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周りと価値観が合わないとき

「もしかしたら、私は周りとズレてるかもしれない」

そう思った経験がある人って、どのくらいいると思いますか?

個人的に興味深くて、街頭インタビューとかあったら見てみたい。

私は、めちゃくちゃあります。
自分では普通のつもりなんだけど、なぜか少数派になってたり、変な人だと思われてたり。

勝手なイメージだけれど、16性格タイプの直観タイプさんには多そう。
(かくいう私もINFJタイプが有力説)

私自身、
齢20余りといえど、自分の思う普通が周りの人には通じないことくらい、さすがに弁えてる。
それだけの人生経験があったから。

だけど、
“一般的な価値観を感じ取れない身体”は正直とっても不便で…
今まで、その不便さにフラストレーションを溜めるばかりでした。
みんなが納得している時に限って、私はモヤモヤしていて、
かといって、「もっと意見を言っていこう!」なんて言われて正直に言ってみたら、
周りの人がモヤモヤしだすし…。

私の“一般的な価値観を感じ取れない身体”でどれだけ考えても
自分だって普通の範疇なのか、本当に宇宙人なのかわからなくて、
いっそ吐き出してしまえ!と思い立ったのがこの記事です。

愚痴ばかりになってしまったらすみません(>_<)
苦手なら、遠慮なくブラウザバックしてくださいね!
INFJに関係あることとないこととが混在してると思いますが、温かい目で許してください(>人<;)



①笑いのツボが違う
変な人って、変なところでツボるんですかね??
私は多いんです。
今の何が面白かったの?って聞かれるの。
「ジワる」ようなボケで爆笑してしまうからかなぁ…?

②感動するものが違う
敢えて悪い言い方をすると、「上っ面」しかないものに全く感動しないです。
愛とか希望とか友情とか。
所詮はフィクション。それ以上でも以下でもないから、慰みにはなるけど、癒しにはならない。

私は、
愛とか希望とか友情の裏にある、
葛藤や苦しみ、苦悩etc…
これらを200%描き切った作品に出会うと、
心からの感動に、うち震えるんです。
「心の闇」って、悪い印象の言い方だけれど、
「闇」を認めて肯定し、それを抱きながらも、前をむく人の覚悟こそ、
本物の「光」だと思う。
「心の闇」は、治したり遠ざけたりするものじゃなくて、受け入れて、慈しむものじゃないかな。

③「髪切った?」と言われるのが苦手
周りの人、みんな逆なんですよね…
私は切りたい時に切るし、切ったからといって何か変わるわけではないのに、なんで聞くんだろう…というのが本音です。
だけど、一般的には指摘することが心遣いだし、
その優しさは大切にしたいので、
普段、心の中でその厚意は受け取ってます。

④仲間はずれの子を放っておかない
これ、私はつい最近まで、呼吸するのと同じくらい、普通のことだと思ってました。
だけど、よくよく思い出してみると、
仲間はずれにしないように動いていたのは私くらいで、多くの人は、そんなこと気にも留めていなかった。
こればっかりは、周りの人の神経が理解できないです。どうしてそんなことができるんだろう…?

⑤共感する対象が違う
政治家批判のニュースを観ると、批判される政治家に共感してしまうし、
罪を犯した人の手記とか読むと、ボロボロに泣くんですよね…
一方で、あからさまに感情移入させようとして作っているドキュメンタリーはあまり感情移入できないです。可哀そうに感じてもらおう、っていう意図が透けてみえるから。
むしろ苦手かも…。

⑥見ればわかることを軽視してしまう
それ、見ればわかるじゃん?って、
思ったことありますか?
私は、よく思います。

だからと言って、見ればわかることを飛ばして説明したら、聞く人が付いてこれなくなってしまう。
私はこれをやりがちだから、仕事のときは気をつけないと…💦

私が気をつけるのは必要なことだけど、
本当に大切なことは目に見えないので、
見えている以上を想像することも、大切にしたい。

⑦ストレートな言葉に惹かれない
音楽のポップスで、愛してる~とか、君を守りたい~とかの歌詞が並んでても、全然琴線に触れないんだよね…
どうせなら、月が綺麗ですね、の方が感動する。
やっぱり、歌詞といえども、吟味に吟味を重ねた詩の言葉の方が、ずっと心に響く。
私は詩歌を学んだわけではないけれど、
人の心に言葉を響かせる極意は『語らない』こと。
それだけは肌身で感じてる。

⑧議論を不毛だと感じる
正直、しょーじきに言うけれど、
他者と話し合いをするなかの、その過程で出た意見や最終的な結論って、
ちょっと想像すれば1人でも思いつくことじゃない?
もちろんそうじゃないことだってあるけれど。

私が議論を有意義だと感じる瞬間は、独りよがりの意見を、他者の物差しでいちど測ってみた見解が得られるときくらい。
(こういうのを、内向的直観タイプ特有の頑固さというのです)

私の場合、
普段の脳内シュミレーションで
現実で起こる議論の7割は済んでしまいます。
(残りの3割は、自分1人では決められない事柄ね)

だから、
話し合い至上主義とか、民主主義信仰とか、
無邪気に信じる気にはなれない。
大事なのは、話し合いの中身だもの。
どれだけ意見の融合と研鑽ができたか、
あるいは、その目的意識を持って取り組んでいるか。
国会答弁みたいな、自己の主張と相手の批判を繰り返すようなやりとりは…論外だと思う。

⑨大事だと感じるポイントが違う
これも、話し合いの場でよく感じることです。
(というか、周りとのズレを感じる場面No.1は、他の人と話し合いをするとき)
私が、大事じゃないか、みんな気づいてないんじゃないか、って思ったことを言ってみると、「???」ってなるんですよね…。

これはたぶん、議論の進め方の違いで、
他の人は、考えをA,B,C…って列挙するんだけれど、私は、Aの原因はa,αで、さらにその原因はⅰ,ⅱで…って考えるから、だと思う。
こんな原因追求型だと、a,αあたりで、周りの人とわかり合えない、独断と偏見の世界に入ってしまうっぽい…🤔💭
だけど、列挙型の話し合いを続けられると、不毛だと感じてしまうから私の身体はめんどくさい…。

⑩主観で判断する能力が死んでる
心理機能でいうとFiもしくはSiあたり。
ここ数年、自分の気持ちを正直に感じるように気をつけていたから、Fiについてはまだマシになった方。
だけど、AとBどっちがいい?とか聞かれても、どっちも同じに見えてしまって、良いも悪いもわからないです。好きと嫌いについても同じ。
それと、五感も鈍くて、美味しいと美味しくないの違いとかもわからない。
二項対立より、それそのままを受け入れる、というスタンスだから、良い悪いを判断することに、興味ないんだよなぁ…💦
でもこれこそ、Sタイプ優勢の我が家において、私が馬鹿にされる要因のひとつ。
つくづく、不便な身体に生まれたなぁと思ってしまう。


途中から本当に愚痴だらけになってしまった…
ごめんなさい💦
ここまで読んでくださる方は、本当に優しいのですね。
私はとても感謝しています。

もし何かひとつでも、共感していただけたのなら、
お仲間発見ですね!
私、信じたくないですが、
心のどこかでは、自分のことを宇宙人のように感じていたので、
仲間がいるのは、本当に心の底から嬉しいです。



次こそは、もう少しマシな文章を投稿します…

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