フェリックスとの旅

グレイハウンドのバスは、船着き場まで僕達を運んでくれた。

タウンズビルの丘がだんだん遠のいていく。

僕等は近くのホースシュウ・ベイっていう浜まで歩いて行って、浜辺を散歩した。

大自然に抱かれて暮らしたいよな、なんてオーストラリアを旅してる時に何度も思ったりしたもんだ。

アーリービーチでのバカ騒ぎが嘘のようにしっぽりとしてた夜だった。

フェリックスはやっぱり、なんにもない浜でのリラックスの方法を知っていたみたいだ。

俺はファームの熱がまだ残っていたから、腕立て伏せとかして体を鍛えて誰も居ない海を満喫した。

マグネティックアイランドを出た僕等は一路、ミッションビーチに向かった。

大きな相部屋、ドミトリーで落ち着いた後、僕等は海に入りに行った。

ミッションビーチの広々とした浜、海の向こうには小さな島が浮かんでいる。

ものすごく広いのに観光地とは思えない程に人がいない。

ここでの時間ってのはケアンズで始まる連日連夜のパーティーの前の、「嵐の前の静けさ」ってやつだったのかもしれないな。

スカイダイビングみたいに

グレイハウンドのバスを降りたのはケアンズの図書館の近くだった。

それからフェリックスと一緒にケアンズの街散歩。

ケアンズにはマーケットがあって、金土日の週末オープンしていた。

果物や野菜が安く手に入るのは日曜日の閉店前。

フェリックスと僕はセスナ飛行機に乗り込み、飛行機は上空へと飛び立った。

順番が来てフェリックスも窓の外に消えてった。

次は俺の順番だ、でも恐くはない。

後ろにぴったりくっついてくれてるおっちゃんに命は預けた。

次の日、アランが仕事ゲットしたっていうバックパッカーズホステルに一緒に行くことになった。

やっぱり、仕事紹介してくれるっぽかった。

働くお金が発生しない代わりに寝るところと飯が付いてくる。

海外で長く生活するにはもってこいの仕事だ。

ケアンズはその頃、秋から冬に向かっていたのに全く寒くなくて毎日天気が良かった。

そこからどんどん運が開けて行った。

どんな人と出会うかがとても大事なんだ。

パーティーアニマル誕生

ケアンズでの生活はゆるくて、毎朝ゆっくりと起きて、フリーの朝食、簡単なパンとジャムを食べる。

それからコーヒーを飲んで、ハウスキーピングの仕事をする。

ベッドのメイキングと、部屋の掃き掃除、バスルームのクリーニング。

同い年のJDが俺にUKのスラングをずっと教えてくれていた。

夜になると、バーでフリーの晩飯をそこで働いているみんなで食べて、そっからはもうパーティーの準備。

今日どこに飲みに行くかとか、俺は誘われるがままに参加してた。

そうして、一日、一週間、一ヵ月って、ものすごい速さで過ぎて行った。

この頃、レセプションで働いていたアイルランドからのメガンとジャスティンや、一緒に働いていたフレンチのモナ、ステファニー、ドルフィン、セドリック、ネイラ、あとは、イングランドの、JD、スティーブ、ドイツのウィリーとかポール、韓国のトウキョウ、もう本当にいろいろな奴らと出会って、なんだかんだ話しまくって勉強していた。

