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跳び箱の中

跳び箱の中に入ったことってありますか?
褒められたことじゃないんでしょうけど、わたしはあります。

もちろん体育の授業中にそんなことしたら先生に怒られるだけですし、学校ではそんな悪ふざけをする隙も与えられてはいませんでしたよ。

子どもの頃のことです。小学校の体育館を借りて遊んだ時期がありました。毎週末の18時とかだったと思います。道具も用品も使いたい放題。

夜の体育館という非日常に、わくわくしたのを覚えています。夜の学校って真っ暗で、体育館もちょっとだけ不気味。それでも電気をつければ馴染みの場所ですし、近所の子たちが遊びに来ていたりして、保護者もいましたけど、今だからいえますが、結構好きにさせてくれましたね。普段はできないようなこと、例えば体操の授業で使う分厚いグリーンマットの間に挟まって遊んだり、舞台袖から二階に上がってみたり、夜なのに舞台上のピアノを弾き鳴らす子もいました。

ひとりの女の子が、「跳び箱をやろうよ」って言い出したんです。
で、そりゃわたしも一段でも高いのを跳べるようにもなりたかったし、みんなで倉庫から引っ張り出しました。あれ、下段から一段ずつ重ねて積み上げるじゃないですか。授業中は先生がやってくれてたりとかで、あまり近くで見たことがなかったのですが、改めて気が付いたんです。跳び箱の中って空洞になっているんですよね。その時無性に思ったんです、この中に、入りたいって。

そばで見ていた母にお願いして、中に入れてもらいました。四、五段くらいの跳び箱でしたか。子供一人がやっと入れるくらいの大きさで。ある程度積み上げたら中に入って、あとは最後の一段を乗せて蓋をしてもらう感じ。

とび箱の中に入って一番楽しいのは、誰かがその跳び箱を跳ぶ時なんです。
バン!
と頭上で大きな音がして、人が今まさにこの上を跳んでいるのを感じます。反対にわたしは丈夫な箱の中にいます。あっちとこっちでは全く違う世界なのだという気持ちにさせられるのです。

跳び箱には隙間があります。組み立てる際に手をかけるためにある隙間です。中にいるわたしにとって、この隙間は外界と繋がる唯一のものでした。指一本が出せる程度の細さでしたが、跳び箱の中からはバスケをする男の子たち、バドミントンをする大人たちと、よく見えました。一度ボールがこちらに飛んできて跳び箱にぶつかりましたが、頑丈な箱に守られているわたしは、痛くも痒くもありませんでした。わたしはポケットからラムネを出して、食べながらみんなを観察しました。冬の体育館は動き続けなければ汗が冷えてすぐに寒さが襲ってきますが、跳び箱の中は違いました。自らの体温が箱の中を温めて、想像以上に居心地の良い場所でした。

ポケットから二つ目のラムネを取り出した時です。
こちらに向かってゆっくりと歩いてくる足が目に入りました。小さな隙間からでは上半身は見えませんでしたが、隙間の左手から現れたそれはスカートを履いた子供の足でした。
誰だろう?はじめはぼんやり眺めていましたが、すぐにおかしいことに気がつきました。上履きを履いていないのです。その子は裸足なのでした。

足はゆっくりと近づいてきて、跳び箱の斜め前で止まりました。
隙間から見えるのは裸足の足だけ。微動だにしませんでした。
わたしはラムネを握ったまま動けませんでした。
この子は、おかしい。
直感的にそう感じたのです。
この子は跳び箱に向かって立っているんじゃない。
跳び箱の中にいる、わたしに向かって立っている、そう感じたのです。



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