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【テレビ番組】ビートたけし、逸見政孝と真っ向から戦った三石琴乃。

 いつもご覧いただき、ありがとうございます。

 美少女戦士セーラームーン(テレビ朝日)をご存知の方も多いと思います。1992年に原作が連載、その後テレビ朝日制作のアニメとして5年間全国放送していました。グッズの売り上げは驚異的で、その後のアニメに多大な影響を与えた作品として知られています。

 主役は月野うさぎで、担当は三石琴乃さん。

 現在は美少女戦士セーラームーンCrystalとしてインターネットと一部テレビ局で配信・公開されています。今月8日から9月に封切り予定だった美少女戦士セーラームーンEtarnalが公開されます。(これは例のウイルスによる影響。)

 Etarnalはテレビ朝日版でいう美少女戦士セーラームーンSuperS(テレビ朝日)に該当します。ちびうさとユニコーンのエリオスとのお話が中心です。(原作がベースのため、テレビ朝日版と差異が見られます。)

 また、Crystalは原作のアニメ化になっています。

 ここでひとつ疑問がありますよね。テレビ朝日版は何?ということ。


1:テレビ朝日版セーラームーン

 テレビ朝日版は原作をベースとした大幅なアレンジを施した作品です。原作ではダークでシリアスなイメージがあるのに対し、テレビ朝日版はギャグを中心としたわかりやすい作品になっています。もちろん、やるときはやるし、シリアスなシーンだって当然ございます。(これは原作でも逆にギャグシーンはあります)

 テレビ朝日版はきんぎょ注意報(テレビ朝日)の大半のスタッフがそのままスライドして制作されたみたいです。このケースはつるピカハゲ丸くん(テレビ朝日)のスタッフがそのままおぼっちゃまくん(テレビ朝日)の制作に関与したのと似ています。どの作品もギャグアニメです。

 例えば、主要キャラの愛野美奈子は原作ではリーダーとしての威厳がある反面、どっかズレたところがあります。それに対して、テレビ朝日版はリーダーの威厳は初期だけで、その後は完全なおバカキャラになります。(大体主人公のうさぎとつるむ)

 火野レイは特に顕著で、原作のレイはテレビ嫌いに対し、テレビ朝日版はテレビ放送するためにそれもできないので、美奈子と並んでミーハーな子になっています。そして、主人公のうさぎを支えるポジションも原作やCrystalが美奈子に対し、テレビ朝日版はレイが引き受けています。

 外部四戦士のひとり、天王はるかも原作では男装女装するのに対し、テレビ朝日版では常に男装しており、一人称も原作が「俺(男装)」「あたし(女装)」に対し、テレビ朝日版は変身後も含めて一貫して「僕」になっています。

 これによって、本来のターゲットである女児層はもちろん、老若男女に支持され、関連商品は大ヒットし、テレビ放送も5年間続きました。セーラームーンを見て育った芸能人も数多くおり、今度の映画に登板する渡辺直美さんや中川翔子さんなどは動画でも色々語っています。

 さらに、グッズが売れなかったら第1期で終了を前提として作られたのか、セーラー戦士は全員死亡します。ただ、その後転生し、記憶がなくなり、元の鞘に戻ってしまうというオチになります。このセーラー戦士が死亡するエピソードはテレビ朝日にクレームが来たことでも知られています。それだけ影響力がすごかったのです。

 実際、ムーンスティックが大ヒットしたので、第2期以降も放送が決定しました。最終的に記憶を取り戻し、再び戦地に赴くことになります。

 そして、セーラームーンの主な裏番組といえば、以下の番組が挙げられます。

・たけし・逸見の平成教育委員会(フジテレビ)
・まんが日本昔ばなし(毎日放送)


2:まんが日本昔ばなし

 まんが日本昔ばなしはTBSテレビ系列で放送された毎日放送制作の日本の昔話を紹介するアニメです。ナレーションは市原悦子さんと常田富士男さん。

 昔ばなし、クイズダービー(TBSテレビ)、8時だョ!全員集合(TBSテレビ)、ドラマ(現在の日立・世界ふしぎ発見(TBSテレビ)の枠)を合わせて、TBSテレビが1970年代を席巻しました。

