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20240326 稽古場のことば

演劇の稽古場でどんなことが話されているかというのは、作品そのもの以上にその演出家や劇団の特徴を表すものになると思う。演出家が、俳優が何にこだわってどういうロジックでひとつひとつのシーンを組み立てていくのかというコミュニケーションのプロセスそのものが演劇だということもできると思う。

▼とはいえ普段の稽古場で話されていることというのは文字でも映像でもあまり記録に残らないから、せいぜいひとりひとりの台本なんかにメモ程度に残るくらいのもので体系的に記録されることはほとんどない。

▼あるとき海外から大勢の俳優や演出家が来日して日本の演劇のリハーサルを見学するのに居合わせたことがあった。彼らはもちろん日本語がわからないから、リハーサルの間にどんなことが話されているのかわからないのだけど、せっかくだからと思って演出家と俳優の間でなされた会話のひとつ一つをメモして翻訳したことがあった。

▼メモを取りながら「ああ、この作品はこの演出家自身なのだ」ということをふと思った瞬間があったのをよく覚えている。「ちがう、その台詞はそう言っちゃ台無しなんだ。舞台の上で日常性を剥ぎ取っていくことが稽古のありようなんだ」と語りながら2時間以上も、ほとんどぶっ続けで稽古を続けた尋常ではない集中力と体力にも少なからず驚いた。どういう演劇を実現しようとしているかにこそ演出家のアイデンティティが懸かっているのだなということを肌で納得した瞬間だった。

▼演出家というのはとにかくよく喋る人たちである。これはまた別の演出家の方で、俳優が冒頭の台詞を一行喋った瞬間に「この台詞はね…」と話し始め、そのまま1時間半以上ひとりで喋り続けたという逸話をもっている人もいたりする。こうなってくると稽古というよりは演出家の独演会の趣も出てくるけれど、そうやって言葉を尽くしまくることで得られる共通認識も(おそらく)あったりするし、そうやって効率を度外視してあくまで言葉で欲しい表現に向かって肉薄していくのが演劇のおもしろいところなのかなと思ったりもする。

▼うちの劇団だと全員が俳優で、一人のトップの演出家がいるわけではないので誰かが独占的に喋り続けるということはあまりないけれど、そのぶん俳優がよく喋る。何かやりたいことがあれば俳優同士で話し合ってどうにかするし、真面目に話し、ときに脱線しながら誰も想像していなかったようなシーンが生まれたりもする。稽古が行き詰まり、誰も何も話せなくなるような時間もこれまで何度も経験してきたけれど、それでも俳優が諦めずに言葉を尽くし続ける限りうちの創作は進んでいくものだと、けっこう楽観的に考えている。

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