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旅をする意味って何だろう

最近の私は、「アウトプット大全」を読んで読書感想文のテンプレートを発見してから、気になった本や記事について忘れないうちに感想文を書くようにしている。
読書感想文を書くために、以前の私のように文字面を追うだけではなく読んで気持ちが動いたところをメモするよう心がけている。

「読書という荒野」(著者 見城徹, 幻冬舎文庫)が本棚にあり、かなり前に読んだことを思い出した。中をパラパラめくり、「そうだったそうだった、こんなことが書いてあったなあ」と思い出す。

「読書という荒野」の著者は見城徹さん。読み手に突き刺さるような言葉の選択や表現がされていて、削られて鋭い感覚を味わいながら読み返した。

この本の第5章「旅に出て外部に晒され、恋に落ちて他者を知る」のなかの、「旅に出て外部に晒され」についての感想を述べてみたい。


旅に出るというと、「現実逃避する」と言い換えることがある。
旅から戻るとき、「社会復帰する」と置き換えることがある。 
なぜこういった表現をするのだろうか。

本では紀行文の傑作として、沢木耕太郎著「深夜特急」が紹介されていた。 異論をはさむ人はいないだろう。私も30代のころに読んで面白かったしワクワクした。いわゆるバックパック旅行はしたことはないし、ヒッチハイクは経験しようとも思わない。でも主人公の体験を共有できる気がしたことを思い出した。

私の場合、おばちゃんの一人旅といった趣で海外に行くが、行き当たりばったりで行先を決めることはなく、事前にかなり下調べをする。なるべく予定通りにすすめたいし、困った状況に遭いたくないからである。ホテルの確保や列車の接続時間も確認し、十分に準備をするが、それでも小さな、予期されないことにしばしば遭遇する。

例えば、接続の列車の遅延。ホームで待っているがなかなか来ないしホーム上の電光掲示板には定刻の出発時間と行先が表示されたままである。アナウンスは入っても英語じゃないので分からない。海外では時間通りに電車が来ないことは珍しくはないし、何かあれば身振り手振りでも人に聴けばいいのに、次第に不安になり焦ってくる。

「絶対にこの特急に乗らないと予約したホテルに今日中に着けない」「もしこのまま来なかったら特急で1時間半の距離をタクシーでいくしかない」「タクシーに乗ったら一体いくらかかるのだろうか」などいろんなことを考える。

結局特急は20分ほど遅れて到着し、予約したホテルにも入れたので、あとから「あんなに心配して損した」というくらいのものだった。 でも、私は予定通りに事がすすまないと、とてもストレスに感じるタイプであることを認識する。休日でも、ゆるいTO DOリストが頭のなかにあり、それがすべて消化されると達成感を感じている。

一方で、旅の終盤、社会復帰が近くなったころに、スーパーで買ったお土産を整理したり、写真を見返したりしながら、旅で最も心地よかったのは人目が気にならないことだな、と思っている。一番感じられた幸せは解放感だった。

私は自分のことを自意識過剰とは思っていないが、ビストロで一人でワインを飲みながら食事をしたり、美術館に何時間も滞在し絵を眺めたり、周りの人に変に思われないだろうか、といったことを海外では考えずに済むなあ、と振り返る。

多分「こうあるべき」という型に自分をあてはめる傾向が私にはある。この傾向に気がついてから、気が楽になった。何かイレギュラーが起こってもどうにかなってきたし、起こるかどうか分からないことを不安がるのはやめよう、と思うようになった。大切なのは、周囲からどう見えるかではなく、自分がどう感じるか、だからだ。

旅はこのような自分のタイプを自覚できたり、勝手に解放感を味わったりと、アタマのなかでグルグルと自身の考え方、気持ちに普段とは違う風景のなかで向き合って、反芻できることが醍醐味だと思う。
そして、白髪100%になっても、パリにいるようなアイラインをしっかり引いたカッコいいおばちゃんになろう!と気持ちを固める。

本では、「旅とは、貨幣と言語が通用しない場所に行くことだ」「貨幣と言語はこれまで自分が築き上げてきたものにほかならない。それが通じない場所に行くということは、すべてが『外部』の環境に晒されることを意味する。そうした環境では自己愛は成立し得ず、裸形の自分がさらけ出される。必然的に自分と向き合わざるを得ない。」と書かれている。

「深夜特急」に比べたら、私の海外旅行の意味はとても薄っぺらいが、それでも自分で勝手に定めている「型」から抜け出すために旅を求める。
私はあと3年で定年が来る。定年後、「あなたはどこの誰ですか?」と問われた時、回答できるようにすこしずつ作り上げていく過程にいる。

コロナで前のように海外旅行に行けなくなった今、読書なら疑似体験ができる。「深夜特急」と匹敵する本として佐藤優「十五の夏」が紹介されていた。

以前から行きたいと思っていた東欧、しかも社会主義全盛のころの東欧に、15歳の著者が一人旅をしている。時間をかけてゆっくりと体験したい。


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