コーチ・カウンセラーとしての在り方~クライアントの可能性にわくわくする

 コーチ・カウンセラーとして活動している私は、自らもコーチング・カウンセリングを定期的に受けたり、継続的に勉強会・練習会に参加して学び続けているが、そのたびに様々な気づきを得られることが多い。こうしたことの賜物なのか、雑談など必ずしもセッションという形を取らずとも、大きな気づきや癒し、力を得られることも多い。今回、とある女性を交えた勉強会の中での会話において、コーチ・カウンセラーとしての在り方を改めて考えせられる機会があったので、ここに残しておきたいと思う。

 一般にコーチやカウンセラーは、相手への強い関心や興味が必要と言われる。かのカウンセリングの大家であるロジャースはそれを、傾聴の3要素の一つとして、「無条件の肯定的関心」という言葉にしている。これに従ってコーチ、特にカウンセラーは、他の2要素である「共感的理解」「自己一致」とともに、努めてこれらを意識しているものの、その実践度合いにはばらつきがあるのが正直なところである。そうした前提がある中、今回の彼女の傾聴姿勢、聴き手としての在り方はどのようなものだったのか。

 その女性は、私ともう一人の男性との会話に聞き入っている。
 時に言葉を挟むも、余計なことは言わない。
 ただにこにこして、楽しそうに私の次の言葉を待っている。
 そうした彼女の姿勢を前にして、私のボルテージはさらに高まっていく。
 私の中で自信がみなぎり、様々な発想・着想がどんどん広がる。
 言葉に力がこもり、向かい合う男性に対して想いを次々と語っていく―。

 そこには、一言では言い表せないほどの、私に対する強い興味・関心、そして大きな尊重・大事に思う気持ちがにじみ溢れていたのである。次は何を言ってくれるのか、わくわくと楽しみにする気持ちとともに、私にはそれだけの魅力や才能があると信じ切っているように感じさせてくれたのである。それはいわゆる「心理的安全性」という言葉で言い表すには惜しいほどの、絶対的な安心・安全感。それはまるで、全てを受け止め肯定する、子どもに対する親のような在り方。私はこの時、完全に子どものように、無邪気に、自由に自分を解放していたのである。自分が癒されるとともに、自分に力を与えてもらっていたのである。十分な傾聴、聴き手としての相手への思い遣りさえあれば、特別な言葉かけやスキルなどいらない。勝手に癒され、勝手に外の世界に出ていく力を得ていく。まさにこの時の彼女の聴き手としての在り方は、大人であるはずの私が子どもになれる、ありのままの自分でいられるための「安全基地」だったのである。

 カウンセリング、あるいはコーチングを受けに来られるクライアントの方々は、様々な悩みや課題、あるいは実現したい夢や目標を抱えながら、勇気をもって扉を叩いて来られる。彼ら・彼女らは、自分を変えたい、あるいはより良い人生を歩みたいと願い、対峙するカウンセラーやコーチは、そのための支援を惜しまない。

 ただここでカウンセラー・コーチとして気をつけなければいけないのは、クライアントの方々を変えるべき存在、として捉えている側面はないか、ということである。そう、変えるべき存在としてクライアントの方々を捉えることで、現在の彼らを否定してしまってはいないか。確かに、時にアドバイスが必要なこともあるかもしれないし、実際それによって彼らが変わることの助けになることも少なくない。ただやはりどこまでいっても基本的に、彼らはそのままでOKなのである。理想としての視点、あり方なのではない。事実そうなのだ。彼らの現在の在り方はもちろんのこと、これまでの来し方も決して否定されるべきものではない。それは彼らにとっての必然的ともいうべきかけがえのない人生なのであり、それ以上でもそれ以下でもないのだ。そして、そのようなカウンセラー・コーチとしての姿勢・在り方が、彼らの自己変容を促すのである。こちらは何もしていないはずなのに、なぜか勝手に彼らは変わっていき、勝手に自分の理想の人生を掴んでいく―それが理想的なカウンセリング、コーチングの在り方なのかもしれない。
 
 私にとって、このようなコーチ・カウンセラーとしての在り方は、途方もない道のりかもしれない。が同時にまた、非常に楽しみで、わくわくする、とてもチャレンジしがいのある冒険、旅である。


 

 


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