「素敵なヨガの先生がいるの。一緒に行かない?」 わたしは職場のSに誘われて、その先生のところへ行くことにした。 なんとなく分かるものだ。Sの話を聞いてすぐ、怪しいと直感した。昔バイト先の事務のおばちゃんの「おごったげるからさ」の誘い文句につられて行ったら、すでに予約してあったシートに知らないおばさんが座っていて、そこで3時間近く引き止められたことがあった。興味はないと断っても話は終わらない。おばさんは同じことを何度も言った。「地球はあと一年で滅びる」と。 「滅びてもいい
小学生の時のことです。 6年生にもなれば、帰りの会が終わってもなんだかんだと教室で放課後を過ごすのは当たり前でした。共働きの両親はわたしの帰宅時間なんて気にするところではありませんでしたし、昔は遊びも勝手、暗くなるまでに帰ればよろしい、そんなもんでしたし。 意味なく居残り続けたわたしたちは何をしていたのか。今となっては思い出すこともできないのです。だけどとにかく楽しかった。最終下校時刻にショパンの「別れの曲」が校内放送で流れると、しぶしぶランドセルを肩にかけるのでした。
「ね、ほら」 アキちゃんがそういうので耳を澄ますと、確かに パチ、、パチ、、 と音がする。 それは小さな音だった。 「ね?」 彼は軽い調子で言うのだが、わたしは驚きを隠せない。 「気づいたのいつ!?」 「んー、ちょっと前から。」 アパートにアキちゃんが転がり込んできたのは3ヶ月前。大学卒業してお互い就職はしたのだが、その半年後には無職になってしまったアキちゃんの面倒を見ることになるとは思ってもみなかった。仕事を終えて家に帰ると彼が、しかもジャージ姿のまま朝と同じ様子で座
小学生の頃のことです。わたしは、2歳年上の兄、母親と一緒に六畳一間の古いアパートの二階に住んでいました。風呂もトイレも共同の木造で、右隣の部屋には新婚の若い夫婦、左隣は母よりだいぶ歳が上に見えるおばさんが住んでいました。おばさんは口うるさくて、お風呂の使い方なんかにも厳しい人でした。風呂を上がるときは、次の人のためにタオルで垢をすくって出ろとか、そういうことを厳しく言う人でした。 母はそこから歩いて数分のところにある、小さな飲み屋を一人できりもりしていました。小学生だった兄
先生は早足で教室に入ってくると、今日も引き戸を後ろ手に閉めて 「おはようございます」 と言ってさっと教卓の前に立った。 「気をつけ、礼」 クラス委員の福田くんが唱えると、皆ボソボソと挨拶をする。 水曜の4限はH先生の国語の授業だった。H先生はひっつめ髪に黒縁眼鏡、いつも黒い服を着ていたが、冗談が通じる点でその見た目の印象を裏切っていた。ムードメーカーの翔が 「先生〜彼氏はいますか〜?」 とバカっぽく聞いたら 「子供がいます」 と返ってきたときはみんな笑ったが、先生は左手の薬
2月に子からインフルを貰い3月は謎の体調不良で、10本書くのにも思いのほか時間がかかってしまいました(というのはいいわけです)。身に余るお言葉をコメントでいただいたりと嬉しい反面、創作を続けることはそう簡単ではないことも再認識。投稿が30を超えたので記念につぶやいてみました。
なんとなく、エスカレーターの方を見ていた。 何を見るでもなく、なんとなくだった。 暇だったのもある。 合わない焦点にぼんやりブレたエスカレーター。 わたしの目とそのエスカレーターの間に 一人の人間が挟まっていたなんて全く気が付かなかったのだ。 「あんた 今わたしのこと 見てたでしょ 」 彼女がくるりと振り返って瞬間、叱られた。 わたしはその時やっと、そこに社員のYさんがいたことに気づいたのだった。 「あんた 今わたしのこと 見てたでしょ わたし 人から見られるの ものす
春だからか。 庭の常緑は昨日とも一昨日とも、何も変わりないのになぜか生き生きと見えてくるのだ。蟻が歩いているのを、二匹、三匹と見つける。植木鉢を動かしたらナメクジがいる。冬の間は死んだように固まっていた落葉樹の枝に小さな新芽が見えたら 「よし、今年はここに花を植えよう」 なんて急に張り切ってしまうのだった。 新たに花壇を作ることにしたのは隣家との境目。買ってきたばかりの鍬を手に土を起こせば大きな石がゴロゴロと出てくるのはもちろんのこと、失礼なことに菓子袋のゴミのようなものや、
