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クロスロード伝説考 サン・ハウスはなぜ、話をやめたのか?

「あいつは十字路で悪魔に魂を売ったからな」

ジャズ評論家のピート・ウェルディングにロバート・ジョンソンについて聞かれて、そう口をすべらせたのは、サン・ハウスだった。1930年ごろ、ジューク・ジョイント(生演奏の聞ける安酒場)でハウスと相方のギターリスト、ウィリー・ブラウンが演奏を終えると、10代後半だったロバート・ジョンソンは、決まってステージに立ちたがったという。当時のジョンソンは、のちに「2人で弾いているようだ」と評されるギター演奏からはほど遠い、未熟な技術しか持っていなかった。一方、ハウスは説教師として鍛えた喉と粘っこいスライド・ギターで独自のスタイルを確立し、1930年5月にはデルタ・ブルースの父チャーリー・パットンの口利きで、後に伝説となる初レコーディングを残している。デルタ一のギター功者と謳われたウィリー・ブラウンとの組み合わせは、さぞ聞きごたえのあるものだったろう。演奏が終わって、さて、ブルースの余韻を肴に一杯、と思っているところに、ギターの持ち方もままならないシロウトがヘタクソな演奏を始めるのだから、たまらない。ジョンソンがステージから引きずる下ろされるのに、時間はかからなかった。それでも、ブーイングにもめげず、ステージにあがろうとするガッツだけはあったという。

そんなはた迷惑なアマチュア音楽家にすぎなかったジョンソンが、数ヶ月、姿を消したと思ったら、誰もが認める腕前になって戻ってきた。シロウトが数ヶ月で名人になった ー そんなことはありえない。十字路で悪魔に魂を売ったのでもないかぎり ー いわいる「クロスロード伝説」である。ウェルディングはこの話をもとに、1966年、「地獄の猟犬がつきまとう」という記事を書く。ジョンソンのレパートリーに「クロスロード・ブルース」という自作のブルースがあったこともあったこともあって、悪魔との取引の話は、ブルースの陰鬱な本質を表すエピソードとして広まっていった。1986年には映画『クロスロード』で十字路の悪魔がブードゥーの十字路の神レグバであることが仄めかされ、伝説は神秘性と正統性を高めた。69号線と49号線の交差点に、ジョンソンが使っていなかったエレキギターをデザイン化したトンチンカンなモニュメントが立てられ、観光資源化が目論まれている。


とはいえ、魂の取引などという途方もない話を、どこまで真にうけるべきか。近年ではリサーチもすすみ、姿を消していた間、ジョンソンはアイク・ジママンという男と、夜中に墓場で練習を繰り返していたということがわかっている。墓場というのも、オカルト的な意味はなく、へたっぴーな演奏が近隣の眠りを妨げないようにとの配慮らしい。その間、ジョンソンはジママンの家にころがりこんだ。生活を共にしたジママンの娘たちの証言も残っている。というわけで、楽器が上手くなるためには、練習しかなく、魂と引き換えに飛び級を保証してくれる悪魔などどこにもいないという、ごく当たり前の、散文的な結論になる。

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