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夢の途中(小説)

木曜日の深夜・・・。
正確には金曜日に
なったばかりの時間。
 
民大(たみお)は、
もうそろそろ敦士(あつし)の仕事が
終わった頃だろうと、時計を見た。
 
今頃、あの元気な声で、
最後の客を追っ払っているのだろうか。
営業にもってこいの、
あの持ち前の明るいスマイルで、
「また来てよ!」と声を
かけてまわっているのだろうか。
 
民大の頭の中は一日の大半、
永海(ながみ)敦士のことで、いっぱいだった。


民大が敦士に出会ったのは、
敦士が雇われ店長を
しているバーでだった。

民大自身は編集関係の
仕事をしているのだが、
高校時代の後輩が、そのバーで
バイトしていたのがきっかけで、
生きる世界が全く違う敦士に出会った。
 
ロックがガンガンかかる
アイリッシュ・バーで、 
小柄な体を元気いっぱい動かして
働く敦士は、まだほんの少年に見えた。 
 
それでも店長をつとめるからには、
そこそこはいってるはずだと
踏んではいたが、
自分と同じ年だと知ったのは、
ついこの間のことである。

完全に相手を弟扱いしてきただけに、
民大はひどく驚いたものだった。
 
しかし、考えてみれば、
敦士の幼い容姿のわりには、
機転のきく話しぶりや気遣い、
世慣れした物腰は、
年相応のものだといえた。

-あの仔犬っぽい顔やしぐさに
騙されちゃうんだよな-

そう思い、苦笑したものの、
民大は今、自分が夢中になっている
人間が内実の伴った一個の人間で
あることがとてもうれしかった。
 
そして今、もちろん永海敦士本人にも
夢中だったが、彼はまた、自分の
想像の中の敦士にも参っていた。
 
自分が神様みたいに
オールマイティだったら、
今、敦士が何をしているのか
全部見れるのに、と思った。

ああ、今、きっと、テーブルの
片付けにかかっただろう。

敦士が空のグラスを集めている。

閉店十分後、平日の客はもう引いて、
店はガランとしている。
 
あ、敦士が、雑巾でテーブルを
ふきながら、椅子を並べている。
 
あ、敦士が何枚も皿を重ねて運んで・・・
 
あっ、フォークを落とした。

敦士は皿を持ったまま、
腰をかがめて、それを拾う。

いつもはいているリーバイスが
座った敦士の太ももに
ぴっちりと張り付いている。
 
視力の悪い敦士は、
目を細めながら店内をチェックし、
床に落ちている食べ物のカスを
足でけってごまかしてしまう。

-ちゃんと掃除しなきゃダメだよ、店長さん-

敦士の姿が手に取るようにわかる。
いや、想像できる。

いつものジーンズ。店のトレーナー。
銀の指輪にピアス。
あちこちに伸びた後ろ髪。

もう二十分もしたら、
店は片付くだろう。

 
民大は、こんなに敦士のことを
想像するのに夢中になっている
自分に気付き、改めて驚く。
敦士を知るまでの自分はいったい毎日、
何を考えていたのだろう。
 
人並みに学生もし、
恋も仕事もしてきた。
編集者という特殊な仕事を
選んだからには、どこか人と
違った所があったのだろうが、
久しぶりに夢中になれる人間に
出会えたと思ったら、それが、
水商売をしている青年だった。

十二の頃から、この仕事を
しているという敦士は、
しかし、全く玄人くささはなく、
そして、それがかえって
人の心を強く魅了するという
一種の魔性を秘めた青年だった。
 
民大は、自分と全く違う
半生を歩んできた敦士に出会い、
長年の商売柄にも関わらず、ちっとも
人に媚びることのない所に感心し、
仔犬のようにあどけなく
無邪気な性格と
毎日楽しくて仕方ないといった
様子に惹かれていった。
 
同時に、少年の顔とは裏腹に、
世間を知り常識をわきまえ、
機知に富んだ敦士の見せる
大人の部分に驚き、
そしてあどけないからこそ、
かえって際立つ彼の全身から
湧き立つような色気に
心底まいっていた。
 
本当にここしばらく、
敦士が生活の中心である。
敦士の実際の行動を
気にするというのではなく、
民大は、想像の中での敦士の
行動を楽しんでいた。
 
我ながらオタクっぽい気もする。

しかし、片思いしているわけではないのに、
どうしてこうも、
‘考える‘ことが楽しいのだろう。
 
敦士はかなりの頻度で、
民大と一緒にいた。

その敦士も好きなのだが、
空想の中の敦士も、なかなかのものだった。

  
 
