見られるストレス 【書き直し】
なんとなく、エスカレーターの方を見ていた。
何を見るでもなく、なんとなくだった。
暇だったのもある。
合わない焦点にぼんやりブレたエスカレーター。
わたしの目とそのエスカレーターの間に
一人の人間が挟まっていたなんて全く気が付かなかったのだ。
「あんた 今わたしのこと 見てたでしょ 」
彼女がくるりと振り返って瞬間、叱られた。
わたしはその時やっと、そこに社員のYさんがいたことに気づいたのだった。
「あんた 今わたしのこと 見てたでしょ わたし 人から見られるの ものすんっっっごい 大嫌いなの!」
一つに結んだ髪がすっかり白いYさんの年齢は知らなかった。若いのか歳をとっているのか、美人なのかそうじゃないのか、よく分からない顔をしていた。太くも細くもない体つきをしていて、ただ素肌だけは透けるように真っ白なのは羨ましかった。
わたしは、そんなつもりはなかったと弁解した。
「嘘!」
「わたし 誰かから見られてると 後ろからでも すぐわかるんだから!」
叫びに近い、怒気のこもった声。周りにお客さんもいるし、店は営業中。
わがままな客の方がまだ良いくらいだ。いくら腹が立ったからといって、お客さんの前でそんな風に怒るか?パワハラだろ。
お願いすれば手伝ってくれたし、聞けば答えてくれた。しかしYさんはその日の気分で態度が急変する人だった。嫌味はいくらも言われたことがある。
半年前に妊娠して寿退社した同僚のMは、大きなお腹でストックを片付けていたら
「どーせセックスばーっかなんだ。若い子は」
と言われたと言って泣いていたっけ。
「赤ちゃんって ものすんごい ストレスが 溜まってるんだって それは みんなに 見られるでしょ? こーうやって こーうやって 顔を覗かれるでしょ? それ すんごい ストレスなのよ!」
こっちこそストレスだ。
経験豊富で味方につければ得もある。周囲からそう思われていることを、彼女もわかっていたのだろう。
「今の子達って、ほんと指示待ちよね。そんでもってこっちの都合なんて考えもしない。困った時だけ“Yさぁ〜ん”“Yさぁ〜ん”って擦り寄ってきてほんと腹立つのよ!」
聞こえるように話してた。
みんなかなり気を遣っていたしご機嫌を伺っていた。
だがそれも、ついこの間までのことだ。
「人のことじっと見るって それ ものすんごい 失礼なことだからね!」
見たくて見ているわけじゃないよ。
ていうか、他の人にはもう、見えてないんだし。
怖い顔をしたYさんは、通路を歩いて行ってしまった。わたしをまっすぐ睨みつけたまま目を逸らさないので、体は向こうを向いていたけれど、顔だけグルリと180度後ろを向いていた。
死因は首吊り自殺だったと聞いている。