 その後、1980年に入ると、オレたちひょうきん族(フジテレビ)が始まり、全員集合とひょうきん族の戦いになります。全員集合は1985年に終了し、加藤茶さん、志村けんさんをメインに据えたカトちゃんケンちゃんごきげんテレビ(TBSテレビ)が開始されます。ひょうきん族も1989年に終了。こちらもビートたけしさんのフライデー事件(後述)やネタ切れなどもあったと思います。(ドラマ枠も1985年にふしぎ発見に変わって現在に至ります。)

 1990年に入ると、今度はクイズダービーの司会を務めた大橋巨泉さんがセミリタイア宣言で卒業。日本テレビアナウンサーだった徳光和夫さんに引き継がれます。

 1991年に平成教育委員会が開始されます。そして、平成教育委員会の4ヶ月後にセーラームーンが放送開始。TBSテレビの黄金の組み合わせはどんどん崩れ去っていきます。

 クイズダービーも巨泉さんの卒業と解答者(北野大先生、はらたいら先生、竹下景子さん)の準レギュラー降格など、試行錯誤を繰り返しており、結局1992年秋に終了。

 セーラームーンの裏番組だった昔ばなしもクイズダービーやごきげんテレビなどの終了による影響は大きく、昔ばなしも1994年に全国放送を終了。のちに毎日放送での放送も終了しました。

 ただし、昔ばなし終了に伴う苦情・要望もあり、毎日放送もこれに対応せざるを得ない状況になり、断続的に再放送を実施しています。現在はCSやビデオ販売も行われています。新作については市原さんと常田さんがすでにお亡くなりになっているので、オリジナルキャストでの制作は不可能です。


3:たけし・逸見の平成教育委員会

 そして、セーラームーンの最大のライバルがこの平成教育委員会です。

 平成教育委員会はビートたけしさん(北野武名義)と逸見政孝さんが先生・生徒(学級委員長)という形で司会進行(逸見さんは解答者兼務)する学校授業をベースとしたクイズ番組です。

 逸見さんは司会者としてテレビ番組に出ることが多かったのですが、このようにアシスタント(肩書は学級委員長)として出るのは珍しいです。また、司会しながら解答者として授業(クイズ)に参加するのも異例です。(これは現在でもめったにない。)

 元々平成教育委員会はたけしさんと逸見さんの冠番組です。現在でもたけしさんが先生、アナウンサーが助手として進行しています。

 そのため、生徒(解答者)を呼ぶ際は「君付け」で統一されています。これが権威のある方であろうとも問答無用です。番組サイドは「特別扱いできない」と発言しています。(ま、学校ごっこなんだけどね)

 平成教育委員会はもともとフライデー事件で謹慎を言い渡されたたけしさんが、「基礎から勉強しなおそう」と小中学校の問題集を解いたことがきっかけで生まれました。たけしさんはこれは番組にできるということで、制作を打診、結果フジテレビとイーストが入る形で制作されるようになります。企画にたけしさんの名前(北野武)が入っているのはそのためです。

 平成教育委員会の平均視聴率は16.2%、セーラームーンの平均視聴率は11.6%で、最高視聴率が平成教育委員会が35.6%(たけしさん復帰回、後述)、セーラームーンが16.3%(冥王せつな初登場前の回/74回)をマークしています。このことからセーラームーンは平成教育委員会と互角に戦えた番組と言えます。(関東エリアでの結果)

 実際、たけしさんがバイク事故から復帰した回はセーラームーンの第4期シリーズ初回放送と被ったため、これらを合わせたら50%行ったと言われています。たけしさんが復帰した回は番組どころか90年代のクイズ番組における最高視聴率を記録しています。

 具体的な数値は、1995年3月4日の放送で、平成教育委員会が35.6%(番組最高視聴率)、セーラームーンが14.6%(皮肉にも、この回が第4期最高視聴率)で、合計が50.2%を関東エリアの視聴率をフジテレビとテレビ朝日がマークしたことになります。

 平成教育委員会はすぐに人気番組となり、1992年から3年間、この番組をベースとしたFNSの日・平成教育テレビ(FNSネットワーク27社)が放送されます。総合司会はたけしさんと逸見さん。