俺の面倒を見てくれたアラン & JD

アランはバッパーのバーで働いていたから、夜はそこで一緒にみんなで飲んでいた。

アランが出ていく頃には俺もケアンズから一度、地元の友達の結婚式の為、日本に帰るチケットを取っていた。

そしてその後のダーウィン、カカドゥナショナルパーク、パースまでの航空券とアコモデーションも予約していた。

正直値段は高かったけど行ける時に行かないときっと後悔するし、それからじゃもう遅い。

シドニー、メルボルンも見えてきていた。

その前にダーウィン、パース、そしてその後東南アジアの旅に出たかった。

ケアンズも少し涼しくなってきた。

そんなの関係なく、僕等はナイトクラブに飲みに行っていた。

イングランドのJDは俺と同い年ということもあり、よく一緒にスティーブも含めて飲みに行ったり、カジノに行ったりした。

一緒にフェスティバルとか行って花火とか見てたからかな、アランが旅立ってからはJDが俺の面倒見る係になったのか、あいつが兄貴的性格であごひげがめっちゃ生えてたからか、なんか毎回一緒に飲みに行ってた。

日本への一時帰国

仕事もなにもかも慣れちゃって、俺は早く次の目的地まで旅立ちたくなってたんだ。

一回日本に帰るんだけど、気持ちはもうダーウィン、パースに向かってた。

これは本当にそうなんだけど、自分の行きたい方向の事をみんなで話すと力を貸してくれる人が現れるんだよね。

ケアンズ最後の夜も、バッパーで働いているみんなと外のバーで楽しく飲んだ。

あぁ、ケアンズ。

またいつか羽伸ばしに行きたいもんだぜ。

再びオーストラリアへ

この頃の僕の「夢」、それはオーストラリア大陸をラウンドすること。

その事だけにすべてを費やしていた。

イメージだけは持っていた。

パースの後はなんとなくだけど、東南アジアを旅してから日本に帰って、セカンドビザの申請をすること。

道は開ける。

人生は続くんだ。

Australia Season1
Darwin-Perth編

一人旅だけど一人じゃなかった

飛行機の窓から見るダーウィンの街の夜景はとても小さく感じた。

もうフェリックスもアランもJDも、バッパーで出会ったみんなも誰もいない。

一人だけの旅だ。

僕は手持ちの日本円をオーストラリアドルに両替して、スーパーに買い物に行き、手軽に作れる食材を買った後、写真を撮りに海まで行った。

僕等は写真を一通り撮り終えると、シティの方に向かって歩いて行った。

次の日は、歩いて街はずれのボタニックガーデンへいって森林浴。

その後、さらに足を延ばしてミンディビーチっていう砂浜が綺麗な所へ行って夕日が落ちるのを見ていた。

暖かい風が僕の頬をさすってく。

あぁ。

今僕は旅の中にいるんだ。

大自然に包まれて

そんでもって翌日、ケアンズの宿で予約していたカカドゥナショナルパークへの一泊二日のツアーに参加するべく早起きした。

行く途中でパーキングエリアに停まったんだけど、そこには角の生えた牛とか、豚とか。

動物がいてさ、このエリア名物の「クロコダイル」まで頑丈な檻の中に入ってぎろぎろした目でこっちを見てんだ。

その後、マリーリバーナショナルパークって所でボートに乗ってワイルドライフの見学。

俺、大自然が好きだな。

晴れ渡った空。

あらゆるところに緑の植物が生えていて川の中から顔を出してる。

鳥たちが歌い、僕も風景の一部になっていく。

水面に顔を出すワイルドクロコダイル。

