1964-昭和39年 誕生と大きなお家と東京五輪

東京オリンピック開催を目前に控えた昭和39年5月19日、私は都内の病院で誕生しました。

ちょうど2ヶ月前の3月19日、初孫の誕生を楽しみにしていた母方の祖父が他界してしまい、親戚からは“祖父の生まれ変わり”なんて言われていたそうです。

母親は平井道子。
父親は八代駿。
共に劇団テアトル・エコーに所属して俳優・声優を生業としていました。

私が生まれて早々に離婚。
母方に引き取られたので父親との思い出はありません。

実家は東京都小金井市の本町四丁目。
国鉄中央線の武蔵小金井駅北口から徒歩10分、仙川に架かる小さな橋を渡って急な登り坂の左沿いです。
坂の中腹に表門、坂上に勝手口とガレージがありました。
敷地は約270坪(約890㎡)。
大きなお家です。

母と私はガレージの上に増築された離れに住みました。
ガレージ右側の鉄階段を上がると玄関がある1DK。トイレも物干し台も専用でしたが風呂は無く入浴は外を回って母屋まで移動していました。

母屋は平屋ながら5DKで納戸が二間。
坂を活かした日本庭園を見渡すようにL字に建てられ、ばばちゃん(祖母)とのりちゃん(母の弟=叔父)、くーちゃん(住込みのお手伝いさん)の3人が住んでいました。

本家はもともと文京区の小石川(東京ドームの北側)に屋敷があり、戦火を逃れて小金井に移住してきたとか。
母の一番下の弟は庭に落ちた爆弾で亡くなったそうです。

小石川のお屋敷は敷地が約1000坪(約3300㎡)もあって、敷地内に使用人の住む長屋が建ち、暮れには使用人たちが家紋の入った揃いの法被で大掃除や餅つきなどしたそうな。

本家筋で一人娘の母は相当なお嬢様でした。

そんな母は子供の頃から歌が得意でNHK専属の童謡歌手をやっていました。
フェリスの声楽家を卒業して歌手を志したのですが「あなたのようなお嬢様が来る世界では無い」と門前払い。
熊倉一雄さんにスカウトされてテアトル・エコーに入団しました。

そんな家に生まれた一人息子の私は一生安泰かのように思えますが、ご承知の通り全くそんな事は無く。
ここから波乱万丈な人生を送ることになります。

この年は10月1日に“夢の超特急”東海道新幹線が開通。
10月10日から24日まで東京五輪が盛大に開催されました。

10月1日〜10日にはプロ野球日本シリーズが開催。
南海ホークスが阪神タイガースとの“御堂筋シリーズ”を制して日本一になりました。
私がホークスファンになったこととは無関係ですがちょっと嬉しい史実です。

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