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家族

母のこと、父のこと、いろいろ思い出してはみるのだけど、少しずつ思いが生々しいものからそうでないものに変化していくのがわかる。

父は来年で七回忌を迎える。

人間ってそう言うものなのだと言うことに気がつく。いままではまだ両親の死を客観的には見れていなかったことに気がついた。確かに生前、大変な「とき」や「こと」や「思い」もあったけど、6年目を迎えるにあたって、この「視点」は以前のものと変わってきていることに気がついた。

介護途中、母や父のことで「たいへん」と言う気持ちはあったが、「辛い」と言う気持ちはなかった。それは5年経ったいまでも変わらない。だから「本当にたいへん」だったのではないだろう。近所のひとに「まだ介護しているの?」と聞かれたこともあったけど、それ程嫌味には聞こえなかった。むしろ父も母も生きていてくれて、そばに居られることが何よりも、自分にとっての安心だった。

一生懸命思い出すと、涙ボロボロ流しながら、帰ったっこともあったけど、痛みは消えて優しさに変化することを経験した。これが「辛い」と言う表現なら、そうだったのかももしれない。でも父と母はわたしに、すごく深くて大きいものをくれたのだと、いま確かに感じることができる。

大人になって、これ以上成長することはないと思ったが、そして気持ちが擦れていってしまうのかと思ったが、そうではない。「大人の純粋」だってあるのだ。大人になってからも、ひとって「一生懸命に成長」するんだ。そう思った。そうやって、歳を重ねることに怖さは無くなっていった。活躍する同年代の友人たちや街で働く人びとを見ても、年中療養中の身の自分でも自信を持って居られるのは、わたしを育ててくれたこの家族(勿論兄弟にも)あるのだと、ちょっと思えるようになった。「ありがとう」

また夏が過ぎたら、母と父の墓前へと逢いに行こうと思う。

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