一時間弱の冒険を終え、僕等はカカドゥに着き、昔の「アボリジニ」の生活模様を観察しながら、大きな岩を上っていった先に見たものはカカドゥの大平原。

ずっと、ずーっと遠くまで大地が広がってる。

風がまた吹いている。

優しく。

ゆっくりと。

どこまで俺の旅は続くのかなぁ。

そんなのわかんねぇ事だよなぁ。

この日の夜はキャンプだ。

小さなテントの中に、寝袋ひいて雑魚寝って感じ。

陽が落ちる前に僕等は川へ夕日を観に行ったんだ。

そして、大空を自由に羽ばたいていく大勢の鳥たちを見たよ。

渡り鳥かな、よれよれなひし形の一方みたいな陣形取って、風をうまく利用して飛んでんだ。

ひょっとしたら、あいつらも風なのかも。

翌日はみんなで集合写真を撮ってカカドゥの奥へ。

この日は自然に出来た雨水の溜まり場で水遊び。

雨水の溜まり場って聞くと汚そうだなとかって思うじゃん、でもね、そこには自然の物しかないんだし、そんなの関係ないんだ。

土と木と岩でろ過された雨水の中、超気持ち良かったんだよ。

新しい日々

次の街は西オーストラリアのパース。

パースでしばらく働いてから東南アジアに旅に出たかった。

ダーウィンは暖かかったけど、パースは少し涼しかった。

空港を出たら光が射していて、僕は青空を見上げた。

パースに着いてから、僕はケアンズで出会ってみんなでなんどもBBQをしたりして仲良くなったフレンチのモナが泊まっていて、ルームメイトだったセドリックもお勧めのパース中心地から程近い安宿に向かった。

青空の下、キングスパークの高台からパースの街を一望した。

カンガルーと一通り遊んで、モナにパースのこといろいろ聞いてダーウィンの事とか話した。

そんなこんなで始まったパースでの生活。

来る日も来る日もカメラを片手に仕事を探していた。

インディアンオーシャン

一週間経っても仕事はなかなか見つからないから、宿の予約が切れるタイミングで一気にフリーマントルっていう、お洒落なカフェがたくさんある街まで移動することに決めたんだ。

タカは言ってたよ、「俺フリーマントル好きなんですよ。インディアンオーシャンめっちゃキレかったですよ」ってよ。

俺もそれを見て大感動、真っ青でめっちゃ綺麗。

いろいろ話していく内に楽器出来るんなら、ゆうへい君もやってるからって、ストリートパフォーマンス、「バスキングしたらいいじゃないっすか」って話になって、パースにある楽器屋知っているって言うから今度一緒に「カホン」を買いに行くことになったんだ。

ちゃんとした仕事も探したかったけど、なんも稼ぎがないよりは、何かしててそれが「音楽」なら最高だから良い考えだ。

まさか俺もその仲間になるとは、人生大事なのって本当に人との出会いだよなって思うよ。

フリーマントルの海も空も驚く程にブルーで透き通っていて、もう俺の体を貫くほどだった。

あの時の俺は、あの時見た空の色に染まってた。

バスキングライフ

早速、パースシティのストリートに出て自分のバンドの曲を叩き出していた。

こうすると全てが変わる。

本当にたくさんの人に出会った。

相変わらず俺たち、メンツはいつも違ったけど、日本人宿で出会ったみんなとは船着き場の近くのカレー屋でよく会っていて、たく君が「ここに現れる怪しいフランス人がいる」って言うから観察してたら、なんとなく毛むくじゃらの変な奴がいたから、あいつかなと思って「ちらっ」と目配せしてみたら、向こうもしてくる。

