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子、四を断つ。意なく、必なく、固なく、我なし。 (論語 巻第五 子罕第九の四)

(意味)

先生は四つのことが決して無かった。
 ・私意で勝手にやること
 ・なんでも予め決めたことをやること
 ・一つのことに固執すること
 ・利己的になって我をはること

この、四つの項目「意、必、固、我」に共通することは、
 全体の利益ではなく、自分の利益に従順になること、そして、柔軟性が無いこと、その二つなんだと思います。
 これらの観点で自らを振り返ると、自らの振る舞い、考え方を軌道修正することができると思います。

 前者の、自分の利益に固執すること「意、我」については、自分はクリアしているかな。
 一方で、「必、固」については、歳を重ねるごとに悪化しているのでは無いかと危惧しています。奥さんにもそんな指摘をされます。はい。

柔軟性

 昔はもうちょっと柔軟性あったかな、と思っていたのですが、一歩引いて今日の一日での自分の感情、発言を振り返ると、そのように思います。
 人間歳をとるにつれ安定を好むものなのか、マウントを取りたいのか分かりませんが、自分でも「なんでそこまでこだわるの?」というような食い下がり方をする場面があったりします。何か、自分がこれまで通過してきた経験、過去の実績に正当性を与えたい、そんな心理が働いているのでは無いかと思います。これは、自分もそうですし、周囲の人を見てもそんな気がします。
 これまでやってうまくいってきたことを、あっさりとゼロベースに戻してフラットに考えるとよい、頭では理解できるのですけどね。

固定と変動

 そんなとき、私はこう考えなおしています。「人生まだ40年しか経ってない。社会人になって20年も経ってないよ。そんな若造の成功体験、たかだか10年くらいの常識に、なんで固執するの?」って。古典で語り継がれている、2500年変わらないことは信じてもいいけど、それ以外の常識と呼ばれているものは、いっそのこと、全て疑ってかかってもいいよね。と。

 自分の信念、何千年も語られている原則は、羅針盤として、自らの確固たる「芯」としてブラさない。そういった部分は、思いっきり研ぎ澄まし、本当にエッセンスだけにする。そうじゃない変動部分(余計なもの)は入れ替わる概念だと考え、柔軟に対応する。それくらいフレキシブルな対応で十分なのだと思います。

 

  

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