【歴史・時代小説】『本能寺燃ゆ』第一章「純愛の村」 8
石段をあがると、小さな寺が見えた。
権太は息があがったが、十兵衛は全く平気なようだ。
日がじりじりと照り付け、炙られた石段からもその熱が立ち上がってくるが、わずかに汗をかいているだけだ。
権太が不思議そうに見ていると、
「方々を回って、足だけは鍛えられてますからね」
と、笑った。
「それにしても、うむ、いい村だ」
十兵衛は、寺の境内から周囲を見渡した。
ここからだと、村全体が見渡せる。
一陣の風が吹き、村の景色に見惚れる十兵衛の後れ毛を優しく揺らした。
横顔に、権太は見惚れてしまった。
「何方ですかな?」
その声に我に返った。
振り返ると、坊主がいる。
「権太か」
坊主は、肉付きの良い頬をにっこりと膨らませた。
齢六十を超えた和尚(かしょう)であるが、腹はでっぷりと出て、顎の肉が風に揺れている。
村人が今日か明日かと飢えで苦しみ、日に日に痩せ細っていくのとは対照的に、日に日に肥えていっているようだ。
肌もつやつやで、血色も酷く良い。
村のお布施で食べているはずで、現状から貯えもそれほどないはずだが………………どこかに隠し持っているのではないかと疑ってしまう。
それでも、村人からは何かと慕われている。
坊主は十兵衛に視線を移す。
「それでそなたは?」
十兵衛は名乗った。
「おお、そなたが」
と、十兵衛を寺の中へと案内した。
十兵衛と和尚が話をしている間、権太は外で待っていた。
村はまるで地獄の火で炙られているようなのに、ここは冷たい風が吹き抜け、極楽のようであった。
話が終わったのか、十兵衛と和尚が出てきた。
十兵衛は頭を下げると、石段を下りていく。
権太も続こうとすると、和尚に呼び止められた。
頭を撫でられながら、
「ぼう、寺の坊主にならんか? 坊主になれば、食うにも困らんからな。うらが、源太郎に言ってやろう」
にこにことしている。
権太は和尚の手から逃れるように、十兵衛の跡を追った。
十兵衛に追いつくと、
「どうかしましたか?」
何もと首を振る。
「うむ……」、しばらくの沈黙のあと、「法華経か」
ほけきょう?
うぐいす?
十兵衛は、きょとんとした顔で権太を見た後、柔らかい笑顔を向けた。
ひと通り村を案内した。
「よく分かりました。良い村ですね」
そう言って、満足そうに家に入っていった。
まるで自分が褒められているみたいで、権太は酷く嬉しかった。
家に入ると、姉が十兵衛の世話をしていた。
水桶を持ってきて、上がり框に腰掛けた十兵衛の足を洗い、拭いている。
女が土間に跪き、男の大きな足を自分の膝の上に置き、白い手で撫ぜるように拭いている。
権太は、その幾分上気した頬が苛立たしく、十兵衛が礼をいったあとに見せた女の恥ずかしげな笑顔が腹立たしかった。
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