週末、俺たちはバスキングをしにノースブリッジっていう場所へ向かった。

そこはパース駅の裏側で、当時俺が泊っていたバッパーのすぐ近くだった。

その夜、俺達は酔っぱらいを相手にしながらずっと「音楽」を鳴らしていた。

この頃はよくダグラス達と「フェスティバル」に行ったり、「ブーメラン」飛ばしに行ったり、本当に、最初はいろいろあったんだ。

ホームステイの仕事のオーナーに電話して、すぐに入れるファミリーないか聞いてもらってさ、そしたら聞き入れてもらえて、なんでも言ってみるもんだな。

パースで出会った愉快な旅人たち

毎週火曜日に街のナイトクラブで「オープンマイク」のイベントがあって、ミュージシャンはステージで演奏すると無料でビールとピザがもらえる。

街でバスキングしているとすぐ人に会う。

そのくらい小さな街だし、メインのストリートはみんな通るから待ち合わせなんてしなくても良かった。

ここで出会ったみんなは超優しかったよ。

あぁそうだ、のちにアメリカ大陸を「リヤカー」ひいて歩いて横断しちゃうっていうめちゃくちゃな男、ゆう君ともこの街で出会ったな。

アメリカ大陸を横断してた時、ゆう君の連れはサッカーボールをドリブルしてたっていうんだからもうクレイジーだよ。

「そういうの最高だわ」って、後でこの話しを聞かせたヨーロピアンの子が言ってた。

真夏のメリータイワニーズクリスマス

もうきっと南半球は夏なんだ。

僕は週に2、3回ストリートに出てバスキングをしてた。

半袖に短パン、でも頭には子供に人気が出るようにサンタクロースの赤と白の三角帽子を被って「カホン」を叩いてた。

もうすぐクリスマスだ。

年末な感じがどうもしない。

きっとなにかうまくいく前兆だと思っていた。

あがいたってしょうがない時ってあってさ、だから俺、街に出てバスキングすることにしたの。

本当に綱渡りみたいな生活を送っていたんだ。

運よく落ちなかったけどさ、あの時は本当に嬉しかったんだ。

仕事も終わったから、バスキングだけ出来るし、しかもタイワニーズのみんながもうご飯もくれるし、料理もしてくれるし、何するにもみんなでしていて愉しかったなぁ。

家なくなって、むしろ良かったってオチだよ。

新春快楽

僕はタイワニーズのゆるく暖かい雰囲気の家で過ごしていた。

隣ではタンクがなにやら台湾の友達に向けて何か手紙を書いている。

友達思いのいい奴なんだ。

夜は家の前でみんなでBBQとかしたりして、自由に過ごしたよ。

本当にゆったりとした時の中にいた。

僕の頭の中はこの時、東南アジアへの旅の事でいっぱいだった。

その日、最後のナイトクラブだったから俺も張り切っちゃって、だいたい全部のステージでカホン叩いてしまった。

そんで、最後にパフォーマンスしてって言われて、俺だけだと華がないから、げんじろう君指名して、一緒にステージでげんじろう君の曲に合わせて演奏したんだ。

げんじろう君の歌がマジでいい。

旅の中で何度も聞いた。

タイワニーズのみんなが優しくて、俺の事を旅行に誘ってくれた。

バッセルトンジェッティという『ワンピース』の海列車のモデルにもなってるんじゃないかってくらいに海に桟橋が長く突き出ている場所へサンゴと、サラと、ブルーノと行った。

海風に吹かれて、もうパースでの日々も残すところ数日。

オーストラリアでの日々を懐かしむように佇む海辺。

それぞれの旅の中、交差する僕たち。

最終日、土曜日だったから、台湾の友達みんなが俺のことをパースの飛行場まで送ってくれたんだ。

チェックインも無事に済んで、まだ乗り込むまで時間があるからって、みんなでなんか食ってさ、最後には一人一人とハグして記念撮影。

ここから俺は東南アジアの旅に出る。

すべてが初めての、なにやら不確実な毎日。

東南アジアに向かっている俺は、勢いに充ちていたに違いない。

そいつがまだ俺の中にいてたまに背中を押してくれる。

とうとう激動の東南アジア陸路の旅が幕を開ける!

第二章 東南アジア編

South Asian countries
Singapore-Hong Kong編

Singapore シンガポール

東南アジアの旅が始まる

オーストラリアで過ごした時間が僕を東南アジアの旅に連れてきた。

ここからどこまで行けるか試してみたい。

シンガポール、マレーシア、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナム、この辺りまでなら行けるだろうか。