 平成教育委員会とセーラームーンは90年代初頭の土曜7時のテレビバトルとして繰り広げられましたが、90年代中期に入り、それぞれに暗雲が立ち込めます。


4:逸見さんの死、たけしさんの事故。

 1993年9月、とある記者会見が行われました。


私が今、侵されている病気の名前、病名は、がんです。


 たけしさんと一緒に司会をしていた学級委員長の逸見さんの異例のがん公表会見。当時の麹町日本テレビ本社内で行われました。

 逸見さんは会見後、全ての仕事をキャンセルし、療養に専念します。平成教育委員会の場合は11月まで撮り溜めており、12月以降は学級委員長代理として中井美穂さん(当時フジテレビアナウンサー)が逸見さんの代わりに司会(兼解答者)として迎えられます。当時はもちろん逸見さんの代理でした。

 クイズ世界はSHOW by ショーバイ(日本テレビ)の場合、山城新伍さんを筆頭に高田純次さん、ジャイアント馬場さん、古舘伊知郎さん、島田紳助さん、福澤朗さんなど逸見さんとゆかりのあるタレントさん(福澤さんのみ当時アナウンサー)が代役を務めていました。

 しかし、治療の甲斐虚しく12月25日に48歳の若さでお亡くなりになります。逸見さんの死は芸能界にも衝撃が走ります。ショーバイで逸見さんのライバルという形で解答者だった山城さんやたけしさんも葬儀に参列しました。弔辞はフジテレビ同期の松倉悦郎さんと山城さんです。

 松倉さんは現在フジテレビを退社し、兵庫県の奥様のご実家の僧侶になっています。

 山城さんが弔辞を述べたのは、たけしさんはショックで読むこともできなかったそうです。

 山城さんは弔辞で「ほしい男をなくしたものだ」と読んでいました。

 逸見さんの死で逸見さんが携わった番組に数々のテコ入れをせざるを得なかったと言います。ショーバイは逸見さんが療養中に代役司会の一人として勤めていた福澤朗さん(当時日本テレビアナウンサー)が新店長として司会に迎えられました。中井さんも同様に正式に二代目司会者(肩書は「学級委員」。)として平成教育委員会にたけしさんと一緒に進行していました。

 ところが、今度はたけしさんのバイク事故が1994年8月に起こります。これによってたけしさんが不在の数々の番組は代役を立てなければなりません。平成教育委員会は所ジョージさん、明石家さんまさん、巨泉さんなどたけしさんとゆかりのあるタレントさんが代役で出ていました。

 そして、先ほども述べましたが1995年3月4日にたけしさんが復帰。その時はセーラームーン第4期の初回放送だったこともあり、フジテレビとテレビ朝日だけで50%行きました。(関東の場合)


5:色々振り回されたセーラームーン。

 セーラームーンは平成教育委員会のピンチの裏でどんどん勢いづいて行きました。第3期である美少女戦士セーラームーンS(テレビ朝日)は、海王みちる、天王はるか、冥王せつな、土萠ほたるの外部四戦士が新しいメンバーになります。みちるとはるかのコンビは絶大な人気を誇ります。

 せつなについては、第2期にすでに登場していますが、正式メンバー入りは第3期以降です。

 スタート当初は水野亜美の人気がすごかったが、第3期の頃になるとはるか、ほたると言った新メンバーの魅力でさらに人気が鰻登り・・・と思われました。

 1993年10月にSLAMDUNK(テレビ朝日)が放送開始。これによってセーラームーンとのツープラトンが実現し、どちらも人気を博しました。その間に逸見さんががん公表の末に亡くなります。

 だが、SLAMDUNKもセーラームーン同様元々は漫画のアニメ化。当然ながらアニメはスピードが速いため、原作に追いつきます。制作の東映動画(現、東映アニメーション)はセーラームーンもSLAMDUNKも一部分でオリジナルパートを仕組んでいます。セーラームーンの場合はエイル・アン(第2期)と第4期の親玉のリベンジ(第5期)です。

 確かに、第3期までは視聴率で考えても勢いはありました。ところが第4期のSuperSはみちるたち外部四戦士がテレビでは一切登板しません。

 せつなの再登板、ほたるの登場の直前にたけしさんはバイク事故を起こします。たけしさんは入院中、自身の裏番組にも関わらず、セーラームーンをみていたそうです。また、たけしさんは世界まる見えテレビ特捜部(日本テレビ)の番組告知で「機関車トーマス、セーラームーン」と番組名ボケをかましていました。w

 第5期の美少女戦士セーラームーン・セーラースターズ(テレビ朝日)ではとうとう視聴率も一桁台に落ち込んでしまいます。放送回数も3クール以下と少なく、休止が多かったのも原因だったと思われます。

