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小説 これで働かなくてすむ サン・ハウスの「説教ブルース」

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デルタ・ブルースの巨人サン・ハウスの伝記小説。基本的に「こうだったらいいな」という姿勢で書きとばしています。『西遊記』の玄奘三蔵ぐらい史実と違いますので、そのつもりで読んでくださ…
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小説 これで働かなくてすむ サン・ハウスの「説教ブルース」⑫

おっちゃんが死んで、ウィリー・ブラウンはしばらく何も手につかない様子だった。おっちゃんがオレに残した言葉を伝えると、「あのくそじじい、それじゃ、オレはいつまでも改心できないじゃねえか」と震える声で毒づいた。何かから逃げるように、いつもより速いテンポでイントロの下降ラインを弾くと、自作のブルースを歌いはじめた。  先のことはわからねえ 過ぎたことさえわかんねえのに  なあ、神さま、今すぐ何もかも終いになるかもわからんし  1秒が何時間、1時間が何日みたいになって  1秒が何

小説 これで働かなくてすむ サン・ハウスの「説教ブルース」⑪

「まさに、運命の出会いですね」 「まあな。おっちゃんは面倒見も良かったし、第二の恩人と言えるな」 「なんか、クールなんすね」 「いや、冷静に話さないと、いろいろ思い出したくないこともあるしな」「仲悪かった?」 「そんなことはない。オレは大好きだったよ、おっちゃんが」 「それはよかった」 「ただ・・・」 「ただ?」 「誤解されやすい人ではあったな」 誰かが誠実な人間かどうか、お前ならどこで判断する?そうだな、嘘をつかないとか、他人のことを考えて行動するとか、そういうことだろう

小説 これで働かなくてすむ サン・ハウスの「説教ブルース」⑩

「おい、やめろ、ばちあたりめ!」 演奏中に、背後から大声でそう野次られたら、誰だってびくっとする。ましてや、あのだみ声だ。恐る恐る振り返ると、小柄な男がよそ者を見つけたガキ大将のように、満面に笑みを浮かべて立っていた。端正だったはずの顔には、乾季の轍のようなごつごつした飢えが刻みつけられている。それが、内に秘めた怒りの印であることが、オレにはわかった。どんなに陽気に笑っていようと、最初に受けた怒りの印象も間違ってはいないのだ。 とんでもねえな。説教師になれば仕事しなくてす

小説 これで働かなくてすむ サン・ハウスの「説教ブルース」⑨

「それで、どうなったんですか」 しょっぴかれたよ。いつもは黒人たちの間で何が起ころうと、何の関心も払わない地元の警察も、さすがに人が殺されたとなれば、お咎めなしとはいかなかったらしい。噛み煙草をくちゃくちゃやりながら、めんどくさそうに手錠をかけた白人の警官は、「これでリンチの楽しみがひとつへったな」と言って、ぞっとした表情を隠せない黒人たちをしり目に、「オレは殺ってない」と叫ぶ自称ブルース・マンを車に押し込んだ。 「どうして、そんなことに?」 「わからん。とにかく、オレは

小説 これで働かなくてすむ サン・ハウスの「説教ブルース」⑧

オレは浮かれていた。ウィルソンさんは、何をしでかすかわからない危なっかしい元説教師を、息子のようにかわいがってくれた。オレのほうも、放蕩ものの親父の代わりにウィルソンさんを父と慕った。演奏の仕事がない日には、昼すぎにウィルソンさんの家で練習が始まる。教えてもらうことは、もうほとんどなかったから、それは練習というよりも宴に近かった。日が暮れてくると、ウィルソン夫人が夕飯をつくってくれた。あたりを照らすものと言っては、頼りなげな月のほかには焚火があるばかりで、ウィルソンさんはそこ

小説 これで働かなくてすむ サン・ハウスの「説教ブルース」⑦

「そのころだったかな。最初のドプロを買ったのは」 銀色に輝くボディを見せたときの、ウィルソンさんの驚いた顔と言ったらなかった。目をこんなぐあいに大きく見開いてな。こんどは、鉄のギターを持ってきやがった!って、いつものように豪快なだみ声でまくしたてたいんじゃが、喉の奥が乾いて声がでない。なんだそれは?というのが精いっぱいだ。それで、わしがこの新しい恋人とのなれそめを話して聞かせているあいだずっと、彼女の美しいスタイルから目が離せないんだ。しかし、ウィルソンさんは目の前で弟子の