陸続きなんだから道はあるはず。

日本列島を旅した時みたいに熱く行けねぇかな。

ホストのインディアンガイの家で目覚めた僕は、軽めの朝食を取りに近くの駅まで出た。

シンガポールっていったら、やっぱりあいつ。

マーライオンを見に街の中心地に向かうことにしたんだ。

大きなビルが立ち並ぶ経済特区シンガポール。

道路は渋滞、僕は前を歩くシンガポールの人をひらりとかわしてサンダルで歩く。

湿った風が吹いて首元が汗で滲む。

マリーナベイサンズのスクウェアから見るシンガポール中心地の夜景もすごく綺麗だった。

隣の国の街マレーシアのジョホールバルまで向かう為に、ウッドランズって駅まで電車で行って、それから路線バスで「国境」を越えることにした。

国を越える時、いつもドキドキする。

Malaysia マレーシア

ジョホールバルの……

シンガポールの隣街、ここはマレーシアの街ジョホールバル。

だいたい、物にもよるけど、日本の3分の1くらいの物価だ。

マレーシアの通貨の名前はリンギット。

ジョホールバルの街はシンガポールやオーストラリアとは何もかもが違っていた。

どこもかしこも汚くて整理されていない。

道は凸凹で電線はこんがらがってる。

旅中はチャーハンをよく食べた。

なんか店員さんが持ってきてくれるスパイスをつけると味がきいてよりうまくなる。

しばらく歩いてみてここはまだまだ発展途上の街で、作りかけのビルの街って印象がある。

ジョホールバルの歓喜も今は聞こえない。

マレーシアを駆けのぼってタイまで行けそうだ。

地元の人のおかげ様

マレーシアだけじゃないんだけど、東南アジアを走るバスはどの線も冷房が効きすぎていてめっちゃ寒い。

油断するとすぐ頭が痛くなる。

おまけに地元の変な音楽も流れている。

ジョホールバルから首都のクアラルンプールまでの間にマラッカという街がある。

ここはとても長い歴史を持つ街で、街全体が「世界遺産」に登録されている。

ここでマラッカの子達と会ったんだ。

僕がフランシスコ・ザビエル像の近くで座って休憩して景色を見ていたら、同じタイミングで地元の子達三人組も休憩してたんだ。

その子達の案内もあってマラッカ川を渡って歴史地区まで一緒に歩いて行った。

本当に今と昔と混ざっている。

見上げると道路の上に赤い旗が連なってなびいていた。

俺一人じゃ気付けなかった事ばかりだ。

日が暮れるまで案内してもらってしまった。

目覚めてまた観光しに行こうとしたら、隣の部屋から出てきたヨーロッパの子とバッタリ会ったから、「一緒に行くか」ってことで街に出た。

クララ、フランスから旅に来ていた子。

プリンセスがすごく良い所に住んでいて、海沿いのセキュリティ付きの高層マンションの高層階。

マラッカの海を毎日ここで見ているんだね。

歴史地区にあるプリンセスが良く行くバーに連れて行ってもらったら、そこのマスターが超音楽フリークで、ピアノ演奏からギターも超うまい。

こんなの感じたことないってくらい、ずば抜けている彼のリズム感。

マレーシアゆるくていい感じ。

クアラルンプールまで向かうバスの中、体が冷えないようにバスタオルを巻いていた。

いよいよマレーシアの首都クアラルンプールだ。

真っ暗な夜に突き刺さるペトロナスタワー

初日の夜に目玉のあのでっかいツインタワー見に行った。

ペトロナスタワーっていうらしい。

初めての街で、初めての電車乗り継いでツインタワーの最寄り駅で降りてタワーを見上げた。

夜になると、街にはネオンの明かりが灯りだす。

僕は途切れない文字を映す電光掲示板を眺めている。

喧噪の向こう、鉄道が走る。

誰も知らない街角で、ネオンの光に照らされていた。

クアラルンプール、物乞いが何も言わず両手を差し出して道の脇に座ってる暗い夜。

