平井有

1964年(昭和39年)5月19日生まれ。 小金井市出身。中野区在住。 マーベルエール代表。 バツイチ。娘二人。 母は平井道子。父は八代駿。 アイコンは24才頃の私。

平井有

1964年(昭和39年)5月19日生まれ。 小金井市出身。中野区在住。 マーベルエール代表。 バツイチ。娘二人。 母は平井道子。父は八代駿。 アイコンは24才頃の私。

最近の記事

2024-10月 心臓リハビリと腹部動脈瘤と充満胆石

9月28日。 僧帽弁形成術から早2ヶ月。 この日は定期外来でした。 担当の先生は質問に丁寧に答えてくれるので、ついついあれもこれもと聞いて診察時間が長くなります。 後ろの方ごめんなさい。 経過は良好なのですが。。 「そろそろ腹部動脈瘤の手術を準備しましょう。」 え?もうですか?? あまりの急展開に驚きつつ、心臓リハビリの保険適用期間を無駄にしなくない事を告げつつ検査を受けることにしました…が、その後に先生から電話。 まだ心臓手術に向けて受けた検査データが使えることに

    • 1968-昭和43年-戦争と三億円事件とはじめての刑事さん

      テレビではベトナム戦争が連日報じられ、私は戦場の映像を何も分からず眺めていました。 この時日本はまだ戦後23年。 殆どの大人は戦争を生きた人でしたが、高度成長後に生まれた私が物心ついた頃には戦争の面影は殆どありませんでした。 東京全域が20年前に焼け野原だった事を思うと信じられない速度の復興です。 今思えばパチンコ店で軍艦マーチが流れてたり、第二次世界大戦のアメリカ兵を描いたドラマ「コンバット!」がゴールデンタイムに放送されて大ヒットしたり、敗戦国とは思えない大らかさでし

      • 2024-令和6年-7月③ 手術とICUとリハビリ

        7月29日。 心臓手術当日です。 不思議なもので前日はよく眠れました。 6時過ぎに目覚めて洗顔など。 手術当日なので朝食はありません。 9時からは飲み物も禁止になります。 10時半くらいと言われてはいたものの、11時近くに「そろそろ手術衣に着替えましょう」と声がかかりました。 元々前の手術次第で遅れることもあると言われていたし、わずか30分の遅れなのですが、待ってる間は何をしてても落ち着かずとても長く感じました。 全裸の上から紺色の使い捨てパンツと薄いグリーンの手術衣を

        • 2024-令和6年-7月② 手術入院

          ついに手術を明日に控える中、この1週間を振り返り記録しておこうと思いこれを書いております。 7月22日。 手術に備えて前歯を1本抜歯。 根っこだけ残してブリッジの支えにしていたのですが虫歯でボロボロになってしまいました。 前歯のブリッジが使えなくなったので、義歯も新しくしました。 慣れなくて食べづらいし喋りづらい(TT) 調整は手術を終えて退院後になってしまいます。 それまでごまかしごまかし慣れてくしかありません。わりとつらい。 7月24日。 順天堂医院。 眼科と皮膚

          1967-昭和42年-ばばちゃんとピンポンパンと新しいお父さん

          保育園には行かなかったので幼少期はばいつもばばちゃんと一緒でした。 平日昼間は掘りごたつと簡単な流し台のある不思議な和室“ばばちゃんの部屋”で過ごしました。 絵本を眺めたりお絵描きをしながら、ばばちゃんが見る「スタジオ102」や「アフタヌーンショー」は何となく覚えています。 でもやっぱり大好きだったのは子供番組。 NHKの「おかあさんといっしょ」や日本テレビの「ロンパールーム」はもちろんですが、特にお気に入りだったのがフジテレビの「ママとあそぼう!ピンポンパン」でした。

          1967-昭和42年-ばばちゃんとピンポンパンと新しいお父さん

          2024-令和6年-7月 手術に備えて検査三昧

          7月2日。 順天堂医院。 循環器内科からの紹介で、心臓血管外科の初外来。 10時半の予約なのに昼過ぎまで待つことになってようやく診察。 問診もそこそこに29日に手術になるでしょうと告げられさっそく検査を受けることになりました。 採血3本 採尿 レントゲン(胸部/腹部) CT(頸部/骨盤) 肺機能 足の付根に動脈瘤が見つかりました。 いずれ手術が必要とか。 でも普通に生きてたら絶対に見逃してたのでラッキーと思うことにします。 2日後に24時間記録するホルダー心電図 10

          2024-令和6年-7月 手術に備えて検査三昧

          1966−昭和41年 3Cと魔法少女になった母

          ビートルズが来日し、ウルトラマンが放送開始、週刊プレイボーイが創刊し、ウォルト・ディズニーが亡くなった1966年。 いざなぎ景気でカラーテレビ・クーラー・カー(自動車)が3Cと呼ばれ一般家庭に普及し始めました。 うちの3C状況はと言うと。 テレビは家具調の立派な20インチが応接間に、脚の無い木目調の16インチがばばちゃんの部屋にありました。 幼い頃からチャンネル争いとは無縁だったので私は泥沼のテレビっ子になりました。 クーラーはまだありませんでした。 夏は今ほど過酷では

          1966−昭和41年 3Cと魔法少女になった母

          1965年-昭和40年-親族といざなぎ景気

          5年後の大阪万博が決定し、いざなぎ景気が始まる1965年。 記憶は全く無いので親族のことを書こうと思います。 浮世離れした家の個性豊かすぎる親族たちが、私の人格形成に大きな影響を及ぼしたと思います。 祖父・おじいちゃん 平井家の主でしたが前回書いたとおり私の生まれる2ヶ月前に他界。 おぼろげに株屋だったと聞いた記憶があります。 祖母・ばばちゃん(ノブコ) 旧姓は松下。金沢の名家出身で凛とした明治の女性です。 私は中学1年までばばちゃんに育てられたおばあちゃん子でした。

          1965年-昭和40年-親族といざなぎ景気

          1964-昭和39年 誕生と大きなお家と東京五輪

          東京オリンピック開催を目前に控えた昭和39年5月19日、私は都内の病院で誕生しました。 ちょうど2ヶ月前の3月19日、初孫の誕生を楽しみにしていた母方の祖父が他界してしまい、親戚からは“祖父の生まれ変わり”なんて言われていたそうです。 母親は平井道子。 父親は八代駿。 共に劇団テアトル・エコーに所属して俳優・声優を生業としていました。 私が生まれて早々に離婚。 母方に引き取られたので父親との思い出はありません。 実家は東京都小金井市の本町四丁目。 国鉄中央線の武蔵小金

          1964-昭和39年 誕生と大きなお家と東京五輪

          2024-令和6年-5月 還暦と心臓とフルーツジッパー

          5月19日に還暦を迎えました。 60年も生きてきたんですね。 実感は全くありません。 十代の自分が思い描いた未来とはかけ離れてしまいました。思い返せば後悔ばかりです。 ただ好奇心だけは全く衰えなかったので、懲りずにずっと青春。 良くも悪くも波乱万丈な60年でした。 そんな私に突然厳しい現実が突きつけられたのは誕生日の11日後でした。 起床は10時。眠いです。 前夜も「マユリカとおねだりフルーツジッパー」をリアタイして夜ふかしでした。 テレビのアイドル番組はほぼチェックし

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