2024-令和6年-7月③ 手術とICUとリハビリ

7月29日。
心臓手術当日です。
不思議なもので前日はよく眠れました。

6時過ぎに目覚めて洗顔など。
手術当日なので朝食はありません。
9時からは飲み物も禁止になります。

10時半くらいと言われてはいたものの、11時近くに「そろそろ手術衣に着替えましょう」と声がかかりました。
元々前の手術次第で遅れることもあると言われていたし、わずか30分の遅れなのですが、待ってる間は何をしてても落ち着かずとても長く感じました。

全裸の上から紺色の使い捨てパンツと薄いグリーンの手術衣を着用します。
パンツとは言っても硬い網のような素材で、形状も含めてパニエのようです。
手術衣は着物のような合わせになった羽織物です。

着替えてからもしばらく待って、いよいよ移動です。
車椅子に乗せられ、手術室まではベテランの看護師さんが押してくれます。
手術室前で受付と引き継ぎをして現場の看護師さんに引き渡されます。
このとき帽子を渡され被りました。

手術室はドラマで見るより広く、人も沢山いました。
手術台に横になると、都度都度で優しく声をかけられながら、点滴や酸素マスクなど麻酔の準備が着々と始まります。

麻酔が入ると想像していたよりもすぐ意識が無くなりました。

意識が戻るとICUでした。
夕方くらいだと思います。

痛みはありませんが、身体中に管や点滴が何本も繋がってる状態です。
特に胸のドレーン(手術後に出る液体を心臓周囲から逃がすチューブ)が取れるまでは全く動けません。
初めに酸素マスクが鼻へのチューブに変わり、看護師さんに痰を吸い取ってもらった記憶はありますが、基本的に眠っていました。

夜深い時間になると、喉が渇いて小さな紙コップで水を飲めるようになりました。
やたらに出る痰も自力で出すように言われ頑張りました。
ティッシュを渡されて出すのですが、想像より血の塊で驚きました。

先生が来てドレーンを抜く施術を行い、その後しばらくすると尿管ドレーンも外されます。

尿意を催したことを告げると、ICU内にあるトイレまで歩く事になります。
酸素ボンベを付け替え、横に看護師さんに着いてもらいゆっくり立ち上がります。

でもダメでした。
頭がくらくらして立っていられません。
仕方が無いので1回めは車椅子に乗り換えて、2回目は人生初の尿瓶(しびん)を使いました。

このくらいのタイミングで看護師さんが交代したので、朝を迎えていたと思います。

7月30日。
ベッドの上でレントゲンを撮影するなど検査が行われ、着々と一般病棟に戻る準備が進みます。

聞いてはいたものの展開が早いです。
担当の看護師さんは、この日に3人一般病棟に送らなければならないらしくバタバタしています。

執刀して頂いた先生含む回診。
先生から「ちょっと面倒な状態だったけど完璧に治しましたから大丈夫ですよ。」と言っていただきました。
面倒な状態だったのかー。

いよいよ移動となって車椅子に移動しようと動くと一気に気持ちが悪くなり、手際よく渡されたビニール袋に吐いてしまいました。
見ると無職透明な液体で、胃の中には目覚めてから口にした水しか無かったのでしょう。

全身麻酔の手術後には、身体が驚いてよくある事だそうです。
吐き気止めを入れてゆっくり車椅子に乗ります。今度は大丈夫でした。

看護師さんに車椅子を押されて元の病棟に戻り、また看護師さん同士で引き継ぎ手続き。ベッドに戻りました。

ただ呼吸が浅いので鼻には酸素が繋がれたまま。
トイレに行くときは移動用のボンベに付け替えなければならず、毎回看護師さんに同行してもらいます。

手術後数日は尿量の計測が必要で、トイレには利用前にリストバンドのバーコードを読み込ませると用を足すだけで自動的にデータが電子カルテに記録される機能が着いています。
ただリストバンドは手術時に切ってしまったので、再発行されるまでの半日は受け皿を便器にセッティングするアナログな方法で行いました。

昼食は小さな巨峰ゼリー1つだけでした。
特に空腹感は無かったのですが美味しくペロッと頂きました。

午後には長女と元妻が見舞いに来てくれました。
孫3人と長女の写真を貼った寄せ書きをもらいました。
12歳、9歳、4歳。全員男の子です。
長女家族と最後に会ったのは5年前。
末っ子とは会ったことがありません。

ちょうどリハビリの時間が重なって、長女と元妻の視線を感じながら廊下をゆっくり歩きます。
途中途中でベンチに座り血圧や酸素量を計測。
立ち眩みはあるのですが、血圧は100まで上昇しました。

せっかくの見舞いだったのですが、挿管の影響でほとんど声が出ないのもあり、いかにも病人のような対応しかできませんでした。
全身麻酔と人工心肺での心臓手術翌日と考えれば当然なのですが、1時間少し経って長女と元妻だけが話してる時間が長くなってきたタイミングで「そろそろ…」と帰ってもらいました。
二人の会話から近況を知るのも悪い事では無かったのですが、ちょっと疲れて眠くなってしまったのです。

夕食からは普通の食事に。
手違いで白米はお粥のはずだったのですが、お茶漬けにして流し込みました。
おかずも6割くらいは食べられました。

7月31日、8月1日、8月2日と、日々レントゲン、CT、心電図、血液などの検査とリハビリ。
まだまだ呼吸は浅いものの酸素チューブも外れました。

8月3日。
担当の先生からGOが出て翌日退院が決定。
立ち眩みするし体力無いし、大荷物持って炎天下に帰るの不安しか無いんですけど。
看護師さんから「お迎えは?」って聞かれるし。

8月4日。日曜日。
諸々の手続きを終えて退院。
タクシーで帰宅しました。

自宅は中野区中央と北新宿の境目辺りなのですが、御茶ノ水から4000円以上かかりました。
神田川だと一本(徒歩0分)なんだけどな。

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