ペナンに行くバスの切符を手に入れた大きなバスターミナル。

バスはゆっくり発車する、窓の外を流れていく景色。

ガンガンにかかる冷房と謎のローカルミュージック。

マレーシアの旅はまだ終わらない。

アーティスティックになれないの

ペナンの街はいい感じに古くて、アートな臭いを感じる。

バックパッカーハウスにチェックインした僕は晩飯を食べに屋台へ出る。

辺りはもう暗い闇に包まれていた。

今日も日が暮れた旅の途中。

シンガポールのビール、タイガービールを「ボブマーリー」がかかるレゲエな店で飲む。

バーの壁には英語で、「ザ・ライフ・イズ・ソウ・グッド」って雑に書かれていた。

タイガービールが回ってくる、俺は一体どこに向かっているんだろう。

自分でも記憶のない旅をしていて欲しいってどっかで思ってる。

ペナンの街はお世辞にも綺麗な街とは言えないけど、アートが染み込んだ渋い街だった。

バターワースっていう駅に僕はいた。

そうだ、ここからバンコクまで「寝台列車」で丸一日くらいかけて向かったんだ。

今度は「国境」を電車に乗りながら越えた。

出国手続きと入国手続きの為に、一回電車を降りてスタンプを貰わないといけないんだ。

そんなこんなも全部が「旅」じゃん。

心躍らせてなんぼでしょ。

寝台列車ってわくわくする。

夜になるとみんなはカーテン閉めて眠りに着く。

それでも電車は走る。

目を閉じて車輪の鳴らす音に揺られてる。

こいつは確実に僕等をタイのバンコクまで運ぶ。

The Kingdom of Thailand タイ王国

君にほほえんでる

旅の俺はといえばバンコクに着いていた。

ローカルバスをつかまえてまだ拙い英語で話す。

「カオサンロードに行きたい。このバスはそこまで行く? 着いたら教えてくれる?」

カオサンロードの安宿で荷物をほどき、観光に出掛けてみた。

大きな金色の大仏のある寺に来た。

屋台のおばさんはお昼寝している。

猫が歩いてく。

アンドレアと僕は、美味しいタイ飯を食べた。

カオサンロードはいつも人で溢れている。

本当に手ぶらで旅に出てカオサンロードに来れば全部揃っちゃうと思うんだ。

タイで一番有名かもしれない仏像が横になって寝てるワット・ポー寺院に行ってきた。

仏像は寝そべっているんだけど目は開いていた。

それからケーズのはじめさんの紹介でタイ人のはじめさんの友達と会うことになってたんだ。

そこに現れたのが、千葉にもケーズにも来たことがあるっていうコーヒーとキャン。

彼らはタイの大学で先生しているんだ。

旅に出たら地元の友達と行動するのが一番いいね。

コーヒーとキャンの友達も合流して、チャオプラヤー川で渡し船を待つ。

だんだん日が暮れてきて街に明かりが灯る。

川面に反射する光と影。

ぬるっとした湿気をたくさん含んだ風が僕らの間をすり抜けて、木造の橋の下に収まらずに川の流れにのって下ってく。

暮れ行く空を眺めながら、遠くにいる誰かの事を想うわけでもなく、僕はこの「瞬間」に生きていた。

チャオプラヤー川のボートに乗り込んだ僕等は川沿いの大型ショッピングセンター、アジアティーク・ザ・リバーフロントに向かう。

朝を迎えて僕はコーヒーと一緒にバイクタクシーに乗って街まで出た。

夜のカオサンは熱気もすごかったぜ。

結局コーヒーもキャンも俺もへべれけになるまで飲んで、一緒に屋台飯を食って締めた。

コーヒーとキャンは終始優しかった。

俺も、俺の友達が日本に来たらめっちゃ優しく接したい。

全部が人生勉強だ。

夜の街をトゥクトゥクに乗って走る。

道路脇にある店の明かりが眩しい。

そうか、この時期ちょうど「チャイニーズニューイヤー」だったんだ。

サイアムセンターっていう活かした街がある。

