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『マチネの終わりに』第七章(45)

 年齢も随分と下で、マネージャーと音楽家という関係の名残は、なかなか対称的と感じられなかったが、一足先に向こうは、自分を愛し始めているのだった。凡そ、今より悪い時もあるまいという、人生のこの時に。自分も愛することが出来るだろうと蒔野は思い、そうではなく、今自分が彼女に抱いている好感に、そのまま愛と名づけるべきだと考えた。洋子から得られていたものは、一切、求めるべきではなく、彼女の存在と共にそれはもう忘れるべきだった。……

 蒔野から、愛を打ち明けられ、結婚を願い出られた早苗の感激は、喩えん方もなかった。

 しかし、ただそのことだけをひたすら夢見てきたはずなのに、いざ実現してみると、そんなはずはないという気がした。自分がこんな幸福に恵まれたことが信じられなかった。周りにとっても、不可解に違いない。――が、その愛の入手経路に、不正があったというならば、話は別だった。

 早苗の心の中には、正直なところ、洋子にすまないという気持ちはあまりなかった。

 蒔野の彼女への思いをふいにしてしまったことへの罪の意識も薄かった。しかし、蒔野から寄せられている全幅の信頼に、自分が決して値しない人間であるという自覚は、大きな苦しみとなった。

 彼は今、確かに三谷早苗を愛している! しかし、その三谷早苗とは、自分とはまるで別の人間なのだった。それは、あの夜、あまりに破廉恥な方法で彼を愛する人から引き裂いた三谷早苗ではなかった。その贖罪のためではなく、言わば純粋な愛から、ひたすら彼に尽くし、彼のためにその恩師と娘家族のために尽くしてきた三谷早苗だった!

 彼女は何よりも、その発覚を恐れていた。そして、騙し続けているという意識は、次第に彼女の自己嫌悪を膨らませていった。

 早苗は結局、あの罪の夜に突如として閃いた自己弁護へと立ち戻らざるを得なかった。――つまり、罪の総量という考え方だった。

 一生涯、完全に無垢なまま生き続けられる人間など、この世の中にいるはずがなかった。誰もが罪を犯すならば、結局のところ、それは重いか、軽いかでしかなかった。


第七章・彼方と傷/45=平野啓一郎 

#マチネの終わりに

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