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portsidelaboratoryが出来るまで。

こんにちは。

私は長崎の雲仙と言う場所で自身のショップ「portsidelaboratory」を運営しています。オープンは2015年の5月です。オープンして約5年ほど経過していますが謎多きショップということもあり未だにどんなお店か聞かれることが多々あります。そこでオープンまでの経緯と現在(2020年3月)の状況を自分が振り返る意味でもここにまとめたいと思います。


「使わないと、家は痛む」

ご存知の方もいるかと思いますが私は2014年に東京・吉祥寺を離れ、長崎の雲仙という町に移住しました。移住先は住民よりも野良猫と蟹と空き家の方が多い小さな漁村です。妻(のりお)の母の実家がちょうど空き家になっており、軽くリノベーションをして住まいとして利用を決めました。

基本、田舎の家って大きいですよね。母屋と生活スペースが一緒になっている作りで、気持ち的には二棟家がある感じです。母屋の方は空き家になる前に住んでいた人が塾をやっていたおかげもあり、まぁ普通に漆喰も綺麗で、柱は頑丈で、ちょっと手を入れれば使えるくらいの綺麗な状態でした。生活スペースの方はささっと業者さんに依頼をしてリノベし、普通に生活しいていますがやっぱり母屋が徐々に荒れていくことが気がかりでした。やっぱり建物は人間が使ってなんぼです。使わないと自然と痛んでいくんだなーと痛感しました。そして、この母屋がのちのちのportsidelaboratoryになります。


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「リノベはしんどい」

まぁ最初は業者さんに依頼するのもお金がかかるから自分たちで出来ることはしていこうと決心したものの、やっぱり、リノベや手入れはしんどい!幸いにも同じ町内に設計図をかけてインテリアにも詳しくて地元の大工さんやクロス屋さん、施工屋さんとコネクションがあるちょっと変わり者がいまして、その変わり者に協力してもらいなんとか手入れを進めていきました。この時点で移住した2014年の冬です。ここから2015年の5月にオープンする計算でリノベや手入れ、ショップとして必要な物を揃えていくことになります。

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↑床の底上げが終わり、次には床の間と仏間のリノベです。

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↑2015年の2月頃にはこのくらいにある程度デザイン人権、クリエイティブ人権を尊重できる空間にはなりました。床の間と仏間はもう自分で綺麗にすることを潔く諦め、大工さんに入ってもらいました。上にぶら下がっているクモみたいな照明はmoooiの「Dear Ingo」です。この母屋の立派な梁と柱を見たときにパッと「Dear Ingoを使う時が来た!!」と直感しました。この頃はまだTOYO KITCHEN STYLEがmoooiの代理店をやる前だったので、とあるツテを使ってオランダから直送で取り寄せました。手元に届くまでに約半年かかりましたね。届くのが待ち遠しかった。

母屋をこの状態にするまでにかなりの時間と労力を使いました。もちろんお金がなかったからですが。。なんか地方に移住して自分たちで手を入れて建物を再生するのが=善みたいになっていますが、僕はあまりそうは思わないですね。いやいや、それ金がないだけやろって思います。


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「地方とTOKYOのハイブリッド」

僕はportsidelaboratoryを

「自分(と自分に似た人)の自己実現を形にする実験室」

と捉えながらせっせと準備をしていました。僕は物理的に東京を離れましたが、しっかりとTOKYOをもって東京を離れました。東京にいる頃からTOKYOのポータブル性にはいつも感動していたので、じゃあ実際にTOKYOを持って東京を離れ、TOKYOのポータブル性を確認しようじゃないか。ということでportsidelaboratoryを形にし、如何にしてこの空間で地方とTOKYOのハイブリッドが起こるか?しっかりと目にとどめておくことを自分の義務としました。

畳と梁と襖と1964東京オリンピックポスターVitraのコントラストとか、いい感じですよね。田舎で田舎をやってもあまり意味がない。東京で東京をやってもあまり意味がない。やるなら田舎でTOKYOか、東京でINAKAです。


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「アイデアを形にすることの大切さ」

そんなことを思いなが移住した2014年の一年後、2015年の5月にオープンをしました。自分たちでデザイン、縫製、販売を行うアパレルブランド「nancoi」やセレクトしたファッション雑貨、Nikeのスニーカーなどをラインナップしたショップと長崎ではここだけで飲むことが出来る東京・両国の「Single O」のコーヒ豆を使ったコーヒーとおやつを楽しめるコーヒースタンドとして実験室はスタートしました。

「自分の店がやりたい」

誰もが一度は思い描いたことがある夢だと思います。でもほとんど人はできないし、やらない。歳を重ねるにつれてみんなはできない理由ややらない理由を探すようになってしまう。でも僕は逆でした。「どうやったら出来るか?」のみを考えました。←まぁ結局は金があれば出来るんですが。

素晴らしいアイデアも、基本的にはみんなが思いつきます。そのアイデアを形にする為にそれなりに具体的な動きをする人は100人中10人くらいで、その動きが形になる人は10人中5人くらいで、形にしたアイデアでそれなりのマネタイズが出来るのは5人中2人くらいです。まずはアイデアを形にする為に具体的な行動をする10人のためのお店でありたい。というのがportsidelaboratoryの理念でもあります。具体的な動きをしなければ現状から何も変わりません。←「何も変わらない」って日本語があまり好きではないのですがあえて使います。


以上がportsidelaboratoryが出来るまでのざっくりとした内容です。

次のnoteではportsidelaboratoryのさらに突っ込んだ運営方法や僕の想いや、なぜ地域おこし協力隊の仕事をしながら自分の店を開店することを選んだのか?などを書こうと思います。

2020/3/11

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