止むは吾が止むなり。進は吾が往くなり。(論語 子罕篇 第九)
(意味)
止めたのは自分のせいだ。進むのも自分で決めたのだ。(誰かの言い訳にしないで、全て自分の責任でやりなさい。)
心に刺さった。
社会人で様々な経験してきて、あらためてグサッと刺さる言葉です。
かつて私がある案件のリーダーを任されたときのこと。
何十人も関わるプロジェクトでした。
何年もかけて、経験が浅いながらみんなを引っ張ってすすめてきていました。
しかし、そのプロジェクトは様々な理由で、時間がかかりすぎてしまい、遂にその商品を世に問うことなく終了してしまいました。
プロジェクトを終える理由はいろいろありました。
自分の未熟さに大いに反省しながらも、当時は、
大部分はそれを周辺環境のせいだ、
と心の中では思っていました。
しかし孔子先生は言います。
止めると決めたのは、あなたです、と。
最後までやりきる覚悟が足りなかったのだ、と。
周辺環境が変わったなら、必死にそれに付いていく気持ちを保ち、
手段を選ばすあの手この手で責めていれば成功したかもしれません。
タラレバを言えばきりが無いですが、やはり中途半端な終わり方で、
とても後悔しています。
この言葉の心構えをもち、やると決めた仕事に対して責任を持ってなりふり構わず行動する。これに尽きます。
今回はいましめのために私の失敗談を書きました。
引用
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