小説 これで働かなくてすむ サン・ハウスの「説教ブルース」⑥

あー本日はこのお題 ブルースを歌うことに害はない についてお話ししましょう この国のあちこちにいわゆる説教師と呼ばれるものどもがおりまして ブルースを歌う男や女についてあれこれと話しておりますが あなたがたはブルースの意味するところをご存じない ブルースは内側の感情を外に出すただ一つの声であります 遠い昔 アダムとイブがエデンの園からつまみだされ 地を耕すように言われたとき アダムは歌いはじめました アダムが何を歌ったのか、わたしにはわかりません しかし、こんな調子で歌った

小説 これで働かなくてすむ サン・ハウスの「説教ブルース」⑤

「説教ブルース」は、大反響を巻き起こした。元説教師の深い声で歌われるのは、聖書の物語ではなく、教会への反逆と現世の愛欲だ。笑顔で「きらい」と囁かれた恋人のように、町を往く人びとは「説教ブルース」のパラドクスに魅せられた。一方、当然ながら、教会の人びとがこの歌を受け入れることはなかった。「働かなくてすむ」は破門された元説教師の負け惜しみとして聞き流すとしても、愛人たちと自分だけの天国で幸せに暮らしたいという一節は、神の領域に愛欲の汚れたブーツで踏みこむ涜神行為に他ならなかった。

小説 これで働かなくてすむ サン・ハウスの「説教ブルース」④

「ずいぶん思い切ったな」 ここまで歌うとは、肚をくくったな。説教師になったから、働かなくてすむって、これじゃあ、まるで説教師が働いていないみたいじゃないか。悪いかって、いや、オレは愉快だがな。教会のやつらは怒り狂うぞ。わかっていると思うが、説教師には戻れなくなる。いいのか。そうか、そうだな、今じゃ、お前もいっぱしのブルース・マンだ。 「説教もブルースも同じだと思うんです」 というと?ああ、そうだな。噛み煙草をぐちゃぐちゃやりながら、リンチにかける口実を探している白人連中

小説 これで働かなくてすむ サン・ハウスの「説教ブルース」③

「だいぶ練習したんで、聞いてもらえませんか」 おう、説教師か。どうだ、ボトルネックがステップを踏むようになったか。そうだ、今にもひっくり返りそうなチャールストンだ。それでいい。千鳥足の酔っ払いがやってきて、肚のなかのもん、全部出しちまう。お前にピッタリじゃないか、よう、酒乱の偽牧師さんよ。お客は自分のうえに倒れるんじゃないか、ぶちまけるんじゃないかってハラハラするだろ。それがいいんだ。それでいて、その声。これだけは偽物じゃない。立派な説教師だ。神の子の到来を告げる洗礼者ヨハ

小説 これで働かなくてすむ サン・ハウスの「説教ブルース」②

「ブルースってやつは教えられねえんだよ」 つれない返事を聞いて、胸がつぶれる思いがした。ブルースは悪魔の音楽だと耳を塞いでいた自分が、掌を返したようにその秘儀を知りたいという。厚かましいと思うのが当然だろう。しかし、イエスの声を聞いたパウロのように、オレはウィルソンのブルースを聞いて馬から落ちた。ブルースのためなら、死をも厭わない覚悟がある。 「おいおい、何があったか知らねえが、死んじゃあ、ダメだ」 ウィルソンが言った。オレだって、死にたくはない。しかし、教会を追い出

小説 これで働かなくてすむ サン・ハウスの「説教ブルース」①

ああ、神の啓示を受けて バプティスト教会に入るんだ バプティストの説教師になりたいんだ そうすりゃあ、働かなくてすむ (サン・ハウス「説教ブルース」) ブルースの基調になっている感情は何だろうか。ブルースは憂鬱な歌である、という。しかし、果たしてそうだろうか。他のアフリカ系アメリカ人の文化と同じように、ブルースにこめられた感情もまた、重層的である。詩人ラングストン・ヒューズは、ブルースには絶望的な悲しみと同時に、それをひっくりかえすユーモアが存在することを強調する。また、ミ