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今日のブルース① ウィリー・ブラウン「未来のブルース」(1930年)

ウィリー・ブラウン「未来のブルース」


 先のことはわからねえ 過ぎたこともわかりゃしねえのに
 なあ、神さま、今すぐ何もかも終いになるかもわからんし

 1秒が何時間、1時間が何日みたいになって
 1秒が何時間、1時間が何日みたいになって
 それでよ、あの娘もとうとう年貢の納めどきってわけ

 ああ、今も惚れてるあの女、深さ5フィートの地中に眠る
 今も惚れてるあの女、深さ5フィートの地中に眠る
 あの女、オレのために誂えたんだ 誰かのお古じゃないんだぜ

 よーい カノジョができたんだよーぅ 
 ビビビっと笑えば まさに稲妻
 カノジョができたんだってばよー
 カノジョが笑うと まさに稲妻
 5フィートと4インチ ぎゅっとするのにちょうどいいサイズ

 あの絵が飾ってあるだろう 母さんの 母さんの 母さんの棚に
 あの絵が飾ってあるだろう 母さんの棚に
 だからよ わかるだろ 父さんはもう一人で寝るのはたくさんなんだ

 TはテキサスのT TはテネシーのT
 TはテキサスのT TはテネシーのT
 神さま ナニをオレの上にのせた女に祝福あれ


今日からできるだけ毎日、ブルースの歌詞を一つずつ訳していこうと思う。第1回目はウィリー・ブラウン(1900-1952)。ロバート・ジョンソンの「クロスロード・ブルース」にジョンソンの孤独な胸の内を訴える相手として登場し(なぜ、相手がウィリー・ブラウンでなければならなかったかについては、「クロスロード伝説考」でぼくなりの考察を加えてある。有料だけど、読んでね♡)、チャーリー・パットン、サン・ハウス、ロバート・ジョンソンのデルタ・ブルース三代全員と共演した男。映画『クロスロード』(1986年)で、主人公の白人青年の旅に同行し、十字路のヴードゥー神レグバと再会したのもまた、この男であった(というのは、あくまでフィクションでのお話。現実のブラウンは映画よりずっと前、1952年に病気で亡くなっている)。レコーディングは少ない(しかも、記録に残る7曲のうち、4曲が現存せず)ものの、ギター巧者として知られ・・・というが、残された録音を聞くと、もちろん、プロとして一定の水準に達しているとは言うものの、他のギターリストに比べて飛びぬけてうまいという印象はない。今回、この人の歌詞を取りあげたのは、サン・ハウスの伝記小説『これで仕事しなくてすむ』で、ウィリー・ブラウンとサン・ハウスに何か歌わせたかったからなのだが、訳してみて驚いた。こりゃ、ど下ネタじゃないの!

最初の3連はいい。妻を亡くした夫の思いが伝わってくる。不治の病か何かで死を宣告されたのだろうか、決められたその日までの時間が次第に長く長く感じられるようになっていく。この時間が終わらなければいい。しかし、現実は残酷。「今でも愛している」というその女は、死んで、深さ五フィートの深い墓穴に納められる。彼女はオレだけのために誂えたテイラーズ・メイドだったんだ、誰かのおさがりじゃなかったんだ、というところが泣かせる・・・

ところが、ここから歌の調子は一変する。妻を亡くした悲劇の夫に新しい彼女ができたらしい。それは祝福してやってもいい。うれしいのもわかる。だが、喜びすぎなのだ。彼女の笑顔を稲妻に喩えたくだりでは、うれしさのあまり、彼女が稲妻を、そんときゃあ、稲妻で、笑えばそりゃもう、ビッカビカ・・・みたいな感じで、英語になってない。あんまりのはしゃぎっぷりに、母さんが亡くなってまだ日も浅いのに・・・と、息子に怒られたのだろう。ノンキナトウサンは、お母さんの仏壇を(絶対、仏壇ではない)を指さして、「ごらん。アレの絵が飾ってあるだろう。お父さんもさみしいんだよ・・・」って、こらっおっさん、亡き妻の仏壇に(だから、仏壇じゃないが)何飾ってんだゴルアァァァ!!

