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『マチネの終わりに』第七章(2)

 テレビやラジオでは、時折姿を見かけることがあり、特に重病を患っているということでもなさそうだったが、少し太ったのか、顔は浮腫んでいて、冗談を言って笑っていても、以前の溌溂とした輝きがなかった。関係者の間では、どうも酷い鬱病らしいだとか、手を故障してもうギターは弾けないらしいといった憶測も聞かれたが、その出所が、彼を心配する者なのか、彼に嫉妬する者なのかはわからなかった。

 台北のコンクールの本選は一日がかりで、朝の十時から始まって、終わったのは夕方の七時半頃だった。結果が発表されて授賞式が執り行われると、優勝したフィンランド人のギタリストを始め、三位までの入賞者と共に、審査員らはレセプション会場に移動した。

 台北で二番目においしいと主催者が胸を張るレストランには、長テーブルが準備されていて、そこに十五名ほどが座った。

 ビールが運ばれてきて、乾杯したが、さすがに皆くたびれ果てていた。

 誰からともなく自由曲の傾向について話し始め、特に十代の参加者が、二人もロドリーゴの超難曲《トッカータ》を選んだことが、しばらく話題になっていた。蒔野は、教育水準の向上は言うまでもないが、ユーチューブなどで、世界中の演奏が映像として共有されていることの影響もあるだろうという話をした。

 それから、審査の経過について余韻程度に語ったあと、ドイツ人の初めて会ったギタリストが、蒔野の意見が冴えていて感心したと言い、優勝者に蒔野ががんばって君を推したんだと言った。

 審査は採点によって行われたが、一位と二位とは非常に僅差だったので議論になった。蒔野は、技術的には達者だが、どことなくコクがない、結局二位となった演奏を、楽曲そのものの解釈の問題として、巨細に、非常に明快に分析した。それがまるで、演奏のCT画像でも見せながら、その断面のどこに黒い影があり、それがどんな症状を呈しているかを説明するかのような批評だったので、旧知の審査員も、「すごく納得した。勉強になったよ。」と言った。


第七章・彼方と傷/2=平野啓一郎 

#マチネの終わりに

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