語り得ぬものをなかったことにしたくない - 秘密結社「喫煙所」(第20通目)
漫画の登場人物やスポーツ選手とかが言ったりする、「世界一になりたい」っていう感覚は、まるで抱いたことがなくて、「なんだかよくわからんけど頑張りや〜」って気分になる。だから、「突き抜けること」を含めて、改めて捉え直してみるのは、すごくおもしろかった。俺も急かしたのに遅くてごめん笑
確かに、「競争」というものを紐解いていくと、「とにかく人と比べた"結果"だけを盲信的に見る」というニュアンスが含まれている気がしていて、そういうことには全く魅力を感じない。
競争の良い面や仕方ない側面の話もあるけど、そうであったとしても、やはり人と比較することからは、基本的に降りていようと俺は思っている。そこから差してくるものを信じているかんじ。だから、競争は「それでもどうしても」という一部の人だけやったらいいんじゃない、みたいな。
タオさんが言うように、競争や比較をしなくとも、何かを突き詰めたり、深めていったりすることは、共存できるものなんだと思う。というか、何かに没頭してみて、振り返ったら以前の自分では生まれ得なかったものが、立ち現れてきたりして、それがいわゆる"突き抜ける"ってことかもしれない。
ただ、競争もだけど、没頭も怖いところがあって、夢中でやっているうちはいいんだけど、段々と満足できなくなってきて、素直さをなかったことにしてまで技術を追い求めたり、他者への排除が抑えられなかったり、見たくなかった自身の暴力性との付き合いが始まるような気がしている。
好きなものはたくさんあるけど、時には没頭ゾーンに入りながら、基本的には「淡々と」「地道に」という距離感でやっていくのが、自分には合っていそうだなと思ったりした。
"自分の世界観や感情を表現できること"という捉え方、なんか素敵でいいね。今思い付いたけど、理想を持つことが結構好きで、というか性分でもあると思っていて、それは「突き抜けたい」という感覚に近しいところがあるのかもしれない。
そういえば、先週ぐらいに書いた雑記に、「自分の世界を作りあげたい。その気持ちはとっておいてもいいんだろう」という一文があって、どんな文脈だったか記憶にないんだけど、自分を知らしめたいとかでも、納得できるぐらいの水準を保ちたいとかでもなく、今地道にやっている、撮ったり書いたり話したり読んだりが、混ざり合って、自分なりの世界を手づくりすることに繋がったらいいなとは思っていて。
腑に落ちないことが、あまりにも世界に多すぎるから、折り合いをつけつつも、どこかで「自分(たち)で手づくりしていかなくては」と思っているんだろうね。タオさんがよく「素直さ」という言葉を出すから、知らずに影響を受けているみたいで、きっと自分の世界観や感情を表現するには、素直さを経ていくんだろうなとも思う。
そういった「突き抜けたい」は、競争や比較でも、閉じることでも、自分だけのことでも、とはいえ安易に人のためとかでもなく、ただ、語り得ぬものをなかったことにしたくないみたいな気持ちでもあるんじゃないかな。
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発見の共有って楽しいね。BLUE GIANTを観てきたけど、遅れた上に満席で、途中カルピスを飲み過ぎてトイレに行こうにも行けず、全然内容が入ってこなかったことを告白しておきます。曲は最高だった。ジャズいいよ。
【今回の問い】
【前回の問いと返事】