まさに、クレイジーキャッツ「ハイ、それまでよ」にも比するべき、コペルニクス的転回。ふざけやがって、コノヤロー!


さらに、「ぎゅつとするのにちょどいいサイズ」とか、「オレの身体に(ピー)を押し付けてくる女に祝福あれ」とか、そこまでいわなくてもけっこうです。はしゃぎすぎだぞってんで、桃太郎侍に成敗してほしいくらいのあばれんぼうぶり。わかるよ、わかるよ、うれしいよねー、でも、もう少し人目というものを・・・そうそう、「TはテキサスのT、TはテネシーのT」って何じゃこりゃ?と思ったが、「おっぱい(tits)」だな。右の乳首はテキサスのティッ、左の乳首はテネシーのティッ・・・とか言いながら、左右の乳首にいたずらするお父さんの姿が、目に浮かぶようではありませんか。ヘヘ、ノンキダネ。※追記 「TはテキサスのT」はブルーヨーデルで有名なカントリー・シンガー=ジミー・ロジャースがそのスタイルを確立した「ブルー・ヨーデルNo.1」の別名で、曲中に「TはテキサスのT、TはテネシーのT」というフレーズが出てくるヨレイレディオレディロレイー。「未来のブルース」もここからとったことは間違いない(ググってくれた弟T、ありがとうT for Takumi, T for Thanks)。ただ、ロジャースの曲は銃を持って女を追い回す男の歌で、「未来のブルース」にはそうした物騒な話は出てこないので、やはりヒット曲にあやかって、乳首を弄んでいるというぼくの解釈は変わらない。しかし、問題は「ブルー・ヨーデルNo. 1」の文脈における「TはテキサスT、TはテネシーのT」という言葉の意味もわかりそうでわからないということなのだ。この辺りは今後の課題としたい。

だけど、何となくね、これで終わらない気もする。サイモン&ガーファンクルの「四月になれば彼女は」の死んだ彼女が、季節が廻りまた春になれば戻ってくると思えるのと逆の意味で、ブルースの季節も巡る。甘い日々は過ぎ去り、やがて語れぬ過去となる・・・

でーもーねー

マタカノジョガデキタンダヨーッ(無限ループ)

最後に、数少ない録音の機会に歌うのがこれなのか、というブラウンへのツッコミも忘れてはならない。ぼくはいけどさあ。もっとギターリストとしての実力を誇示できるレパートリーがあったはず。あえてこの歌ということは、ギターリストというより、芸人的な資質の人だったんじゃないの?



Can't tell my future And I can't tell my past
Lord, it seems like every minute Sure gonna be my last

The minutes seems like hours And hours seems like days
The minutes seems like hours And hours seems like days
And it seems like my woman Ought to stop her low down ways

The woman I love now She's five feet from the ground
I said, the woman I love now Lordy, five feet from the ground
And she's tailor's made And ain't no hand me down

Lord, and I got a woman now Lordy, she's lightnin' when she
Lightnin' when she, lightnin' smile
I say, I got a woman Lord, and she's lightnin' when she smiles
Five feet and four inches And she's damn good huggin' size

Well, I know you see that picture Now, Lordy, up on your mother's
Up on your mother's, mama's shelf I know you see that picture now
Up on your mother's shelf
Well, you know by that I'm gettin' tired of sleeping by myself

And it's T for Texas Now, it's T for Tennessee
And it's T for Texas Now, it's T for Tennessee
Lord, bless that woman That put that thing on me

追記

ちなみに、この曲のカバーは、マニアックなブルース通として知られるアル・ウィルソンが在籍していたブルース・ロック・バンド、キャンド・ヒートによるものが知られているが、仏壇の件(だから、仏壇じゃないってば)まで行きながら、エロ親父の大はしゃぎには踏み込まない。キャンド・ヒートですらそうか、と思いつつ、ま、そりゃそうか、と納得する。


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