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「料理」をするということ。

私は食べることが好きだ。

どんな時も、食べれば嬉しい気持ちになる。
それが美味しいものならなおさら。

そして、私が食べる食べ物は大きく分けて二種類だ。
「自分が作ったもの」と「誰かが作ってくれたもの」。

普段から、料理をすることは私の日常。
休みの日など、気が付くとかなりの時間を台所で過ごしていたりする。
ほかのことをやりながら、切ったり、漬けたり、煮込んだり。

出来上がった瞬間のことを思い描いて、つくる。
美味しくできるといいな、喜んでもらえるかな、と少しだけ不安も入り混じった気持ちで、つくる。

成功したら嬉しいけど、失敗したら落ち込む。
で、失敗した料理は責任をとって自分でせっせと食べるのだ。

ときには疲れてしまってどうしても作りたくない時もある。
そんな時には冷凍のお惣菜や、レトルトの食材が役に立つ。
ちょっとだけ味を変える、ちょっとだけ野菜を加えてみる、そんな工夫をしてみたりすれば、もうじゅうぶんに立派な料理だ。

簡単な調理は後片付けもかんたん。
食事の後にささやかながらも自分の時間が生まれたりする。

そして、そんな簡単ごはんには、時には思いがけない組み合わせの発見があったりするからあなどれない。
最高に簡単でおいしい料理がそこに隠れていたりするのだ。

時には家の誰かが料理をふるまってくれることがある。
そして、そんな料理は最高においしいと感じる。

誰かが台所で料理をする音、だんだんと充満してくる美味しそうな匂い、
期待で胸がいっぱいになる。

出来上がった料理は、作った人の工夫の跡が見られたりして、本当においしくて楽しい。料理を食べながら、使った食材や、調味料や、その他もろもろの料理トークをするのがまた楽しい。
心も胃袋も満たされて幸せを感じられるひとときになる。

自分で調理するときも、誰かがするときも、その頭の中には理想の完成像がある。
その完成像は見た目だけじゃなく、「味」「香り」「テクスチャー」「食感」などなど、多くの要素が混ざり合った抽象的なイメージだ。

カレーひとつとっても辛口、甘口、インド風、アジア風、欧風、サラサラ、濃厚など本当に多種多様。
そこにそれぞれの人の好みでトッピングしたり、ソースやら調味料を足してみたり。

そんなことを考えてみると、ひとつの料理名を聞いたときに思い浮かべる完成像は、実際はひとりひとり異なっていそうだ。
だから、誰かが作ってくれた料理にはいつも驚きがある。

目分量で大雑把に調味料を入れる私が作った料理は、毎回違う味がする。
自分でも驚くくらいに思いがけない出来上がりだったりする。
そんな私がつくる料理は、毎回びっくり箱(何がでるかおたのしみ)状態。

で、それを食べる家族の反応が一人ひとり違うので、それにまた驚く。
好きだったり、嫌いだったり、しょっぱいとか、薄いとか。
ひとりひとりが違う感想だったりするので、人の好みは本当にいろいろだと毎回思い知らされる。

料理を作るといえば、面白いのがその調理の工程だ。

調理手順がうまくいくと驚くほど短時間で美味しいものが出来上がる。
反対に、段取りがまずくて時間がかかった割には・・・ということもある。

自分が作る時も、誰かが作る時も、その作業工程を見る事は、頭の中を覗き込むのに似ているなと思う。
人によってどこに重点を置くのかも、時間配分も違う。

とにかく簡単に、手早く、という人もいれば、あえて時間をかけて凝ったものを、と思う人もいる。
レシピに忠実な人もいれば、私のようにイメージ写真だけで想像で作ってしまう人もいる。
料理をする台所というのは、実はとてもクリエイティブな場所なのだ。

そして、大なり小なり、何かを作り上げる行為はとても楽しい。

失敗したときはへこむけど、成功したときは大勢で喜べるのが料理のいいところ。
まわりのみんなも一緒に喜べる。

そして、そのことは必ず経験として積み上がり、また実践してみることでスキルが上がっていく。
食べる事は生きるためには不可欠、だから、よりおいしく食べるスキルは人生において絶対に無駄にはならない。

私は本来、料理することが好きではないけれど、繰り返しているうちにいろんな事が上手になった。
段取りもパターン化してさらに手際がよくなった。
それはしぶしぶながらも毎日くりかえしたトレーニングのおかげだ。

そのおかげで、料理すること自体のハードルが下がり、自分の考えた料理を実際に作ってみたい、と思える。
そして、「つくる」というそのこと自体がわたしの心を満たしてくれる。

家族が料理をするのも、必要に迫られてというよりは、好奇心や作りたい気持ちが原動力になっているように見える。

つくづつ、「料理をつくる」というのは奥深いものだと思う。
実用的なのに想像力が必要。
私的なようでいて、他の人へ開かれている。
義務のようでいて、時には娯楽にもなる。

時々わたしは料理をしながら、これは誰かのためにやっているのか、自分ためにやっているのか、よくわからなくなる。

でも、料理の大事なところは、ここ。
完成した料理を食べれば、みんな嬉しい気持ちになる。
行動のあとにかならず美味しいご褒美が付いてくるのが料理なのだ。
結局、そのご褒美がいちばん大事だったりするのかも。

今日も、明日も、どこかで美味しいごはんを作ってくれている人達に感謝します。そこにちょっとした楽しみや発見がありますように!

そして今日も一日、美味しいごはんをしあわせな気持ちでたべられますように。

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