仁義と富貴 (論語と算盤)
おはようございます。読書の秋ですね📚
昨日の大河ドラマ青天を衝け第33話は、「論語と算盤」でした。
国立第一銀行が危機に陥った際、三井が乗っ取りを仕掛けて来ましたが、難局を乗り切ることができました。正しい行いを貫いた結果ですね。
さて、栄一が第一国立銀行を率いるにあたり、改めて論語を学びなおしている、というシーンの次の言葉が紹介されます。
(今日の言葉)
富と貴とは、是れ人の欲する所なり。其の道を以て之を得ざれば、処らざるなり。貧と賤とは、是れ人の悪む所なり。其の道を以て之を得ざれば、去らざるなり。
君子は仁を去りて、悪くにか名を成さん。君子は食を終わるの間も仁に違うこと無く、造次にも必ず是に於てし、顚沛にも必ず是に於てす。
(意味)
-前半-
裕福になり高い地位に就きたいというのは、ひとが願うことである。(君子は)裕福になったり高い地位に就くために、正しい道理を以てそれを得なければ満足しない。
貧しく低い地位にいるというのは、ひとが嫌うことである。(君子は)貧しく低い地位になっていても、それが正しい「仁」の行動によって起こったことでなければ、焦って逃げ出したりしない。
-後半-
君子が「仁」の道を外れたならば、どうして立派な人物だと認められようか。
君子は短い食事の時間であっても「仁」の道から離れることなく、あわただしいときも必ず「仁」の道に居て、つまずき倒れそうな場合でも必ず「仁」の道から離れることはない。
実は
「子曰わく、富と貴とは、是れ人の欲する所なり。其の道を以て之を得ざれば、処らざるなり。貧と賤とは、是れ人の悪む所なり。」
のフレーズは以前もこのドラマで登場しました。代官が渋沢家に言われのない上納金を求めた際に、栄一が発した言葉でした。
このようなお上による理不尽な体質では国が富むことはない。これは渋沢も、福澤諭吉もこの当時の明治維新後の新日本を立ち上げた人たちの根底にある思いなのでしょう。
そして官から民へ自ら進出し、合本主義を掲げ国を強くすることを第一義に掲げ、論語を基盤とした事業を次々と興して行くのです。
一般的に、仁義と利益は相容れない、相反すると考えられがちであり、孔子も仁義を尊び金銭を卑しんでいるように思われるふしもありますが、決してそうではなく、仁義を根本とした富貴は受け入れています。
仁義という大義を持った事業が繁栄し拡大することは社会を利することになる、という考えです。
これから年末にかけていよいよ栄一の民での活躍が楽しみですね!
ではまた。
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