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その時期その時期で

今日は、ふと思った
人の成長や時代背景について
感じたことを記そうと思います。

息子9歳が
ポケモンのカードバトル
「ポケカ」にハマっている。

子供っていうか、
人の成長、年齢のパターンて
面白いな。って思う。

6~7歳くらい、
小学1年生〜2年生の時は
爆丸(今二十歳くらいの人の子ども時代に
流行ったらしい)、そして
今の時代に売り出している
ペットボトルのキャップを撃って遊ぶ
「ボトルマン」というのにハマってた。

カードゲーム(トレカ?)には興味なくて
物体が面白い。

もちろんそれより若い頃(幼い頃)は
戦隊モノ、恐竜、乗り物。

******

自分がその年頃だった興味を
思い出してみる。

両親とも免許がなく
車のない家だったが
新聞の広告の自動車を見て
車名を覚えては
早朝、父親を連れて
大通りに行き、
通り過ぎる車を見ていた。
「フェアレディZ」と「サバンナ」
っていう名前は覚えている。

そして
戦隊モノ。
僕の時代は「サンバルカン」だった。

そして、
1~2年生の頃は
キン肉マン消しゴム、カーケシ、
すごいマニアックなところで
「ゴールドライタン」なんかを
覚えている。

やっぱり物体だった。

そして、
今の息子の年齢の頃は、
ビックリマンシールや、
プロ野球チップスとかの
カードやシールをコレクションすることが
やっぱり興味の対象だった。

・・・と記憶している。

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前置きはこれくらいにして、
先日、親にねだって買ってもらった
ポケカを開封して、
息子が興奮して喜んでいた。

「すげーのを当てた!
これは激レアを越えた
『オーバーレア』だ!」

とのこと。

興味のない
僕ら両親は。

「そのレアとかって価値、
誰がどうやって決めてるの?」

素朴な疑問だ。

まぁ、彼の情報源は
ほとんどがyoutubeだから
彼の口調が
時折youtubeの「開封動画」とかいう
ジャンルのユーチューバーから聞こえてくる
口調とほとんど同じテンションなので、
大体はわかる。

彼の価値観がどこから来ているのか。

さらに考えてみると、
そのカードを「レア」にするかどうかは
生産量(印刷量)を
多くするか少なくするかで
決まることだろう。

そして、
横目で彼の興味の世界を覗いていると、
その「レア」というものは
トレカショップなるもので
高値で買い取ってもらえるものらしい。

*******

この子どもの遊びを、
小バカにしていた大人の中には
「高値」と聞いて、
ちょっと興味を持った人も
いるのではないだろうか?

10円で買ったものが
100円で売れたなら
けっこういい商売になるよね?

っていうか、
これが「商売」の基本ですよね?

「売れることをする」
「売れるものを買う」
「お金は貯めるものではない。
使わなければ増えません。でも、
どうやって使うかが問題なのです。
それを『消費』として使うのか。
『投資』として使うのか。
みなさんがお金を稼げないのはそのためです!云々・・・」

こんな種族の大人の声は
あちこちから聞こえてきます。

********

「その『価値』って
誰がどうやって決めているの?」

ポケモンの何らかのカードに
「価値」を持たせる人がいる。

1万円という数字に
僕らはどういう価値を持たせている?

*******

そして、妻がこう言った。
「誰かが決めた価値より、
自分で決めた価値を
大切にした方がいいよ」と。

そのそのとおりなんだけど、
それを9歳の若者に考えさせるのは
少し酷。というか
理解不能だろうな。と思った。

小学生世代の子供たちを見ていると、
「自分の価値観」を醸成する前の段階。
「今生きている世界の概念」を
把握することに
それこそ「価値」を感じる世代なような
氣がする。

もっと幼い頃は、
自分で感じた「想い」を
自分から湧き起こった手段で表現する。

独創的な絵を描き、
独創的なうたを唄う。

・・・これは
「小学校教育」のせいではなく、
成長の段階なんだろうな。
と思うんだけど、
ある年代から
無邪気な人懐っこさの中に
大人に対して主張することが変わってくる。

「オレ知ってる。オレ知ってる」
ってやつだ。

自分の感情は置いておいて、
自分がどれだけのことを知っていて、
どれだけのことが出来るのか。
どれだけ言われたことを守れるか。
どれだけ知らされたことを
把握できているのか。

その「世界から与えられた価値」を
自分で感じた価値と同一化させ、
それをうまく出来るか出来ないかが
優劣を決める基準になったゆく。

*******

ところで、
僕らはその「小学生レベル」の
価値基準の判断で、
大人の社会を運営していませんか?

それでいいんですか?

それでもいいのかもしれないけど、
人生って、
その後もいろいろあるでしょ?

この時期の数年後、
人は「思春期」と呼ばれる時期に
突入します。

そこで
それまでに把握した「世界の概要」に
自身の身を以て
捉え直す時期が来ると思うのです。

そして、
今まで把握していた世界の中で
「自分」とは
どういった立ち位置の存在なのか。
どういった立ち位置の存在として
これからの人生を歩んでいくのか。

それを感じ、考え、
自分の価値を握り、
「世界」に示す。

そんな歩みが待っているのでは
ないでしょうか?

*******

9歳の若者に
「自分で考え、自分で価値を決めるんだ」
という意見は、
言うのはとても好いと思います。

「どうすればいいの?」
「自分で考え、自分で価値を決めるんだよ」
「そうか。自分で考え、自分で価値を決めることが
『世界』と言うやつの概要なんだな。」

そう認識して、
思春期に、自分で再確認してもらえば
いいと思います。

*******

天才少年て
いますよね?

歌がすごく上手だったり、
ウクレレが凄く上手かったり、
ドラムがとても上手だったり。

何を「天才」と定義するかは
いろいろありますが、
歌がとても上手な子どもはいても、
本当に心の声を届ける表現ができる
「シンガーソングライター」みたいな
表現者は、
子どもでは難しいかも。
もしいたとしても胡散臭い。

若い人を、大人がどれだけお膳立てするかで
「天才」の評判だって左右されるだろう。

もちろん「少年」に
心が無い。とか
表現が出来ない。
とかではなく、
存在し、吸収し、
徐々に思春期、戸惑いながら、

今の社会を映しながら、
力強く、成長していってほしい。

そして、生きている限り、
あらゆる世代、年代で
共にする「今」という時代を
輝かせていこう。

そう願うのです。

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