仏壇のある和室は縁側からの日差しが良く、猫のりんがよく昼寝をしていた。晴れた日には開け放してあることも多く、その日部屋は春めいた匂いがした。 たしかそれはお雛様の季節のことだったが、祖母の家は年中どこかひんやりとしていて湿り気があり、玄関を上がってすぐの部屋にはまだ炬燵があったのを覚えている。 仏壇のそばに雛飾りが出してあった。祖母の家のは赤い段々飾りではなかったけれど年代物で、見たことのないような凝った御殿や車がついていた。所々汚れていて、自宅にあるガラスケースのお雛様
「洗面台のところに髪の短い女の人がいる」 次女がそんなことを言うようになってからもう二週間になる。 その“女の人”というのはいつも見えるわけではなく ふとした時とか、偶然通りかかった時に目の端に、とかその程度のことのようだった。 小学1年生の子供が言うことである。 鏡の前の棚に置いてあるものがそう見えるとか 壁にかけたタオルがそう見えるとか そうしたものの可能性は大いにあった。 とにかく次女の心の中にある、ちょっとした 「不安感」とか「恐怖心」みたいなものが そのように見せる
跳び箱の中に入ったことってありますか? 褒められたことじゃないんでしょうけど、わたしはあります。 もちろん体育の授業中にそんなことしたら先生に怒られるだけですし、学校ではそんな悪ふざけをする隙も与えられてはいませんでしたよ。 子どもの頃のことです。小学校の体育館を借りて遊んだ時期がありました。毎週末の18時とかだったと思います。道具も用品も使いたい放題。 夜の体育館という非日常に、わくわくしたのを覚えています。夜の学校って真っ暗で、体育館もちょっとだけ不気味。それでも電
昼休憩に食べようと思って、二つに割って持ってきた。分厚い外皮は家で剥いて、白いワタとスジがほとんど残ったままラップでくるんだのだった。食堂で開いて、一房ずつ薄皮を剥いて食べる。甘くていい香りがして、口の中には少しだけ苦い水が広がった。 昼の食堂は混んでいた。その席を埋めるのはほとんどがこの百貨店に勤める販売員たちで、服もメイクも見た目には華やかだったが、食事ときたら人気なのは最低300円で食べられるうどんとそばのコーナーで、いつも行列ができていた。 向かいで定食を食べ終わ
土曜の朝のこの時間、電車に乗るといつもその人はいました。気がついたのは約半年前。この路線を使うようになって、わりとすぐのことでした。綺麗な人で、歳は三十手前といったところでしょうか。彼女はいつも髪を低い位置でまとめて、品の良いパンプスを履いていました。柔らかそうなたっぷりとしたマフラーを巻いた姿は感じが良くて、この時間帯の車内はいつも空いていましたが、きっとそうでなくても目を引くものがありました。 今日も彼女は先に座っていました。どの駅からかわかりませんが、彼女はわたしが乗
曽祖母が死んだ時、同居していた祖母は葬儀に出なかったそうだ。そういえばそうだったかもしれない、とその程度の記憶しかない。祖母は嫁に当たるわけで、本来なら出て当然の立場だけれど、わたしは子供だったし大人の事情なんてもちろん知るはずもなかった。 生まれて初めて出た葬儀が曽祖母のだった。 この時の記憶は実は楽しい思い出として残っている、と言ったら不謹慎だろうか。初めて会う親戚のおばさんは優しくて、お供えの準備なんかを手伝わせてくれて楽しかったし、晩には少し酒の入ったおじさんが冗談
駐車場について車を降りたら、目の前に同僚のSがいた。 「おはようございます」 わたしが来るのを待ってたんじゃないかと思った。 Sは頭を下げながら近づいてきて 「あの、先日のあれ、わたし書類書き間違えちゃって。ごめんなさい」 先日の〈あれ〉というのは、先週末の出来事を言ってるに違いなかった。 「あ、全然!気にしないでよ。わたしも帰る頃には忘れちゃってたんだから」 本当にその程度の、大したことのない間違いだった。 消しゴムで消して書き直せばなんの問題もない、その程度の間違い。