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巧言令色少なし仁 (論語 学而篇)

(意味)

 人に接する際に、言葉巧みに尤もらしいことを言ったり、体裁にのみこだわる人には、不仁者が多い。

 これと対となる言葉も紹介します。

「剛毅朴訥仁に近し」(論語 子路)

孔子の教えは、「仁」に始まり「仁」に終わる

 仁とは論語の中で最も重要視する価値観であり、仁者となるための立ち居振る舞い、考え方について、孔子は繰り返し弟子に諭しています。仁者となるために学び、鍛錬し続けよと励まします。
 

意思決定の場で

 現代の組織活動の中においても、話し合いや議論の場において巧言令色な人は良く見かけますし、説き伏せられてしまうことがあります。

 そういう人は流れを読み、上位の意図を汲む能力には長けているため、話の展開はそちらの流れに傾くことが多いのです。違った視点、本質的な議論を提案しても言葉巧みに議論から外してしまいます。

 そうした人がいると議論は首尾良く収まります。しかし本質から外れた方向に進むことがあり、組織を間違った方向に進ませる場合があるのです。

 また、本質からズレているな、と思いながら放置することは、同じくらい罪なことです。言葉では劣っていても効果的に発言して軌道修正することに躊躇してはならないということです。空気を乱すな、蒸し返すかな、などと控えてはいけません。

そんな場合は

 本質的に立ち戻って、場が少し凍りつくくらいの議論を持ちかけて、今話している方向の大局を眺められるような舵取りが丁度良いと感じています。

最後に

 留意すべき点として、巧言令色と、仁は両立しないのでしょうか?

 孔子は弁説を軽んじてよいと言っている訳ではなく、あまり深く考えずに、
自分の主張を通すために言葉巧みに、もしくは体裁のみ整えて説得するような行為を戒めています。

「仁」>>「巧言令色」

なのです。
 根底に「仁」を持っていれば、人を説得する弁力を持ったり、礼儀正しい振る舞い、清潔な姿であることは軽視する必要はありません。
「巧言」、「令色」は、その重要度を強調するためのやや否定的表現なのだと思います。

(参考)

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