そうこうしているうちに、
時間が経つ。

民大は、敦士が店のライトを消し、
バーを後にするのを想像した。

カギを閉め、シャッターを下ろす。

そして階段を降り、
スタッフのみんなと別れる。
 
敦士は最終の地下鉄に乗ろうと、
速足で歩く。

ジーンズに、黒のタートルネックのセーター。
その上にラフな革ジャン。
カジュアルな格好だが、
敦士のルックスは人目を引く。

 
ああ、敦士が寒そうに
身をかがめている。
 
民大は、フワッと自分の
体から魂が抜けだし、

敦士を温めようと、
その体を後ろから抱きしめる
妄想にかられる。

-敦士が寒くてつらそうなの、見てらんない-

毛布のように民大は
敦士の体を包み込んだ。

 
地下鉄の明かりはロマンのかけらもなく、
現実的だった。
 
敦士は電車に飛び乗ると、
広々とした平日の深夜の
座席にすわった。
 
夢心地で、民大は敦士がいつもの駅を
乗り過ごすのを見た。
 
このまま真っすぐ地下鉄が向かうのは・・・。


-敦士、早くおいで-

 
敦士は、民大のマンションの
ある駅で降りた。


-早く、早く-

 
民大は、ウトウトしていた。

テレビで何かバラエティを
やっている。
その声がすーっと遠のき、
眠りに入りかけたその時、
玄関のベルが鳴った。

 
民大は、不思議な思いに
とらわれ覚醒したが、
一瞬のうちに全ては夢の断片となって
忘却のかなたに消えていった。

モタモタと起き上がり、
ふらつきながら玄関の
カギを開ける民大は、
寝ぼけまなこで敦士を招き入れる。

「ごめん、もう寝てた?」

「ううん、テレビ見てウトウトと・・・
まだ本格的には寝てなかった。
なんか敦士の夢見てたような・・・」

敦士はいたずらっぽく、
ニッと笑った。
犬が笑うとこんな顔になるのではないか、
と民大は思った。

敦士は、上着を脱ぐと、
椅子の背にかける。

「あれ、そのセーター」

民大は、黒のセーターに目をとめる。

「どっかで見たような・・・」

「え? 昨日買ったんだけど」

「へぇ、じゃあ、初めて見るのかなぁ」

民大はそう言いながら、
さっき見ていた夢の詳細を
忘れてしまった。



金曜日の深夜・・・。
正確には土曜になって
ばかりの時間。
 
休日前はまだ二時間ばかり
開いている店の中で、
敦士は大忙しで働いていた。
 
昨夜の入りとは全く違う
フライディ・ナイト。
フロアいっぱいに客がひしめき、
歩くのもやっとである。

「もう翌日だってのに、
ちっとも客が引かねぇな」

敦士はスタッフのアレンにぼやく。

店が繁盛するのは結構だが、
こう人が多いとうんざりする。
身動きが取れず、
うんざりしている客の顔も
チラホラと見える。

敦士は、フッと帰りたくなる。
都会のド真ん中で生まれ育ち、
物心ついた頃から働いているこの世界を
こんなふうに思うなんて、
めったにない。
よほど体調が悪い時とか、
精神的にまいっている時以外は。
今は、そのどちらでもなかった。
 
敦士は首をかしげる。


-帰りたいって・・・どこへ?-

 
敦士は、自分のマンションの部屋を
思い浮かべてみる。
 
ガランとして、しかも散らかった寝室、
リビング。
別に帰りたいとは思わない。

その時、あ、なるほど、と
敦士は思い当たった。
 
その間も客をさばき、
カウンター内を走り回っている。
 
酒の注文を聞き、手早く氷を入れ、
アルコールを入れると、
上から水鉄砲式で、ジュースを注ぐ。
カクテルなら混ぜて、
レモンを柄の長いフォークでつまんで
中に浮かべて出来上がり。

一杯、700~800円というところだ。


「ハイッ、次のお客さん、どうぞ!」

 
次から次へと押し寄せてくる客の波。
みんな敦士の顔を見ると、
何かしら声をかけてくる。
 
敦士は明るく誠意を持って、
適当にあしらっていく。
その技は格別だった。

 
-そっか、帰りたいっていうのは、
そういうことか-

 
敦士の所と同じような
1LKのマンション。
リビングにある大きなソファ。
別室のセミダブルのベッド。

敦士は一人で赤くなって、
溜息をつく。


「まいったなぁ・・・」

 
あと閉店まで一時間ちょっと。
この待ち遠しい時間もまた、
敦士には幸せに感じられた。



「おつかれ、敦士」

閉店後三十分のちに、
敦士は民大の所にいた。

「今日は忙しかった?」

民大に招きいれられながら、
敦士はうなずく。

「ずっと走りまわりっぱなしだった」

「ご飯、食べた?」

「休憩んときに、ちょっと」

敦士は民大に会いたくて
駆け付けたものの、
かなり疲れていた。
 
そんな様子を民大は
すぐに察してしまう。

「ゆっくり眠りたいって
書いてあるよ、敦士の顔」

そう言われて、敦士は
いたずらっぽく笑う。

「但し、民大と一緒にね」

こんな無邪気な肯定で
以って切り返されると、
民大は照れて何も言えなくなる。

「・・・風呂でも入ってくれば?」

ちょっとぶっきらぼうに、
民大は言う。

そして、敦士がシャワーしている間に
ベッドに入って寝転がる。

十分もすると、敦士はシャワーを
終えたらしい。

「あれー、民大、もう寝ちまったの? 
ビール一缶もらうよ」

台所で冷蔵庫を開ける音がする。
ちょっとして、
ビールを持ったまま敦士が
寝室に入ってきた。
 
民大と目が合うと、敦士は
いつもの人懐っこい顔を
ほころばす。

「民大がいないと、
ビール、うまくないや」

そう言って、敦士はベッドに
もぐりこんでくる。
 
洗いたての髪のシャンプーの香り。
 
肌から立ち上るせっけんの香り。
 
理性をかき乱す敦士の香り。

その香りを胸いっぱいに吸い込んで、
むせかえっている民大の横で、
敦士は楽しげにしゃべっている。


「・・・で、すっげぇダーツの
下手な客がいてね・・・」

 
ビール片手に少年の瞳で
今日一日の出来事を
熱心に語る敦士を見て、
民大は思った。

今夜の敦士は何だか
いつもより一層子供っぽく、
愛情の対象になりたがっている。

しんしんと冷え込む寝室で、
敦士と二人して肩を
寄せ合っていると、
民大はこの間の夢の続きを
思い出したような気がした。
 
そして思わず、敦士を、
逞しい両腕でそっと抱きしめる。

が、夢は断片となり、
後には切なくやさしい色彩のみが
残された。


           了

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