中国のニューイヤーだから広場に設けられた仮設ステージの上ではドラゴンが舞っていた。

雑技団ばりのアクションをする人たちが見世物をしてる。

その夜タカと再会した。

夜行列車でタイの北、ラオスとの国境の街ノンカーイまで旅に出ることにしていた。

タイでのゆっくりとした時間をくれたコーヒーに感謝だ。

今回も夜行列車、心躍るいい感じ。

列車の中で感じる夜と、窓の外を流れてく夜と、何も変わらない俺と旅人たちを乗せた列車は、早すぎず、遅すぎず、タイを北上して行く。

国境の町、メコン川を越えていけ

ここは国境の町ノンカーイ、とても小さな町だ。

メコン川が優雅に流れている。

朝方、太陽の光によって目が覚める。

駅前で「トゥクトゥク」を拾って街の中心地へ行ってみることにした。

せっかくだし、急ぎの旅じゃないんだから、ゆっくり一泊でもしていこうと思っている。

メコン川を眺めていると気持ちも穏やかになってくる。

川から穏やかな風が吹いてくる。

何もかもがスローに流れてく。

焦らず、慌てず、落とさず、失くさず、気ままに風任せな旅だったんだ。

ノンカーイの街を歩いてたどり着いたのは、メコン川。

時間はいつ流れたんだろう。

このまま夕暮れでも見て黄昏ていようかと淵まで行くと、渡し船の積載量を軽々と超えているだろうパンパンに荷物を積んでる船が今まさにこちら側の岸から、ラオスの方に出発しようとしてる。

陽が傾いて、影をつくって夜が来ようとしているよ。

川の流れは雄大で、辺りはただ静寂に包まれていた。

メコン川のにおいを纏うトワイライト、民家の明かり、川面に移る空。

寂しくなったらまた来いよ。

空高く月が出た。

朝が来て足取り軽く「トゥクトゥク」を捕まえて国境まで向かう。

Lao People's Democratic Republic ラオス人民民主共和国

ラオスの首都でおひるねを

メコン川を渡った俺はラオスの首都ビィエンチャンにいた。

ビィエンチャンもメコン川沿いに開かれている街らしい。

どれだけこの川が地元の人たちにとって大事なものかよくわかってきた。

それから俺はメコン川の畔にたどり着いたんだ。

ここでもメコンは穏やかに流れていた。

しばらく川を遠目に見ながら腰を下ろして体を休めていたんだ。

地べたに寝そべって少し眠った昼下がり。

旅は一寸先もどうなるかわからないじゃん。

なんも決めてないし、でもどうしたいかってのは漠然とあって、それが頭の上、遥か彼方にあんじゃん。

そいつをすっと体に落とし込むこと。

どうしたいか決めるのはやっぱり俺の意志だったよ。

夕暮れに漂う気球を見上げてる

ここは小さな村、通りには毎度のごとくフルーツやらなにやら売っている人達がいる。

街のすぐ横をナムソン川が流れている。

静かに透き通った川で流れは緩やかだ。

僕はとぼとぼと橋の上を歩いていた。

太陽はまだ高く川面を照らす。

顔を付けて潜るヨーロピアン。

水はやはり澄んでいた。

こんな山奥だもの汚れようがないんだ、人がごみをむやみに捨てたり、無理くり開発とかして環境を破壊しない限り自然は保たれ続けるのに。

こうして旅を続けていると、何が自分にとって尊いものか、彼らが教えてくれる。

街をゆっくりと歩いて回っていると、人々の生活や土地の熱ってのがたまに垣間見れるから好きだ。

だんだんと日が傾いてきた。

夕暮れのそのまた前。

静かに暮れ行く空に「気球」が浮かぶ。

夕日に照らされるレインボーの気球、音もなく漂っている。

コテージには置き忘れられたビール瓶が3本、オレンジ色の光に照らされていた。

ゆっくり、どのくらい眺めていたんだろう。

風に連れられてどこかにいっちゃった。

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