 ちなみに、最終決戦地である銀河テレビのモデルはテレビ朝日の六本木センター。(旧本社・アークヒルズ移転後は制作拠点)現在は再開発の上、現行の社屋が建設され、本社も元に戻しています。この辺りの一帯は六本木ヒルズと呼ばれています。

 また、ほたるの出番は外部四戦士の中で群を抜いて少なく、変身シーンや必殺技のシーンは作られなかったほどです。他の三人は断続的に出ていました。

 セーラームーンは過去に原作者の武内直子先生や東映、テレビ朝日などとのいざこざもあったとも言われているそうです。レイのキャラクターの改変は有名な話です。他にもあるかもしれませんが、裏付けになるものがないのでカット。

 テレビ朝日自体も過去に買収話があり、アニメや特撮を廃止する動きがあったそうです。これも結局朝日新聞がテレビ朝日の株を買うことにより解消しています。

 こうして、セーラームーンはいろんなところに振り回されている状態が続いて、それが視聴者にも伝わってきたのだと思います。しかし、その間にもTBSテレビが反撃に向けて虎視眈々と動いていました


6:筋肉番付。

 1995年10月に深夜枠からゴールデンに進出した筋肉番付(TBSテレビ)が始まります。この番組でSASUKE、ストラックアウト、モンスターボックスなどの数々の演目ができます。SASUKEは現在でも独立番組として放送中。司会は古舘伊知郎さん、峰竜太さん、神田うのさん→中山エミリさん。

 セーラームーンの勢いは先ほども書いた通り、第4期で弱くなります。平成教育委員会もたけしさんが復帰した後、教育実習生→助手と学級委員の中井さんとの3司会体制(代役時代から実施)になりました。

 ただ、平成教育委員会もセーラームーン同様に筋肉番付の勢いが出た影響で再びピンチを迎えます。たけしさんが復帰しても視聴率の低下も影響してか大幅な路線変更も余儀なくされ、末期はチーム戦となり、中井さんは学級委員(司会進行)から普通の解答者に降格されます。(これは良くなかった。)

 筋肉番付に視聴者を取られた平成教育委員会とセーラームーン。SLAMDUNKも終わってしまって2番組の勢いはどんどん落ちて行きました。


7:終焉。

 1997年9月27日に平成教育委員会が惜しまれつつ終了。たけしさんは「逸見さんと一緒に終わりたかった」と述べています。セーラームーンも1997年2月8日に終了しました。

 奇しくも、TBSテレビの看板番組だった日本昔ばなし(毎日放送だけど)やクイズダービーにとどめを刺した平成教育委員会とセーラームーンがTBSテレビの番組(筋肉番付)にやられるとは、皮肉なものです。

 筋肉番付はその後2002年まで放送され、2003年の体育王国(TBSテレビ)をもってこの枠での放送を終了します。平成教育委員会とセーラームーンにとどめを刺した筋肉番付はこの枠で8年放送された形となります。


8:現在は?

 現在、平成教育委員会は改編期特番として放送されています。過去にスピンオフである平成教育学院(フジテレビ)が放送され、基本ルールは平成教育委員会と同じで、こちらも好評を得ました。先生はユースケ・サンタマリアさんでした。

 セーラームーンはその後も世界的な人気もあり、2014年に原作をベースとしたCrystalが配信・放送されています。そして、2021年には第4期であるEtarnalが公開され、更なる盛り上がりを見せようと精進しているのです。



個人的にはセーラームーンにたけしさんが出て、
平成教育委員会の生徒に三石さんが出て欲しいと思ったりします。w



 現在でも多大な影響を与えた平成教育委員会とセーラームーン。それぞれ6年、5年しか放送していませんが、その後のテレビに与えた影響は大きいと思います。全員集合とひょうきん族の土8戦争と並んで、土7戦争としてテレビに残る戦いになったと思いますね。

 今はビデオでの裏番組同時録画も普及しているので、昔のように視聴率戦争という形は取れなくなりつつあります。もちろん、YouTubeやアマゾンプライムといった動画配信が普及したのも要因の一つ。昔のようなテレビ戦争はもはや大晦日の夜ぐらいになってしまったんでしょうね・・・はい。


 今日は、セーラームーンと平成教育委員会のテレビ戦争について語ってみました。

 本日もご覧いただき、ありがとうございます。

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